(月と花の童話) |
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どうすればいいの、とようやくポツンとフランシスの言った言葉は、途方に暮れた迷子の響きをしていた。それは本当に、一人ぼっちの小さな呟きで、世界のなにより孤独だった。同時になにより安っぽく、それだけ深刻だった。 どうしようもないことに抗って駄々を通して、それでも駄目だったとき、泣きつかれた子供の漏らす呟きと、それは同じ響きをしている。泣き叫んで胸を掻き毟るほど、子供には重大で重要な問題であるのに、それが大抵、大人にとって取るに足らない問題であるのと同じように、やはりこの場合も、そうだった。子供にはどんなにか認めがたい無理難題であっても、大人には簡単なこと、答えは遠の昔に見えていたのだ。 その答えが気に入らない男は、泣き叫んで、腕を振り回して、地面に身を投げ出して散々喚いて暴れた後で、すっかりくたびれてしまって、おまけに絶望してもいる。 アーサーは少しそんなフランシスを見下ろして、ちょっと困ったような顔をした。 「…どちらにしてもいずれ近いうちには消えてしまう。」 いやいやとフランシスが首を振る。しかし耳を塞ぐだけの元気が彼にはもはやなかった。打ちのめされた彼には、腕を上げることすら大変な苦労だった。 「の時を止めた方法がなんなのかはしらないが、" あれ" が解けると言ったなら、俺にもきっとそれが解けるだろう。」 緑柱石の目が、フランシスをじっと見つめていた。 初めて彼は、その緑を見た気がした。今までもずっと、こうやって心配そうに、どこか咎めるように、悲しむように、自分を見つめてきた目を見た。こんな目を、こんな眼差しを、させていたのか―――あの子供に。 フランシスの口端に自虐的な微笑が浮かんだ。 緑の木々の合間に、ちっぽけな子供を見つけた時を思い出した。やはりその時も、汚らしいチビの目は新緑の中ひときわ輝き宝石のようだった。エメラルドだ。そう思った。小さな体には少し丈の余る草色のローブを翻して逃げようとしたその小さな国の子供は、自らの服の裾を踏んずけて見事にすっ転んだ。あの頃まだ花の少女は生れてもおらず、彼は退屈していた。彼は美しかった。彼は少女のように愛らしくそして気まぐれで残酷だった。 彼はその転んだまんま歯を食いしばる国の子供に手を差し伸べた。 それが最初。 ずいぶんながい、つきあいだ。 もうすっかり男に成長したこどもが、フランシスを見下ろしている。 「呪いを解こう。」 すんなりとその言葉が、アーサーの口から出るのを、彼は眺めていた。 「解けたらは死んじまう、」 「違う、フランシス。…もうとっくに死んでる。」 「でもここにいる!」 「そうだ。歪められ、ねじ曲げられ、引き延ばされた、哀れな塊だ。もうあれはじゃない。人間でもなければ生き物ですらなく、亡者でも亡霊ですらもない。今のは、この世のどこにもないもので、あの世のどこにもいけないものだ。」 「でも、…でもだ。俺のだ。」 「そうだ、お前の愛した。」 「………俺はあの娘を愛してる、」 「そうだろう。あれもお前を愛してる。」 ぼたりとフランシスの右目を涙が落ちる。先ほどまでのそれとは違って、それはいびつな、まぁるいかたち。大きな大きな滴の塊は、顎を伝って地面に落ちた。そこに花は咲くかしら、どこかで美しい天上の声。 「…てばなしたくない。」 知ってる、と穏やかな、しかし神経質そうな声がそれに答えた。精一杯努めて、優しくされた声だった。それが不思議と不快ではない。声は涙を連れてくる。 「このままじゃは、本当に真実お前の手の届かないところに行ってしまう。」 「…死んだらみんな同じだ!」 絞り出されるような、悲痛な響き。 「死んだやつに手が届くことなんて二度とないし、死んだ奴が帰ってきたことなんて一度だってありゃしないじゃないか!人間はみんな、また、だの、いつか、だの勝手に期待させるようなことばかり言っては死んでいって、それっきりだ!" また" なんてないこと、俺たちが一番知ってるじゃねえか!」 また。またね、フランシス。我が愛、私の骨、僕の地、わしの肉、俺たちの故郷。そう言って頬笑みながら手を振って、そうやって、ああまた、と見送りながら、一度だってあの懐かしい友たちが帰ってきたことはない。死んだらそれっきり。やがてあまり思い出さなくなり、ふとした時に思い出せなくなっていることに気がついて愕然とするのだ。 またっていつだ!いつかっていつだ!時折彼らは、そう叫び出したい衝動に駆られる。 何千何百、いや何億兆の人々が彼らを通り過ぎて、一人だって同じ人間はいやしなかった。一度だって去っていった者が再び巡ってきたことはなく、一度だって同じ人間を見かけたりはしなかった。 かえってきたらいちばんさいしょに、あなたにあいにいきますからね。わたしのあい、わたしのほね、わたしのふるさと、フランシス。 やはりそう言って去った、あの自らの彼に損なわれ尽くし、燃えて尽きて果ててしまった、神様に愛されたあの子すら。 誰一人としてかえってこない。 また、なんてあるもんか! いつだって人の生は一度きり、胸にしまった思い出も、やがて時の流れに色褪せる。彼は自分が、冷たいだけのもの言わぬ墓石をこれからも続く彼の長い生の中、愛し続けられないことを知っている。 がいなけりゃ。 なみだ。アーサーはそれを見つめていた。きっとフランスは雨だろう。静かに静かに、雨がしとしとと、降り続いているに違いない。 「がいなくなったら、俺はいつかきっと他の子を好きになるだろう。」 「…それでいいじゃないか。」 「そんなの嫌だ。、だけだ。あんなに美しいのも、あんなにかわいらしいのも、あんなにいとおしいのも、あんなににくらしいのも。俺の " 運命の女 " だ。俺のマリア、俺のサロメ、俺のカルメン、俺のロ・リータ。」 「…ああ。」 知ってるよ、とやはりその声音は鑢のように優しかった。 「がいなきゃ、俺は狂ってしまうだろう。」 「いいや、それでもお前はきっと立ち直って、いつか違う娘に恋をする。」 「そうだ、でもそれはじゃない。」 「だからこそが特別なんじゃないか…その特別の、お前のたったひとりののままで―――人間として、さよならを言ってくれないか。」 「そんなこと俺もも望んじゃいない。」 「…好きなやつと死に別れたいやつなんているもんか。」 「じゃあなんで?」 なぜだろうか。 初めてそのエメラルドの目が優しい厳しい以外の何かを含んで歪んだ。それは少し、憤り、だとか、嘲り、だとか、そういったものを含んでいたには違いなかった。それでもその眼差しにフランシスが怒りよりも恥ずかしさを覚えたのは、その憤りも嘲りも、同時にアーサー自身に向かっていたからだ。 俺だってそんなこと、知りやしない。でも知っている。わかっている。本能的に、知っている―――言葉にせずとも。それを理性で認められるか否かなんて、そんなことはみんな自分勝手な手前事。 それを誰より知ってるだろう? 「…んなこたぁテメエで考えろ。」 いつの世にあっても、きっとそれだけが真実だ。 |