(月と花の童話)


 雷雨だった。春の雨は激しく、咲いた花をすっかり散らせてしまうだろう。
 は窓の外を見ていた。激しい雨だ。永く伸びた髪を、サテンのリボンでゆるくおおきな三つ編みにして肩から垂らしている。寝巻きは少し肌寒く、ガウンを取ってくるべきか、もう毛布に包まって眠ってしまうべきか、少し悩んだ。しかし眠るときは、フランシスが必ず一緒だ。―――彼はまだ現れない。おかしなこと。この時間になればとっくに、「よい子は寝る時間。」 だのなんだのと現れるはずなのに。
、」
 ふいに呼ばれて、彼女は振り返った。ちょうどその声の主のことを考えていたときだった。
 彼は扉の入り口に立っていた。
 廊下の影の中に。
 彼が部屋に入ってくる様子はなく、ただそこに立っている。それだけ、それだけのことなのにはどうしようもない圧迫感と恐怖とを覚えた。なにかが違う。違ってしまっている。その不安の理由を言葉にできず、ただ本能的に、肌が泡立つ―――こわい。
 今までフランシスに対して、そんな感情を持ったことはついぞなかった。

「おいで。」

 影の中で、フランシスがわらったようだ。
 呼ばれては、立ち竦み首を振った。フランシスは影の中から、その美しい形をした手の平をに向かってさしだしている。目玉ばかりが影の中青くきらめき、空恐ろしい気配が満ちていた。遠雷が聞こえる。神々が空を渡ってやってくるのだ―――。
「おいで。」
 有無を言わせない響きがあった。
 彼女は迷った。恐怖と、フランシスという青年への信頼との間で。なおも手のひらは、彼女をせかすように揺れる。おいで、と。
 少女が胸の前で小さな手を握りしめたまま、いっぽ、踏み出す。
 それに青い目玉は、少し笑ったようだった。影の中に顔があり、よくわからない。
「俺のことが好き?」
 ガラガラと窓の外で雷が鳴る。
 ためらいがちに頷いた彼女に、今度こそ彼は笑った。

「…俺とおいで。」

 どこかに青い光が落ちた。
 おいで。おいで、美しいおまえ。さあこの手をとって。


「時すらもとめて。」


 落雷。青い光が辺りに満ちた。
 まっさおな光の中で、夜、あの夜、舞踏会に舞い降りた光の君が、彼女に近づいてくる。春の日差しのような微笑はない、月、月だ、細く、悲しい、幽玄の月。言葉が出ない。
「いつまでも俺とおいで、…。」
 あいしていると、囁かれた声は幻聴だろうか?
 目が眩むほどの青光り。雷が落ちた。フランシスがわらっている。いいや、泣いている。悲しそう、苦しそう、なぜ、なぜ、なぜ…?尋ねようとして、少女の体から力が抜ける。なにかがおかしい。なにかが、変わろうとしている。ゆるりと倒れこんだ少女を、青年が受け止めた。
 ないているの?
 少女の囁きに音はなく、彼には届かない。
 どこか遠くで柱時計が12時を告げ、ようこそここは麗しの深夜。ずっともっと遠い淵で女がわらう、声がする。とんでもない魔物にみいられて、

『かあいそうに。』





 そうして少女の、時は止まった。