(月と花の童話) |
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俺って最低かしら、とそうつぶやかれた言葉に、彼はきょとりと目を丸くして、それからあきれたように、あっけらかんと笑って見せた。 「なんなんそんないきなり。今更あったりまえのことやんかぁ!」 ああ、そう。半ば予想していた答えに、彼はがっくりと肩を落とす。せっかく少し開き直って、相談したら、これだもの。たまらないなあと苦笑する様子が見るからにくたびれていて、相談されたほうは仕方がないなとため息を吐いた。 「ちゃん、俺、国かなんかなんやと思っとったわ。人間やったんやな。」 「…ん。」 カランと手の中のグラスで氷が揺れる。苦い酒だ。苦笑すると隣も同じなのか、グイと一気に飲み干した後、おかわり!と声を上げた。 「あの金髪クソ眉毛のことは嫌いやけど、そーいうの俺、わからんしなあ。悪魔とか、天使とか、そういう胡散臭いのより、今日のトマトがおいしいかどうかのほうが、大事やもんな。」 彼らしい言いぐさに、フランシスは先ほどとは違う苦笑した。 「俺もそーいうのより、女の子がかわいくてきれいならそれでいいよ。」 会話の切れ目を上手に縫って、新しいグラスが静かに差し出される。おおきに、と受けとった友人は、一度指先でグラスの中身をかき回した。子供がするような仕草だったか、その雰囲気はその逆でしかなく、彼らはずいぶん年を取っていた。それでいてその種としては、まだ青年期にあった。どこかへ消えてしまった遠い彼ら、老いているそれらに比べて、彼らはまだまだ若々しくもあったのだ。底知れない時間を、人の形をして内包する彼ら。しかしそもそも形が似ているからと言って、人と比べることこそ間違いだ。彼らは人ではないのだから。 その言葉はいつでも、なぜだか彼らの胸を突く。 「まったまたぁ…800…?900年近くちっさい女の子ぉ、手のひらン中に閉じ込めといてそれはないわあ!」 うわべは明るく笑い合いながら、ちっとも楽しくなんぞなかった。それは隣で笑う男も同じだろうかと、ふいに彼は不安になる。かんらかんらと笑うこの男の屈託のなさこそ底が知れないと、もう長い付き合いの中で彼はいつもふいにこうしてこみ上げるように思った。 「でもな、」 緑の目が心底不思議そうに問う。 その緑は、小さな島のあの男とは違う。金色の髪をしたあの男の目は、幾重にも重ねた森の緑、透き通る緑柱石のプリズム。濃紺の髪をした、この男の目は海の緑。表面の明るい乱反射、底のない奥底の深緑は漆黒にも近い。 「なぁんでそないな裏ワザ使えるんやったら、ちゃんが大人になってからにせえへんかったん?」 きょとり、と本当に、不思議で不思議で仕方がないと、その目が言う。 「…は、」 彼は返事の代わりに笑おうとして、それはひどく乾いて途中で途切れた。 「だってせやんか。ほんのちょっと、俺らにしてみたら瞬きの一瞬や。それだけ待てばあの子は大人になったやろ。それでちゃんが一番きれいな時に、そのまま時間を止めてしもたらお前、もっと幸せに堕落できたんちゃうのん。」 疑問形だけれど、語尾は上がらない。 「だってなあ、お前、あの子だけ愛しとるってアーサーに豪語したらしいけど、実際九百年近く、ちゃん以外に恋せえへんかったなんて、嘘やろ。」 ズバリとこの男はいつでも空気など読まない。読む気もない。いつでも言いたいことを、思ったままに言ってのける。一人くらい…いいや、ぜったい一人はおる。俺は覚えとるよ、あの子のこと、とその口が言う。お前のためにって戦って死んで忘れられたかわいそうな、白百合の女の子、おったやんか。そう言う。 「…彼女はかわいそうなんかじゃないよ。」 「そうかもしれへん。だってあの子は大人になって恋をして戦って死んだやんか。あの子は最後まで生きたやんか。なあ、一生懸命なあの子に、やっぱりお前は惹かれたんやろ。特別やったやろ。一瞬でもちゃんのこと、忘れたやろ。」 「…。」 「なあ、なんでせめて、ちゃんがが大人になるまで待たへんかったん。ちゃんが大人やったら、お前はあの子に恋したやろか。なあ、なんでちゃんを子供のまま残したん。お前が途中でほかの誰かに恋をしても、言い訳にできるから?誰より愛しとる、そう信じとるくせに?」 冷え冷えとしたその緑。 「ちゃんはかわいそうや。子供のまんまやから、どんだけお前のこと好きでも、お前に本当に相手にしてもらえへん。」 「…うるさいよ、」 「お前もかわいそうや。ちゃんは子供やから、お前は本当にあの子に愛してもらえへんし、どんだけちゃんのこと、かわいいかわいい思てたって、」 その口はなんだって、いつだってためらうことなどないようにフランシスには思えるのだ。 「セックスでけへん。」 ついにその言葉に、怒りの沸点を通り越して彼は笑い出した。友人は本気だ。本気でそう言っている。 「子供とだってやるこたぁできるさ。」 「でもお前、ちゃんとはせえへんのやろ。」 暗い目玉が"ともだち"を見る。魔物の目、化け物の目だ、悲しい魔性の目。緑の目、太陽の目玉がそれを憐れむようにまっすぐ見る。その光がまぶしくてまぶしくて、彼にはたまらない。 「うるさいロリペド野郎、」 「あ〜!ひどいこと言うなあ!俺、言っとくけどそーいう商売の子供以外一線は越えへんで!?」 「その発言がすでにギリギリっていうかアウトなんだって気づいて!?」 「うっさいわボケ!今はお前の話しとるんやろ!!」 タイミングよく同時に空になったグラスを掲げて、「「テキーラ!」」 二人してカウンターに突っ伏した。バーテンダーが少し笑った気配がする。すうっと差し出された杯のグラデーションは、まったく逆のパターンをしていた。 「ちょっと〜!俺のがサンセットってどういうこと〜!」 「ぎゃははは!やっぱりわかっとる!この店はわかっとるでフランシス!俺サンライズ!ヒイ〜!」 「うっせーそっちのほうが薄い酒のくせに〜!」 ぎゃあぎゃあと喚きながら酒を煽る。ああどうしたって、愉快でいなけりゃ。愉快でなければ。そんなのはうそ、そんなのは嘘だ。 グイと飲み干したともだちが、グデンとカウンターにもう一度突っ伏しながら彼を見上げる。 「なあフランシス、」 なんだいともだち、魔物が少し、わらったようだ。 「何がこわいん。」 愛した人に愛されている。その愛とやらのために、人間をやめるほど、愛されている。それなのにどうして不安なの。何が望みなの。余所見をするの。離れられないこと、自覚するばかりなのに。そのいびつな感情が、互いを縛る桎梏でしかないこと、突き付けられるばかりのくせに。 深緑の目が彼に問いかける。 あの明るい新緑の目が、問わないことを尋ねかける。 グラスの中で太陽の金色が解けて揺れた。 ―――時を止めて。 いつまでも時を止めて。 大人になったら、きっとはフランシスを置いていく。 ほかの誰かに恋をして、ほかの誰かのものになる。 知っているんだ、が大人になったら、きっと自分から離れていく。好かれるはずが、愛されるはずがないんだもの。はきっと、自分の指からすり抜けるよ。子供の間、子供の間だけだ、がフランシスだけを見るのも、フランシスを好きでいるのも。 どうしてわかるかって、そう思ったんだ。うつくしく育ってゆく彼女を見たら、こみ上げるようにそう思ったよ。 うしないたくなかった。留めておきたかった。 おさないだけのそのあいを。 |