白い壁の町。
 家々の隙間を縫って、仮面の男が、長い裾の衣装を風に靡かせて歩いている。なんだか恐ろしいような、出来すぎた景色。たっぷり風を含んだ裾はばさりと重たく鳴り、ああ、そうだ、少し船に似ている。

 サディクさんサディクさん、ととたとた軽い足音。ぽすりと腰に小さな顔ごと突っ込んできて、少しよろけそうになる。
「おっ、とと…!」
 背中を振り向いて見下ろすと、口をきゅっと結んだが、きゅっとサディクの服の裾、掴んでいた。見下ろした先のやわらかそうな旋毛。ふわふわの猫っ毛はいつだって撫でてやりたくなった。小さな子。
「どうしたんでぃ、。」
 手袋越しにそのやわらかい髪の毛をくしゃくしゃかき混ぜてやりながら、彼は尋ねる。ことさらこの子供に対するとき、あまい声になるのは若干自覚していた。
 子供はぎゅうっとしがみついたまま、離れない。ここは明るい狭い路地の迷路。白い壁は天高く、青空を分割する。とりどりの旗が、風に鳴って、鴎が飛んでいった。透き通った空の光が、路地にも落ちて辺りは不思議に青い。

「黙ってちゃわかんねェだろぃ?ほれ、言ってみな。」
「……………あのねぇ、」

 しばらくしてから小さな小さな言葉があった。「ん?」と首を傾げると、子供はずうっと握りっぱなしの手を放した。よいしょと大きな体を折り曲げて、目と目が合うように彼は座り込んでやる。俯いた前髪の向こうに、ラピス・ラズリの目玉が見えた。透き通って真っ青。手袋をはずすと、指先でちょこっと前髪を払ってやる。長いまつげの下で目玉が、きょろりと少し、彼を見た。
 それから彼は、ああ、と思い起こして仮面を取る。別段見られて困るのでつけているわけではなく、これが彼の衣装なのだ。
「ほれ。」
「サディクさん、」
「ん?」

「サディクさんはぼん!きゅ!ぼん!な女の人じゃないと嫌ってほんと?」

 どかん。
 なにか爆発した。とりあえずログアウトしかけた目玉を定位置に戻し、彼はなるたけ、普段の声音を意識して話す。しかしそれでも、語尾が震えた。
「だァ〜れがそんなこと言ったんでぃ。」
「…ハーク。」
 双葉みたいな寝癖をいつもつけた、青年の顔が、ふたりの頭の上にポンっと浮かんだ。やはりあいつか。彼はぐっと拳を握る。聞くまでも無い。やつしかいなかった。彼の脳内で、青年がニヤと邪悪そうに(彼には見える)ちょっと笑う。ロリコンだァ!?うるっせえバーロォが!
 あさっての方角に向かって怒りのオーラを飛ばす彼の前では、がまだしょんぼりしていた。
 まったくこんな小さな子になんてことを吹き込むのだろうか。ぼん!キュ!ぼん!の意味も分かっているか怪しいものだと、彼は思い、でもなんとなく、雰囲気で察しているのか気にしているところがかわいい。
 白いノースリーブのワンピースは、があんまり裾をぎゅっと握りしめるので、しわになってしまっている。まったくもってかあいらしいので、困る。誰にでも懐くのも困る。だからこんな得体の知れないおっさんにも懐いて名前を呼んではついてきて、なんだかくすぐったいったらない。泣きそうな目玉も困る。溶けて落っこちてしまいそうな目玉。ちょっとなめたらしょっぱいだろうな。きゅっと結ばれたくちびるも、ちいさくて困った。こんな小さな女の子なのに、ああ、困る。困るな。
 握られたままのその手を見て、を見てから、彼はちょっとため息を吐いた。

「わ、」
「わ?」
「わたし、」
 何か言う前にがキッと顔を上げて、言う。
 なんだかその迫力にびっくりしてしまって、彼はちょっと頷く。

「がんばるからね!」

 今に見てろー!
 女の子とは思えない捨て台詞を残して、はたたーっとあっという間に坂を駆け上がっていってしまった。あとにぽかんと残された彼と、足元に置いたままの仮面。ぽつん。
「あんにゃろ、」
 駆け去っていった女の子。
 そのお母さんと、おばあちゃんと、そのおばあちゃんを思い起こしてみる。いやあみなさん、とっても、ううむ、これは、つまり、いやあ、なかなか、なんと。まあ。
「意味わかってやがった…。」
 女の子がそんなこと言うもんじゃねえ!とちょっと怒ってやる暇もなかった。別にお前の胸なら小さくたってなんだって、と言うにはまだ彼女はいかんせん若すぎた。しかし若いがゆえに未来がある。
 つまるところ、とりあえずあらゆる意味で期待していてよさそうなので、余計なことを吹き込んだ誰かさんをしばき倒すの、今回はばかりよしてやろうと、彼は思ったとか思わなかったとか。