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彼は待っている。
何を待っている?
真夜中がくるのを。広間の柱時計が、大きく12時打つ時を。一人掛けのソファは鈍色。肘をつき閉じた瞼の裏は闇色。振り子の音を聞く耳は水底。
遠くで黄金色した夕陽の残照が叫ぶ。魔を殺せ。殺せ。あの赤黒い魔を。振り子が繰り返す。滅せよ封じよあの魔を殺せ。彼はじっと頬杖ついて金の睫をひっそりと伏せてる。チックタック往復するのは死に神の鎌だろか。
夜中は静かだ、チックタック。
――チックタックチックタックチック。
タック。
チック。
時が止まった。
ボォンと鐘が大きく鳴って真夜中のお越しだ。うるわしの深夜。
アーサー
『こんばんは、王。』
素敵な夜ね、と現れたのは赤と黒の悪魔。美しい冷酷、無邪気な残酷、無慈悲な嘲笑。夜と炎の衣を纏うタナトスの愛娘。
『Good evening,King.』
「Good evening.Monster.」
もう一度悪魔が繰り返し、ようやく彼は顔を上げた。その翡翠の目。いつの間にか火の入った暖炉の明かりを映し、揺らめく。悪魔はその光を背に長い深紅の髪を美しく揺らめかせていた。造作の酷く整った顔形。それだけ見れば聖女のように清らかで、しかしその瞳の真紅(ルビー)。それは魔性でしか有り得ない。美しいくちびるが弧を描き、彼はそれを無感動に眺める。
『まあ随分なご挨拶。つれないわ、アーサー。』
「誰がキングだ。誰が。」
『あなたが。』
美しき我が島、おお我等が王、アーサー、今なお死せず、ままに。悪魔が歌う。美しい声。それらもすべて、人を惑わすためのもの。ああどんなに美しくたって。それが化性の美しさ。そうあるために、うまれついた。
「俺は王じゃない。」
キングダム
『そうねあなたは王国。』
ではそれを統べるのはだぁれ?
悪魔の黒と赤のドレス。高いヒールの踵。耳の上の角は羊に似ている。こぼれる八重歯の白。白すぎる頬。なやましい指先。
私の元に跪いて足をお舐めと踵が鳴る。そのほっそりとした白い足。しかしそれでも彼は悪魔を透かしてただ暖炉を見つめている。重たげな剣を見つめている。しかしただそれだけだ。立ち上がり、戒めを解き、鞘を払い、退魔の刃を抜こうとはしない。ただ、視線が、注がれるだけ。その度死線が濯がれるのだと二人は理解していた。
時は止まっている刹那の一瞬。ようこそここは13日の金曜日。うるわしの深夜。
真夜中現るるは彼が待ち焦がれて止まない者なのに、どうしてこうして目の前にすると、心は無意味な無感動。ただおぼろに悲しい彼の真夜中。なにもない。空っぽだ。
『あなたはいつでもあなた自身の王であるものね。』
悔しそうで楽しそうな、その鮮やかな微笑。ああ彼が彼自身の王たるその限り、彼女には決して英国に手出しはできない。女王の統べるうるわしき緑の国。神よ女王を守り給え、我等が国土守り給え。神は答えて曰く、彼が彼であるのなら。
汝その誘惑に耐えよ、その美しさに打ち勝て、その優しさを疑え、その囁きを叩き落とせ、そのくちびるを退け、その眼差しを砕け。その悪魔を粉砕せよ。殺せ、殺せ、殺せ。殺して滅して封じておしまい。夢の千年王国が訪れる。いったい何時の、約束だろうか。神様よりも昔から、彼のそばに住んでいた、妖精たちも覚えていない。その悪魔すら、何時からそこにいたものか、彼にはとんと思い出せず。
いつからか誘惑者はそこにいたのだ。美しい顔をして、彼に挑む。あの剣を取って、薙ぎ払えばいいのだ。やり方は知っている。
だのにできない理由なら、きっと随分昔からわかっていた。
彼の剣は振るわれなくなってから久しい。昔少年が抜いた剣、魔術師が導いた道、今はただ静かに磨かれて鞘に収まり暖炉の上に飾られたその剣。
『ねぇアーサー、』
彼女の鎌が振るわれなくなってから久しい。紫光放つその死に神の鎌。かつて美しくその切っ先は磨かれて、成長した少年の首を刈った。王殺しの鎌。
タック。時計が息を吹き返す。
噫永遠の真夜中も過ぎて。
悪魔は一瞬にして去る。まるで最初からいなかったかのように消え去る。黄泉の暗闇に立ち戻る。彼はじっと座ったままでいる。その顔は無表情。ただ瞳だけ、くすぶる炎の跡を見つめ、沈黙を続けている。 |