ステージの、真ん中。
一瞬の熱気と、ライトの眩しさに煽られる。2回の呼吸の後、ヴァイオリンを構えるのは昔からの願掛けのようなもの。
さっきまで、小波のように鳴っていた音が止む。静寂。自分が、この世界のすべてを支配しているかのような錯覚が気持ちよかった。
弦から響く音。テクニックには自信がある。1曲目も、ノーミスだったし、練習どおりに弾けた。
1つ、深呼吸をして、再び背筋をきりっと伸ばして、弦に指を這わす。
もう少し色気のあるイメージを出来ればいいのだけれど、浮かぶのはあの笑顔だから仕方が無い。これも恋の妙味だとすれば、そこにこそ、この曲の醍醐味があるのだと、信じて。













「優勝おめでとう!シリウス!」
「ジェームズ、」
「今回も良かったぜー!けど、2曲目は、普段と感じが違ったな?」
「あ、ああ、そうか?」
「いつもはクールさを崩さないくせに、今回は情熱的というか、何と言うか…あれだなー情感たっぷりで艶っぽいっていうか…客席皆惚れ惚れしてたぜ!」
「…へえー」



差し出されたミネラルウォーターを素直に受け取って、喉を潤した。火照った身体を冷やすのにちょうどいい。
ジェームズはにやっと口の端を上げて、いつも表現が淡白だって君を批判する審査員も今回は完璧にオチたんじゃないかなー、等と笑った。




「それにしても、随分と余裕だったね?」
「そうでもねーよ」
「この前は緊張してたせいか、見てるこっちもハラハラしたけど…今回はそれもなかったしなー」
「…、だ、れのせいだよ、誰の!」
「え?僕のせい?ん?」
「…、い、いや、その…」
「まあ、仕方ないかー、前回のコンクールには…」




前回、といっても2週間ほど前のコンクールのことだったが、優勝候補筆頭と言われていた俺は、危うくその栄光ある称号に泥を塗る羽目になるところだった。
緊張で頭の中が真っ白になって、曲目を間違えそうになったし、ステージに上がってから、最前列に座ってたリーマスと目が合うまで礼をするのも忘れていた。
今思い出しても、よくノーミスで弾けたと思う。その辺りはさすがだと自分でも感じるのだけど、何てことは無い、多く練習した分、身体が覚えていただけだ。




「…、…けど、確かに、アレは反則、かな?」
「…、ああ」
「あの時の顔ったら、くくっ」
「趣味悪いぞ、ジェームズ」


顔が熱いのを誤魔化したくて、冷水を呷るけれど熱は引いてくれない。
楽屋のなかにいた、今回の準優勝者が軽く挨拶をして出て行った。2人きりになった空間にジェームズの意地の悪い声が響く。




「そういえば此処だったっけね?君の緊張の発端は」
「…、おい」
「何だったっけ、確か、…」





「シリウスー!出番まだだよね?今平気?」
「なっ、え、!何でお前が…!」
「ジェームズが誘ってくれたんだー。」
「ジェームズ、が…」
「うん、ちゃーんと見てるからねシリウス!頑張ってよ!」
「え、ちょっ、ちょっと待て!見なくていいから!」
「え?何言ってんのーしっかり念を送るからね!あ、そんなの必要ないか優勝候補筆頭!ぷぷ!」
「げっ、何でそれ知って…」
「え?ジェームズが教えてくれた」
「(あ、い、つ!)ちょっとお前、マジでいいから帰れ!帰ってください!」
「まあまあ照れるな照れるな!終わったらまた来るからね!じゃ!」
「あ、待て、!ちょっ…、……う、嘘だろ…!」
「…シリウス」
「…あ、おいピーターお前いい所に!ちょっと会場行ってあいつ追い出してきてくれ頼むから!」
「むむむ無理だよだってジェームズが連れて来たって…」
「あいつ面白がってやがる…!ああもうくそ!俺がどんだけ苦労してあいつにコンクールの日教えなかったか分かってるくせに…」
「ま、まあシリウス…がいることは忘れて…その…」
「あ、ああ、そうだな…順番もうすぐだし、な…」
「そ、そうだよ…!」
「……、……や、やばい、胃が出て、くる…」
「!」







「…やっぱお前のせいだと思う」
「そうかもしれないね。」
「…、…ちゃんと面目保ててよかった…!」
「僕も、君があそこまで駄目になるとは思わなかったな」



愉快そうに笑って、ジェームズは目を細めた。まったく性質の悪い奴だ。まだからかい足りない、という表情を見なかったふりで、俺は帰り支度を始めた。弓と弦の手入れをして、楽譜をしまう。着替えて行きたい気もしたが、タイを外してしまうと何となく面倒くさくなって、そのままコートを羽織った。





「…、シリウス、君覚えてるかな?」
「…?何を?」
「今回で、コンクール優勝したの、ちょうど50回目だ。神童って呼ばれてた頃から数えて、ね!」
「…そう、なのか?」
「そうだよ。苦労して数えたんだからなー!」
「へえー50回ね。よく分かんねー数字だな。」
「そういうわけで、これは僕のささやかなお祝いだ!」
「へ?」
「ドアを開けてご覧よ?」



この悪魔の微笑に、勝てる日は来るのだろうかと思いつつ、ひんやりと冷たい金属のノブに手をかけた。回すと、少しの音をたててドアが開く。すると、バサッと目の前に広がる赤と、白と、緑。そして、声。



「シリウス、50回目の優勝おめでとー!」



見下ろした先、綺麗な黒い髪には天使のわっか。この光は知っている。ステージの上で見るあのライトと同じ。そうだ、今日の2曲目、俺がイメージしたのは。





「…、?」
「はい!おめでとう!」
「あ、ありが、とう…?え?な、んで?」
「今日の演奏、すっごく良かったよ!特に、2曲目、何かこう、いつもと違ってたっていうか!」
「え?あ、っていうか、え?…お前今日も来てたのか!?」
「え?あれ、ジェームズに聞いてないの?」



朝からいたよー、とは笑った。ジェームズを振り返ると、にやにやと笑って、だって記念すべき日だろ、と。


2曲目は、作曲家がちょうど恋をして有頂天だった時期に書かれた幸せな曲で、所々に艶やかな旋律が流れるものだった。
ああ、きっと本当に幸せで仕方なかったんだと、弾いている内に身体の中に流れ込んでくる音を感じながら思った。
ただ、声も知らない作曲家の恋を演ずるのはつまらなかったから、自分に重ね合わせただけ。
(それを、情熱的だとか、艶があるとか、冗談じゃねえぞ!)






「ね、シリウス、2曲目のはどういう曲なの?」
「…、…さ、さあ?よく知らねー」
「な!ちゃんと勉強してから弾きなさいよ!」
「あんま時間なかったんだよ!いいじゃねーか結果残せたんだし!」
「おやおやシリウス!そういう事だったら僕に聞けよー!いいかいあの曲はこ「あ!ジェームズ!飯食い行こうぜ俺もう腹減って死にそうだし!も行くだろ?な!あ、花束ありがとな!ちゃーんと飾らしてもらうわ!ほら、行くぞジェームズこの眼鏡!」
「…………、…ああ、成る程」
「え?ジェームズどうしたの?」
「いや、何でもないよ、ただね、恋する男はロマンチストだなと思って」

(なーシリウス!さっきのもう1回弾けよ!今度はと2人きりの時に。)
(ジェームズ、おまえ、本当に黙れ。)
「ちょっとちょっと、2人でいちゃつかないでよ!」







恋するニ長調







2007/12/4 秋オケ企画さまへ!(キナコ)