「もしも宇宙で迷子になったら。
 どうしよう。
 ねえ、誰が見つてくれるの?
 誰が迎えに来てくれる?
 だって、今日、学校で習ったんだよ。
 地球で一番おおきくて、いちばん美しく、一番精密なレンズで作られた望遠鏡で覗ける宇宙の広さは、宇宙全体の何億分の一にも満たないんだって。
 ひとつの星を見つけるということは、砂漠で一粒の水晶の塵を見つけるのにも、大海に落としたガラス玉を探すのにも似ている。それどころか。それよりももっともっと難しく、途方もないことだって、先生は言ってたよ。
 だからどうしよう。
 ぼくが宇宙で迷子になったって、きっと誰も探せやしないよ。
 だって僕は砂漠の砂粒よりもっとうんと小さくて、ガラス玉よりもっとうんと透き通っている。
 だからきっと、いつまでもいつまでも迷子のまま、お空をさまようことになるんだ。」


 ある晩そう言って、アルが突然泣き出した。
 夜中に叩き起こされて、ぼくは正直眠たい。でもアルがあんまり泣くので、宥めながらその支離滅裂な話を整理してみると、どうやらそういう言い分らしかった。どうしたの、怖い夢みたの。そう尋ねてもアルは泣いてばかりで、ちっとも人の話を聞きやしないんだ。そのくせぎゅうぎゅう縋りついてくる手のひらの力はとても強くて、正直けっこう痛かった。でもあんまり泣くので、(もちろん痛いと言っても聞きやしない)ぼくはそうっとその頭を撫でる。少し硬い、まっすぐな髪。ぼくと同じ色をして、けれどもぜんぜん違う者みたいだ。
 おまえのかみはやわらかくってふわふわだね。
 フランシスさんはそう言って、僕の頭を撫でてくれるけれど、同じようにアルの頭も撫でた。おまえのかみのけはおまえににてあっちこっちとびはねて、まあ、げんきだね。ぼくは、どうしてかしら、いつも、アルが、ときどきひどく、うらやましくなる。
 アル、アルフレッド、泣かないで。
 お願いしても聞かないで、アルはわんわん泣いている。
 大人たちが起きてしまうんじゃないかしらとぼくは心配になるけれど、誰も起きてこないみたい。夜は静かで、空には星が出ている。見上げてなんだか、途方もない気分になった。もちろんアルと一緒に、ぼくもまた学校で習ったのだ。
 宇宙は広大無限で、さっぱりとよくわかりません。どこまで続いているのかも、果てがあるのかないのかも、どうしてあるのかも、なにもかもが膨大な情報量の前にどこから手を付けていいのかも、手を付けられるものがあるのかどうかすらも、そもそもそれがあるのかないのかすらも、すべてが曖昧としています。今も膨張し続けて拡がっているのが宇宙だという人もあれば、収縮して凝縮されている過程なのだという人もいるそうです。ともかくぼくらの地球は、その広大な宇宙に小さく浮かんでいて、宇宙はそんなにも広いのに、人類は未だに、自分たち以外の生命をこの星の外に見つけられずにいるのです。なぜなら宇宙はとてつもなく広く、深く、大きくて、この地球上で一番大きくて、美しく磨かれ、精密な曲面を持つ透明なレンズを用いても、見渡すことのできる範囲はそれこそまさに、何億、何兆、何京なんて言葉では説明もできない“天文学的な数字”分の一にも満たない、ほんの僅かな一部でしかないのです。その巨大な、天国に一番近い山の上(なぜならレンズの反射を遮らないためには、汚れていない澄んだ空気が必要なのだそうだ)の望遠鏡で、何百、何千、何億年をかけて何百、何億、何千人もの観測者が宇宙に目を凝らし続けても、宇宙全体を観るどころか、その半分、十分の一、百分の一、億分の、千分の、兆分の一の様子すら、僕らにはわからないのだそうです。だからきっと地球は、奇跡のような偶然が起こらない限り、これからもずっとひとりぼっちなのだろうと先生は言いました。地球の仲間、生命を有した惑星を見つけるなどというのは、不可能に限りなく近いことなのだと。

 学校の帰り、アルは突然、「ぼくはきっとやるぞ。」そう言ったんだ。
 彼はいつだって、脈絡なく話を始めるので、慣れない人はきっと面食らう。ぼくは生まれた時の付き合いだから、慣れていて、「なにを?」とすぐに尋ねた。するとアルはいつも、なんだってわからないんだい、という顔をしながら、それでも説明してくれる。なにせマシューはいちいち説明してやらないとなんにもわからないんだからな、とでも思っているに決まっているけれど、そこをつつくのはもっと面倒だから、ぼくはおとなしく説明されてやる。
「きっと、ぼくは大きくなったら宇宙へ行って、地球の仲間を見つけてやるんだ。」
 それを聞いてぼくはやっと、ああ、科学の時間に習ったことを話しているんだと思い当たる。
「宇宙へ?」
 先週はカウボーイになると言っていたし、その前はスパイになると言っていて、その前はニンジャになると言ってた。今週は宇宙飛行士か。考えながらぼくは少しマフラーに口を埋める。アルはなりたいものがたくさんあって、それと同じだけ、よくなりたいものを忘れた。
「だって、かわいそうじゃないか。宇宙はそんなに広いのに、地球は僕らよりずっと前からそこにいて、なのにひとりも友達を見つけられないでいるんだ!」
 両腕をめいっぱい広げて、アルがまじめそうに眉を寄せる。
 地球は寂しいなんて思うのかしら、と僕は考えて、「さみしいに決まってるさ!」アルが言葉にもしていない思考の先回りをする。
「そうかなぁ。」
「そうさ!だからぼくが!友達を見つけてきてあげるんだ!」
 そういってドンと胸をたたいていたアルフレッド。

 なのに宇宙で迷子になるのがこわいって泣くんだ。
 ぼくはアルフレッドのぼくとおなじ大きさの背中を抱きしめてさすってやりながら、窓の外を見る。夜の空には星がたくさん。あんなに明るくて、こんなに近くに見えるのに、どれもずっと遥かに離れている。さみしいだろうな。ぼくは初めてそう思う。さみしいだろうな、星、惑星、地球、太陽、月。みんなひとりぼっちでいるんだ。
 怖い夢を見て、寂しい夜があって、そんな時、こうやって泣いて縋って慰めてもらる誰かがいない。くらやみのなかで、ひとりぼっちのゆめをみて、目が覚める。その時、となりで寝ているアルの安心しきった寝顔を見て、ああよかった、ひとりじゃなかった、と安心するように、起こさないようにそっと手を伸ばして、そのにぎりしめられた手のひらに触れる。あったかいな、よかった、ここにいる、そう思って、少しその手を握って目を瞑る。星はいつも宇宙という夜の中にて、眠っているんだろうか、起きているんだろうか。もしも友達と手を繋いでダンスを踊る夢を見て、目が覚めて冷たい真空の中に一人ぼっちだったら、ぼくならきっと、たえられない。さみしくてかなしくて、しんでしまうかも。そう考えたら胸が震えた。星が光るのは、信号なんじゃないかしら。ぼく、ここにいますよ、ねえ、だれか、みえますか?きこえてますか?だれか、だれか、っていう泣き出しそうな、祈りなのじゃないかしら。
「アル、」
 そうっと静かに名前を呼ぶと、やっと泣き虫が顔を上げた。ひどい顔だな。ちょっと笑うと、アルはまた泣くようにする。
「アル、泣くなよ。君、立派な宇宙飛行士になるんでしょ。地球に友達を見つけてあげるんでしょ。」
 うう、と呻いてアルが顔をゆがめる。だって君、とても無理さ。宇宙はあんなに広いんだ!
 なにせ今しがた、夢でその宇宙の無限さを突き付けられてきた彼は、泣きべそのまま泣き言を言う。
「だいじょうぶだよ。」
「いったい何がだいじょうぶだって言うのさ!」
「だいじょうぶさ。地球はひとりぼっちだけど、でも地球の上にはたくさんのぼくたちがいるよ。ぼくたちだけじゃないよ。犬も、猫も、鳥も、木も、花も、たくさんいるでしょう?ぼくらはみんな、いつだって地球の友達になりたいと思ってるし、地球に友達を見つけてやりたいって思ってるんだ。だって地球がひとりぼっちだと、ぼくらとってもさみしくってかなしい気持ちになるんだもの。」
 うん、そうだ、と涙声でアルが頷く。とってもとっても苦しいんだ。そう言ってパジャマの上から胸のあたりをぎゅっとつかんだ。さみしかったり悲しかったりすると、なぜだろうそこが痛むので、やっぱりこころってそのあたりにあるんじゃないかとぼくは思う。
「だからねえ、アルフレッド。大人になったら、君、地球の友達を探しに行ってあげてよ。」
「あんな暗くてまっくらで冷たくてなんにもないところに行けって言うのかい!」
「そうだよ。」
 そうだよ。
 ぼくはにっこりとほほえむ。なるべくそれが、アーサーさんやフランシスさんのするように、優しいものにみえますようにとお祈りしながら。
「大丈夫さ。アルにはたくさん友達がいるし、家族もいるし、ぼくがいるでしょう。ぼくがじいっとアルが地球を出発したその時から目を離さないでいればいいんだよ。そうしたら、アルが宇宙のどの辺にいるのか、見失って迷子になったりしないでしょう?」
 ゆっくりゆっくりその言葉をなんども口の中で繰り返して、だんだんとアルの目玉が、普段通り、いいやきっとそれ以上にきらきらと輝き始めた。アルの目玉は青い。地球とおんなじ色をしている。ふと地球もこんなかしらと思う。こんな風にきらきらきらと、真っ青に輝いているのかしら、と。
「すごい!すごいぞマシュー!!!」
 今度こそアルは歓声をあげた。
「そうさ!君が見ててくれりゃいいのさ!一瞬だって目を離しちゃいけないんだぞ!なにせ宇宙ってのはすっごくとてつもなくむちゃくちゃに広いんだからちょっと目を離した隙にぼくみたいな小さな人間なんて見失っちゃうんだから!」
 すごいすごいとはしゃいだ声を上げて、ぎゅうっとアルが抱き付いてきた。勢いがすごいので、ぼくはささえきれなくって後ろに倒れる。人を下敷きにしておきながら、アルはまだぴょいぴょいと人に抱き付いたまんまはねている。けれどなんだかぼくもうれしくなってきて、ぽっぽとあったかい気持ちを抱えながら笑った。あったかいのはアルが離れてくれないからなのか、それともやっぱり内側から光ってるからなのか、よくわかんないな。でもどうでもいいや。なにせぼくたちは、今、ものすごい未来の計画を思いついてしまったところなのだ。
「ぜったいぜったい目を離さないさ!」
「眠ったらだめなんだぞ!」
「眠らないよ!」
「まばたきだって!」
「しないよ!」
「…我慢できる?」
「できるよ!」
 ぱっと離れて起き上がると、じっとお互いの目を見つめあって、それから目を見開いてみる。ジッジ、と小さく部屋の隅で時計の秒針の音。しばらくじっと目を見開いていると、先にアルが瞬きをした。
「目がシパシパするんだぞ!」
「アルったら、早いなあ!」
「うん、マシューはすごいなぁ!そんなに目を開いてられるなら、きっと大丈夫だ!」
 本当はぼくも、目がシパシパしたのだけれど、でも、大事なたったひとりの兄弟を宇宙に迷子にしないためなら、きっと僕は眠りもしないで目を開いたまま、いつまでだって宇宙の一点、アルフレッドだけを凝視していられるだろう。
「安心したかい?」
 ぼふりと横になりながら枕にぎゅっと抱き付き直すと隣でアルが真似をする。枕、ふかふかであったかいなぁ。昨日フランシスさんが干してくれたからだ。
「うん、安心した。」
 照れくさそうに、半分枕に顔を埋もれさせてアルが泣きはらした目でふふふと笑った。
「マシュー、いてくれてよかったなぁ…、」
 しみじみ言うので、今度は僕が照れてしまうな。ふふふって笑ったら、真似するなよ、と怒られる。なんだかなぁ。
 おんなじくらい小さい手を、アルがニヤと笑いながら伸ばしてきたので、同じような笑い方をしてその手を握った。だいじょうぶさ。こうやってぎゅっと握っていたら、どんなに離れたって迷子になんてなりようがないもの。
「きっと地球に友達を見つけて帰ってくるんだぞ。」
「うん、きっとだよ。」
「きっと、きっとだぞ……、」
 半分眠りそうな声が帰ってきた。
「きっと、マシューにも、おみやげ……、もって、うん、きっとね……。」
 うん、と言ったら手のひらにぎゅっと力が入った。
「おやすみぃ、アル。」
「おやすみ、マシュー。」
 はんぶん眠りかけた目玉で窓を見た。お星さま、きらきらきらと光っていた。
 きれい。



(20140120)