(月と花の童話)


「構わないわ。」
 少女が言う。
 少女は暗い部屋の隅に座って、レースの刺繍がいちいち美しい、白いドレスを着ている。まるで興味はないように、くまのぬいぐるみを膝に抱いて、すこし微笑みながら静かな目でアーサーを見た。
 淡い紫した目玉の光は、銀色の星月。
 その瞳ばかりが彼女を経過した長い年月を物語る。
 幼い少女の形下、菫の眼に降った幾星霜のとしつきを、どうして誰かが想像できる?国でさえ老いる。国でさえ老いるのに。国でさえ知っている。成長する喜び、老いることの優しさ、置いてゆく悲しみを。だのに少女は、進むことも戻ることもかなわず。ただ美しく静止している。永遠に停滞している。とどまり続けている。さびしい惑星、砂漠の流木、大海原のかなしい鴎。どこまでもいつまでも、交わることなく、ひとり。

「だってあいしているの。」
 ただひたむきで、縋るような言葉。そのためだけに生きてきた、とその目が言う。そのためだけに、生きてすらいない、死んでもいない、屍とも違う、空虚な身になってなお。それでも生きていると言う
 少女の目ばかりが物語る。長い長い年月のこと。そこに映るのは夜踏会。真っ青な薄闇の中、月の宵、柱の影、花の乱舞、手を差し伸べた青年の日向の髪、星の瞳、その手をとったこと、花の嵐。
「確かに私はどこまで行っても13歳の小娘でしかないのでしょう。そんな小娘に、愛は理解できないと思って?」
 大人よりも年をとった、しかし悲しいほど明るい瞳で少女が言う。

「それでもここに、愛はあるのよ。」

 小さな胸を服の上から麗しい指先でそっとおさえて、彼女は微笑った。その視線がふっと遠くへ向かう。その先にあるのはいつも同じ、たったひとり。時すらも止めて、ひとり。
「…それでいいのか?」
「それがいいの。」
 あのかわいそうなかわいいひとが、けっしてさみしくないように。
 呟く口調はもはや少女のそれではない。声音ばかりに幼さが滲み、しかし彼女は確かに貴婦人だ。遙かに時を経た、まこと美しい虚ろの。ふざけているのでなければ悪い冗談だ。
 けれどなんとも言えなくて、アーサーは黙った。
 噫フランシスお前は馬鹿だ。
 なぜ待たなかった?少女が淑女になるまで。なぜ見守れなかった?その生死すべて。あいしている。あいしているなら何故、何故。何故留めた、何故変えた、なぜ、なぜ。見送ることに疲れたのか?それとも本当に、特別だから?あいしている。それは呪いだ。呪いだ。呪詛の言葉だ。悲しいばかりの鎖だ。
 がわらう。知っていたわと。
 フランシス。私の父、私の兄、私の、私だけのあなた。私のフランシス。あなたをあいしている。
 けれど私は子供のままだから、恋人にはなれないの。けれどあいしている。母のように、姉のように、妹のように、そして恋人に対するように。ああしかしそのどれもかなうまい。たったひとりのあなたへ、たったひとりの私から。
 あなたが私をあいするように、私もまたあなたをあいしている。たったひとりのあなた。
 その手をとったのもすべてそう、ただあいしていると。
 言葉にせずとも知っている。
 彼が私をあいしていること。
 だからそれだけで構わないのだと、時を止めた体で少女が言う。
 かまわないのだと。
 孤独の果てで。
 黴の生えて使い古されてしまったような言葉だ。ジュ・テームだなんてなんて陳腐で、ありふれて、それでいて醜い、平凡なことば。口にしてしまえば傍から腐り、崩れ落ち、なんの価値も持たない。それでもいいと、彼女が言う。
 それが私の愛、私の命、私のすべてである、と。
 きっと彼のほうも、同じように言うのだろう。そのためだけに、生きていると。

 絶望したような顔をして、戸口に立ち竦むアーサーに、影の中が少し微笑みかけた。
「心配してくれるの?」
「ばっ…!べっつに、お前のためじゃ、」
「…フランシスが嫌いなのではないの?」
「…………大嫌いだよバカやろぅ…、」

「優しいのね。」

 少女の声。花のようにわらった。
 ほら言ったろう、当人たちが望んだことさとわらう女の声ばかり、アーサーの耳の奥、鐘のようにこだましている。