ルーク坊ちゃん見てください、春の花が満開ですよ。
ペールの誇らしげなにこにこというその笑顔。ルークは思わず、素直にほほ笑み返してしまった。花も笑っている。

*

ルークは愕然と立ち尽くしていた。
昨夜の嵐は、無残にもあの見事な花々を散らしてしまったのだ。石畳に色を重ねて散る花びらのなんて悲しいことだろう。
それに仕方がありません、と笑うペールの背中は、いつになく小さく丸くなって見えて、ルークは、ああどうしようどうすればいいんだろう、とおろおろ視線をさまよわせるばかりだった。
思いやる、という動作を自覚してしまった彼には、以前のように軽々しく乱暴な慰めを口にすることができない。
彼は知っている。ペールが一生懸命に花を世話してそれらをあいしていたのを。だから、言えない。気にするな仕方がないなんて。だから、言えない。残念だったな、なんて。
ぎゅっと拳を握って唇を噛んだルークに、背中から陽気な声が飛んだ。

「おーい、ルーク!」
なにやってんの?と馴れ馴れしく笑いながら、がやってくるところだった。
「あ、」
、と振り返ったルークの顔が、うっすらと青褪めひどく心細げなのに気がついて、はなにかあった?と優しく眉尻を下げた。
何て言えばいいのかわからなくて、ルークはだだ、う、と口ごもった。
それにペールが、にっこりと、笑って振り返る。
「ああかい。」
花がね、と指差されたさきに散らかる花びらを見て、は素直に顔を歪めた。昨日の嵐か、という呟きがなんとなく大きく響く。
「ひどいな。」
そう言ってから、はルークを見た。ルークはの視線にも気づかないで、ぎゅっと口を結んで石畳いっぱいに散った花を見ている。まるで彼の腕がもがれでもしてしまったみたいに、痛ましげに目を見開いて。
(優しい子。)
こっそりはほほ笑む。悔しそうな、悲しそうな、ルークの顔。
(なんとかしなけりゃ。)
は今度ははっきりと笑って見せた。それにルークがはっとしたように目を開く。
「さあルーク手伝って!」
どうせ暇なんでしょう!そう言っては勢いよくしゃがみこむ。
「な、なにをだよ?」
ぎょっとしたルークを気にもしないで、はほらほらペールさんも!と屈託なく笑う。その指先は一枚一枚落ちた花びらを拾って、どこから取り出したのか、大きな風呂敷ほどあろうかというほどのハンカチに積み上げてゆく。その指の先の淡いピンクをした爪。ルークはなぜだか見とれてしまって、あわてて首を振ると乱暴にの隣にしゃがみ込んだ。
「ど、どうすんだ、これ。」
なんとなく気まずくて、小さく尋ねたら、全部拾ったら教えてあげましょう、とがゆったりほほ笑む。
「ねえ貰っていいよね?」
花びら、と尋ねるにペールはにっこりと本当に笑って肯いた。
隣でルークは、黙々と花びらを拾っている。

*

ほわあ、と感嘆の溜息を吐いて、ルークは目をいっぱいに見開いた。
キラキラとした、誕生日のケーキを目の前に置かれた子供みたいな目に、はやわらかく苦笑すると、ほらそこのお箸とって、とルークに言う。
「うん!」
勢いよく肯いて、ルークは箸をひっつかみ、差し出す。その間もその目はキラキラしっぱなしだ。
(ああ本当に)(子供みたい。)
はおかしくっておかしくって、ずっと肩で笑いながら、鍋をゆっくりかき回していた。
鍋の中は鮮やかな紅色をしている。

風呂敷ハンカチいっぱいに集められた花びらは、その後すぐに、一枚一枚とルークとペールの手で色分けされた。赤とピンク、黄色、橙、それから白、紫。
「さあお坊ちゃん、暇なんでしょう?」
手伝いたまえ、と眼鏡の大佐よろしく断れない笑顔でにっこり笑ったに、ルークはうっと呻いてでも大人しくついていった。軟禁状態からは解かれていても、外へ出るのは嬉しさと後ろめたさでどきどきする。自分よりも頭二つ分は小さなの影に隠れるように、ルークはひっそり歩いた。抱えたハンカチ包みからは花の香りがする。
包みからだけではない、季節は春。
光の都は花の匂いでいっぱいだ。白い花がそこかしこでこぼれるように咲いている。
しかしよく見れば、どの花もやはり昨日の嵐で大分散ってしまったようだ。石畳に花びらが、踏まれて張り付いている。だからこそこんなにも悲しいほどに匂いたっている。
(ああ。)
ルークは泣きそうな顔で両手いっぱいの包みをぎゅっと抱きかかえた。だからが少し振り返って優しい眼をしたのを知らない。


は廃墟の庭に住んでいる。この王都に廃墟なんてあるのかとガイに驚かれていたが、確かにその家は、ひっそりと、忘れられたように町の隅にある。下層に近い辺りにしては、立派な、屋敷、という言葉の似合う家だった。
家に住むのはなんとなく気がひける、不法滞在者が何を言うかと思うのだが、はこの屋敷の庭、その温室を棲家にしていた。が世話をするので屋敷の庭は緑も目に眩しく木も花もみな生き生きとして、楽園のよう。日の光が燦燦と降り注ぎ、夜には星がいっぱいに映る、天井がガラス張りの、正に温室、そこが彼女の城だった。もう何度となく足を踏み入れた庭に迎えられて、ルークはの後を温室へ歩いた。やわらかく芽吹いたばかりの芝の緑が目に染みた。さくさくと踏んで歩くと昨晩の雨が砕けてしっとりと緑の香がする。
古びて建てつけの悪い扉を開けて入ると、温室は変わらずあたたかな色をしていた。
さあ、と腕をまくり細い腕を頼もしく見せてが笑う。
「始めようか。」
ルークはおずおずと肯いた。何が始まるのか彼は未だ知らない。
魔法だ。

*

大なべを三つ並べてはそこに水桶でルークに汲んでこさせた水を入れた。鍋は本当に大きくて、ルークは五回も近くの公園(の噴水)まで往復させられてすっかり腕が痛い。六回目でついに文句を言ってやろうと思ったら、がありがとうごくろうさま、と言って笑って、お茶を淹れてくれたのでなんとなく文句は言いそびれた。(結局最後まで文句は言えなかった。)
透明な水が、ひたひたと少しくたびれた鍋に満ちる。その水が普段目にする水よりずっと澄んできれいな気がしてルークが首を傾げると、は、ルークが頑張って汲んだ水だからね、と言いもしなかった疑問に答えを返した。
「さあ。」
ハンカチを広げると花の香がむわっと狭い温室いっぱいに広がる。死んだ花の匂い。咽返るような気がして、ルークが顔をしかめた。
は気にも留めずに赤とピンクの花びらの塊を掴むと、えいっと大なべに放り込んだ。その隣の鍋には紫、その隣には橙。黄色と白はそのままだ。そしては何を思ったのか鍋を火にかけだした。ルークは慌ててコップを置いて立ち上がる。
「な、なにするんだよ!」
「煮るんだよ?」
見ればわかるでしょう、とがルークを見返す。
「まあ見てなさい、少年。」
そのにんまり、というのが相応しい笑顔。でも、とルークが言いよどむ。
食べるわけでもないのに花を煮てしまうなんて、ペールの頼んだよ、という別れ際の笑顔がちらとよぎった。そんな風にするために彼は六回も重い水桶を運んだんじゃないし、花びらを地面に這いつくばって拾ったんじゃないのだ。でもよく考えると、
(俺、なんでが花拾ったのか知らないや。)
急にしゅんとしずかになったルークをまたは優しい目で見た。仕方がないなあ、ってちっともそう思ってなんかいないくせにそう言ってはルークの手を取る。
「さあほら。」
一回り自分よりも小さなの手のひら。ルークは子供の目でを見た。
が笑っている。
「大丈夫だから。」

ぐつぐつぐつ、と煮るうちに花びらから色が出始めた。心配そうにずっと鍋の前にいたルークが、
!な、なんか色が出た!色!赤っ!」
と大騒ぎをしたので、少し離れたところで他の準備をしていたは、準備もほどほどにそちらへ戻らざるをえなかったのだ。ルークは
「こっちも!紫!」
とはしゃいでいる。(ほらね。)とは心の中で笑ってやった。
ぐるぐると鍋の中をかき回して、花びらを一枚、箸で摘みあげる。赤かった花びらはすっかり色素が抜けてまだらに白くなっていた。もうそろそろいい頃合だろう。網杓子で花びらを一枚一枚、丁寧に掬い取る。
ルークは隣で、しきりに感心してそれを眺めてうろうろしている。この先がどうなるのかさっぱり彼にはわからなくて、でもなんだか鍋の中の透き通った赤と橙と紫を見ていたら、これから素敵なことが起こるんだってことはわかった。さっきまでの不安げな顔はどこへやら、すっかり忘れてしまったようだ。
は色の抜けた花びらを少し、複雑な気分で眺めてから、えい、と布袋に入れた。庭の肥料になるのだ。

「なあどうするんだ?これからどうするんだ?」
わくわく、と顔面に書いてルークが尋ねる。うっふっふ、と不気味に笑って、は戸棚を開けると缶を取り出す。蓋を開けると、鍋の中へ、ざあっと白い粉をたっぷりぶち込んだ。粉は溶けて、心なし、鍋の中の色が鮮やかになる。
「なっ、なに今の!」
ルークの小さな犬みたいな喚き声に、はにいっこり笑う。
「魔法の粉。」

*

まるで魔法だ。の手はいのちを蘇らせる。ルークはもう引き込まれたようにの手元を見ていた。
今鍋の中には、白い布や毛糸が放り込まれて煮込まれている。白い色はぐんぐん色素をすって染まってゆく。赤に、橙に、紫に。なんだかその様子を見ていると、花が咲くところをおもいだした。まるでそう、鍋の中に花が咲いたようだ。よみがえってゆく、いのちたち。
ルークは深く息を吸った。花の匂い。
一際香りを発している、日向で古い油紙の上に並べられた白と黄色の花びらは、ポプリになるのだそうだ。なんだあそれ、って尋ねたら、ティアにあげたら喜ばれるもの、とだけは答えてからかうようにわらったので、ルークはもう黙るしかなかった。
花の匂いが部屋中に満ちている。
でも。(もういやじゃない。)
ルークは鍋の中を覗くふりをしてを見た。
の手はいつだってそうだ。枯れた庭を蘇らせ、荒れた温室を住み心地のよい部屋に変え、死んだ花びらを生き返らせて、ルークを元気にする。なんだろう、そのことに気がついたらルークは胸の辺りがたまらなくなったのだ。ぎゅっとそのまま心臓の辺りを抱きしめて眠ってしまいたい、そんな幸せな気分。

ペールにまずこの大きな布でテーブルクロス、それからハンカチでしょう。ナタリー(ナタリアを彼女はそう呼ぶ。)にもハンカチ。きれいな花の刺繍をしてあげようねえ。ルークは何色がいい?やっぱり赤かな?でも多分淡い赤にしかならないからねえ。ピンクはやっぱり男の子だし嫌かなあ?どう?嫌?(橙がいい!)うん、じゃあ橙ね。ガイ、もハンカチ?いるかなあー。そうだ、ティアにもあげようか。ミュウの刺繍して。ふふ、あ、そうそうミュウにはこの毛糸で腹巻編んであげようか、ソーサラーリングがひえひえですのー、って言ってたもんねえ、アニスには…ポシェット、とか?大佐には眼鏡拭きな!この染めムラの激しい斑な紫で!その曇った眼鏡一回拭きやがれ!って意味を込めて!わはははははー!

はずっと話している。人の物ばっかりじゃんか、ルークは小さく笑った。
もう染め上がって、庭に干されている、元の花びらは橙だった、淡い黄色の布地を眺める。ひらひら風に舞うその様子はなんだかスカートの裾みたいに見えた。の茶色い髪によく合うだろう。どちらも優しい色をしているから。
「…ワンピース。」
ルークは思わずぽつんと呟いた。
「え?」
が振り返ったので、ルークは少し慌てて、でもふっと目元を緩めて笑った。あんまりそれはやわらかなしぐさで、はぽかんとしている。
「ワンピース。作れよ、用にさあ。」

「そうだね。」
あんまりうれしそうにが笑うので、急に照れくさくなってルークは俯いた。
はまだ笑っている。







20070512/