(月と花の童話)


「そう、あなたがアーサー。」
 と微笑む少女の隣に腰掛けて、彼はただただ緊張していた。
 フランシスはと言うと、まだ終わってない仕事があるからちょっと待ってろ、とだけ言って去ってしまった。直訳すると、このお姫様の相手をしてろこのクソ眉毛、だ。置いてけぼりにされた二人は、回廊を進んだ先にある小さな離宮の庭のベンチに並んで腰掛けていた。庭に花々は咲き乱れ、美しい少女と、本人にまったく自覚はない上に若干時代遅れの格好ではあったがそれでもやはり美しい少年とが並びあっている様子は、それこそ絵にしたいほど。年頃らしくその状況を楽しめばよいのに、しかし彼はそれはもう緊張していて、ただただ心の中でフランシスを呪っていた。
 なんだって二人っきりで置いていくんだバカァ!
 常日頃から被害者意識の激しい彼には、ちょっといじめだろうかともすら考えられた。よもやそのあたりの物陰から、困っている自分の様子をフランシスが笑っているのではあるまいか。きょときょとと見回してみても誰もいない。
 挙動が不審なアーサーをさておいて、しかし少女のほうは、楽しそうに笑っている。

「私はよ。」

 少女がちょっと笑って、立ち上がると、優雅に貴族の礼をした。その仕草だけで、辺りの花が頭を垂れるようだった。「以後お見知りおきを。」 と膝を折った彼女が、くすりとそのすみれ色の目を細めて、彼はやっと我に返った。
「お、おう、」
 ギクシャクとして変な返事になった。
「ふふ、アーサー、おかしい。」
 純粋に笑われて、しかしちょっと傷つく。
 元来彼は人見知りな性格であるし、あまり話が得意な方ではない。慣れればどうということはない――むしろお喋りなほうなのだが、初対面の美しい少女相手に、すっかり上がってしまってしどろもどろだ。そんな自分が嫌になって、ますますどつぼに嵌るのが彼の常なのだけれど、こればっかりにはどうにもならない。まったく、ただの人間相手に情けないったら。
 しかしそれすら見て取ったように、という少女はやんわり幼い無邪気な子供の仕草でアーサーの手を取ると、庭を案内してあげる、と笑った。別にと言いそびれて、そのまま引っ張られるように庭へ出る。明るい日差しだ。建物の最奥部だというのに、この明るさはなんだろう。まるで花びらの一枚一枚が光を乱反射して、あたり一面光の洪水。 この花はね、と笑顔で説明を始める少女の指先は、光に透けてしまいそうだった。
 そこにもなにか、ひっかかりを覚えて、ああ、なにか、なにかが彼の心の輪郭を撫ぜる。それはとても覚えがある。
 不安。
 ―――なんだろう、これは。
 花の中の少女に見とれながらも、纏わりついて離れない不安感に、彼は眉を潜める。

「ええと、この花はねえ…なんだったかしら。」
 の方は、そんなアーサーに気づきもしないように、首を傾げていた。鞠のような花が、いくつもいくつもこぼれるように咲いている。

「…沈丁花。」

 ぼそりと答えたアーサーに、目を丸くしてが振り返ると笑う。
 ああほんとうにお花みたいだ。
 少しぼーっとしてしまったアーサーに、が笑いかける。
「アーサーはお花に詳しいのね!」
 褒められて悪い気はしない。
「べ、べつにそんな詳しいってほどじゃねーよ。と、当然だろ!」
「あら、すごいわよ。私ったらちっとも覚えられやしないもの。…ねえ、あれは?」
「お前んとこの庭だろ?」
「いいじゃない!ほら!洪水!」
 陽気な笑い声を上げて、が花を巻き上げた。花びらが舞う。風が吹く。また、不安だ。この少女は存在が不安定だ、ふいに花風に攫われて、消えてしまいそう。
 その不安をかき消すように、があんまりうつくしく、明るく笑うので、アーサーもまたすぐにそれを忘れることにする。あの花は何?まったく何も知らないただの小娘じゃあないか。
 あれはなんだこれはこうだ。言い合っている間にすっかり打ち解けてしまった。

「あら!じゃあアーサーも"国"なのね。」
「ああ…って知ってるのか。」
 フランシスが話したのか。こんな小さな少女相手に。
 ちょっと目を丸くしたアーサーにがちらとわらう。
「それはだって、」


!」

 先ほどと同じだ。フランシスの声が割り込んだ。しかし先ほどとはどこか違う、少し強張った響きをしていて、アーサーは打たれたような気分だ、肩をギクリと強ばらせた。フランシスは庭に面した回廊の、青い影の中に立っている。
「フランシス!」
まるで気にしない風に、はフランシスに駆け寄っていく。
「おいで、。」
 なぜかその響きにゾッとした。
 フランシスがを抱き上げる。または消えそうだ。かすかな不安。美しいのに、何故だろうか。ふいに思い当たる。あの二人が揃った時は、それそ手折ること叶わない、美しいまぼろし。美しい景色。花のある風景。なのにどうして、かなしくなるのか。かなしい?違う、不安になるのだ。ざわざわと、胸の表面を鑢が撫でてゆくような。そんな不安が忍び寄る。
 何故だ?何故。どうして。
 彼の目は緑の目。
 その目を凝らせ。緑の目は魔法の目。

 その目になにが見える?

 あの娘はなんだ?
 なんだ。


「……フランシス?」


「なに?」

 呼びかけに応えたのはどちらだっただろう。
 フランシスとが、振り返ってわらう。
 星の目の青はゾッとするほど青く光り、すみればかりが、儚げに優しく。
 彼は気づいてしまった。
「フランシス!」
 花風。
 花びらが二人を隠す。隠してしまう。洪水だ。なにも見えない。金の髪も、黒い髪も、花が隠してしまう。連れていかれる。連れてゆく。噫、連れてゆくな。連れてゆくな!

「フランシス!おまえは!おま…「シイーッ」…!」

 闇雲に花風の向こうに叫んだアーサーの目の前に、フランシスがいた。
 その目の青。魔物に似ている。さびしい魔物だ、春と花の間に棲む。さびしいさびしいと泣き続けて、ついには手に入れてしまった。それと同時に失って、その意味がわからず、なおもさびしいと。

「なにをやった…!」
「静かに。っつったろ?が怖がってしまう。」
 抱えられたは、フランシスの肩に小さな顔を寄せて少し眠るようにしていた。

「なにをあいつにやったんだ…!」
 腹の底が震えるよえな囁きになった。なぜ気づかなかった。どんなに気配が薄れていても、気づくべきだったのだ。匂いも薄い。もうずいぶん、きっと"とりひき"してから時は経つのだ。けれどわかる。残っている。真っ赤な女の爪の痕。見えずとも、痛ましく、主張している。笑い声が聞こえる。なにを売った。なにを払った。
 花ばかりが優しく、ゆるゆるとくたびれたように微笑したきり、フランシスは何も言わなかった。

「なぜ、」
 きっと応えないと思ったから、答えがあったことには驚いた。
「……あいしている、」
 思わずアーサーははっとする。それほど真摯な響きをしていた。

「愛しているんだ。」

 フランシスがわらう。泣き出しそうな、いや、きっともう泣いているのだろう。は眠ってしまった。その一瞬、アーサーには彼の代償が、見えた気がする。
 は決して、彼のちぎれそうなその囁きを、聞くことはないのだ。