-->
あいつは常に俺を見下している。あいつは常に俺と争う立場にいる。あいつは常に俺に憎まれ口を叩いている。・、ポジションバイオリン1st。なのになんで俺はあいつから目が離せないんだろうか。
♭♭♭
ストラディバリとデル・ジェズの弦が張り詰める。誰もが息を呑む演奏を観衆が見届ける。Dの音を最後に演奏は終盤を迎えて一気に拍手が場内に響き渡る。あぁ、やっぱり弾き終えた後のこの達成感は快感だ。いつものように指揮者のジェームズが指示をだし、観衆へと礼をする。この高揚感は最早中毒でしかない。下手から裏へとの道を行き、楽屋へと戻る。お互いの感想を皆口々にし、余韻に浸っているとメゾソプラノの声が俺の名前を呼んだ。
「ブラック!あなた最後の音、フラットがかかってたわよ。それまでの演奏はまぁ、悪くもなかったのに。」
「うるせぇな、だって直前の合同練習で第二楽章の頭で音が飛んだだろ。」
「いいのよ、本番でちゃんと弾ければ。それとビブラードが甘かったわ、ちゃんと練習をしておかないとあなたのストラディバリも泣いているわよ!」
はつんけんしてジャガード織りのスカートを翻して去ると俺の中での盛り上がりが一気に崩れるのを感じた。他のパートの皆が俺に声をかける中もその眉間に寄せられた皺は深く刻み込まれていたらしく(ジェームズ談)、休憩の後の明日の公演の為の音合わせまで全くもって俺の機嫌が優れる事はなかった。
「シリウス!音が全然協調してないじゃないか、ソロじゃないんだよ。じゃぁ、もう一回ここの楽章からやり直し」
ジェームズが苛立っているシリウスの神経を更に煽るような注意を示す。シリウスの演奏はバイオリンの同期の中でも天才的に上手いと有名ではあったが、同時に機嫌によって演奏されているとも有名であった。ここのオケは殆んどホグワーツ魔法音楽学校の同期で形成されていたのでもう皆承知済みなのである。
「それじゃぁ、さんはい!」
.
.
.
.
「おい、スニベルス何見てんだよ。」
演奏を終えた後の小休憩で、シリウスは普段関わりを持たないオーボエのパートへと立ちはだかる。セブルスはシリウスを無視しようと、小休憩に行われるパートごとの練習に専念するため彼の言葉に耳をかたむけなかった。その様子にシリウスは更に向かっ腹を立てたようで彼の隣にある空いた席の椅子を勢い良く蹴り飛ばした。
「貴様、何をする!」
「お前ずっと演奏中俺の事見てただろ?言いたい事があれば直接言え!それとも泣き虫のスニベルス君は俺が怖くて口に物も言えないのかい?」
「・・・っ」
「やめなさいよ。」
その時制止の声がかかる。しかし、いつもの火止め役のリリーではなく珍しくからであった。はその切れ長の瞳を更に鋭く光らせてシリウスとセブルスを見据えた。
「自分の演奏が上手くいかないからって、みっともないわよブラック。セブルスも、演奏中彼を睨むのはよしたら?」
「・・・・ちっ」
シリウスは蹴り倒した椅子を乱雑に立て直すと、セブルスに凄みを利かせてバイオリンのパートへと戻る。辺りはシリウスの私憤にひやひやさせられたのか暫くの沈黙を保っていたがすぐに楽器の音と話し声で場内は漲った。シリウスはずかずかと不機嫌な様子を隠す事もなく豪い態度で椅子に座ると、に厳しい目を向けられた。
「それじゃぁ、最終楽章から始めるわよ。ほら、用意して。」
「何でお前が仕切るんだよ。」
「あら、今回はわたしがコンマスなのよ。あなたじゃなくて、わたしが。」
「あーそうだったけ。」
投げやりな態度を取るとバイオリン1stだけがぴりぴりと電気が奔っているようで、彼の忌諱に触れぬかと以外の誰もが常に神経を張り巡らせていた。一通り弾き終えると、シリウスが甚振りの的を見つけたようでへと目を光らせ、口角を妙に吊り上げた。
「、最後の音フラットがかかってたけど?」
「な、分かってるわよ・・・!あんたのがつられただけだから!」
「何だよ、それ言い訳か?主席で卒業したさんは俺に罪をなすりつけるのかな?」
「人の粗探しをする前に自分の事を気にしたら?まさか次席さんが最後の音がフラットする癖がついているなんて気がつかないわけないでしょう!」
は屈辱に顔を歪めるとシリウスも気分を害したのか眉間の皺を更に深めてお互い顔を背け合った。そんな様子にジェームズは深刻な表情で溜息を深くつき、彼らの様子を目の当たりにした他の演奏者に早めに切り上げる事を告げ皆それぞれの楽屋へと戻っていった。
「シリウス、ちょっと外出ない?リーマスとピーターも誘ってさ。」
シリウスが機嫌を悪くすると決まってジェームズは彼を飲みに誘う。いつもジェームズに説教されて、けれど自棄酒になって終わるが公演の最終日の前の日にさすがのジェームズでもそんな事はするわけがないだろうと思い飲みに行く事をシリウスは承諾した。
「大体さぁ、君がスニベルスにいちゃもんをつけるのはまだしもに文句を言うのはやめてほしいなぁ」
「・・・おい、ジェームズもう酔ったのか?」
リーマスの方に振り向くと、彼は何とも言えない笑顔で今日は酔いが回るのが早いようだねと他人事のように呟いた。
「はさぁ、っく。あれでさぁ繊細なんだよねぇ・・・この前だってシリウスがコンマスに任された時すごかったもん。それともなぁに、シリウス・・・おまえはちゃんに気があるのかぁー?」
「こいつをどうにかしてくれ・・・リーマス。」
するとリーマスは気にする素振りを見せることもなく、つまみをちびちびと食べているピーターに急いで話題を提供する。何て姑息な奴め。シリウスはそう心内で毒づくと、絡んでくるこのジェームズをどうにか引き剥がし楽譜を楽屋に置いてきた事を思い出す。
「やっべ、俺ちょっと楽屋戻ってくるわ。リーマス、ここは勘定よろしく!」
えーこんな時間に?とリーマスは不機嫌そうな声を上げ、ジェームズの始末はどうするんだよという目で訴えてきたがシリウスはそれを無視し急いで飲み屋を飛び出した。後で仕返しが怖いだろうが最後の確認ぐらいはしておきたい。シリウスはバイクで会場へと向かうと、酔いを醒まそうとしているのかのように頬に冷たい風が気持ちよくぶつかっていく。程よく宥められた思考回路を上手く起こして部屋へと向かう。ひたひたと廊下を辿る足音は自分以外に誰もいないという事を証明しているかのようだったがそれ彼の誤認だという事がすぐに分かった。
言わずとも聞き慣れたこの楽章のメロディー。円滑な流れで徐々に最終楽章へと導いていく。誰だろう、と思い楽屋をドアに貼り付けられた細いガラスの窓から覗く。力強い旋律の中に繊細さが込められていて 。上手い。その時はっきりと見えたその顔はまさしくのものであった。
「あぁ、もう!また音が違う!」
彼女はメトロノームを再び鳴らし始めると、最終楽章の頭から弾き始める。あ、Dがフラットしてる。俺は耳を欹てる。俺は彼女の気取った表情とは似つかわしい端麗な顔つきが必死に余裕のなさを表しているのに魅入ってしまう。らしくない彼女の焦りの音を俺はこの耳で一つ、一つ捉えていく。確か、彼女は俺が最後の音でフラットがかかるまではずっとあの音は正常に鳴らされていたはずだ。酔いがまだ回っていたのかほんの少し、彼女に同情というものを抱いてしまう。
その時ようやく気がついたけど俺はそこに15分も立ち尽くしていたわけで彼女が演奏の手を止めると急いでその場を立ち去った。家についてからやっと楽譜を忘れたのだと気付くのは遅く何だか奇妙な気持ちが心の中を取り巻いていた。今日はもう一本、ワインを空けるかなと暢気にも戸棚を無様な手つきで探し始めた。
♭♭♭
公演の始める音合わせの日、挙句の果てにジェームズは遅刻して結局は俺達だけで音合わせに入った。指揮はリーマスが指示を出して大体の指導はが仕切る。音合わせの終わりにジェームズはネクタイを首からぶらさげて寝癖をつけたまま土壇場で登場してきた。練習が終わると俺はの最後の音がきちんと整備されていた事に関心する。最も俺の音はフラットがかっていたようだが。
「、血豆できてる。」
「あら、血豆ぐらい出きるわよ。」
は俺に話しかけられてきた事に驚いたらしく上ずった声で返事した。俺は彼女の手を取り、その血豆をまじまじと見つめる。一度も触れられた事がないはびくりと肌を震わせた。
「俺は出来てないけど、血豆。」
「そんなに練習したんだ?フラットがかってなかっただろ。」
するとは目を大きく見開いて、見てたの、と蚊の鳴くような声で言う。何だか面白くなってきたな。彼女が引っ込めようとする手を握り、その血豆に口付けを落とす。はそんな俺の様子に動揺し、一瞬だが頬を赤く染める。しかしすぐに冷たく作った声で威嚇してきた。
「あなたはいつも通りフラットがかかってたわ。」
はそう言って瞬時に手を引っ込めると急いでこの場を後にした。俺はいやらしく上がる口角を押さえる事は出来ずに彼女が置いていったデル・ジェズのバイオリンを見つめる。の手、小さかったけれど指が細くて血豆が際立って見えたなぁ。俺はそんな事を考えながら彼女の愛用のバイオリンの隣にストラディバリを添えると彼女の小さな足音を追う。なぜだか最後の公演では最後の音でフラットはかからないだろうと確信する。案外、は綺麗な形をした音符の人だと知ったからかもしれない。
(フラット)
PRISM
※ストラディバリ、デル・ジェズ...バイオリンの名器
(半端な音楽用語を使って気取ってます、素敵な企画に参加できて光栄でした!)12.6 あき