(月と花の童話) |
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それはとてもセンセーショナルなニュースとして、世界中で取り上げられた。かのファントムで知られたオペラハウスの地下、古い下水道の奥深くの氷室に、氷漬けのまま眠る美しい少女が発見された。見つけたのは偶然にその地を観光で訪れ、地下道に迷い込んだ少年だった。ほの暗い水銀灯の明かりの中、彷徨った少年が辿り着いた巨大な伽藍は、真夏であるのに息が凍るほどに冷たく保たれていた。 そうして少年は、氷の上を渡り、その足の遥か下に、眠る美しい中世の少女を見つけたのだ。 たった一度たかれたフラッシュは、しかし一度で十分だった。 「大・大・大発見なんだぞ!」 眼鏡の彼はいつだって空気を読まない。 どうしてフランシスが、そのニュースを聞いた瞬間に卒倒しそうな勢いで会議の席を立ったのかも、それから一切の職務を放棄しているらしいことも、彼にはあまり関係がない。 「素晴らしいよ!保存状態は奇跡としか言いようがないほどに完璧だ!パーーーーフェクト!!どうしてあの子が地下水道なんかに落っこちてしかも氷漬けになる羽目になったかは謎だしフランスの市街地にあれだけ低温を保つ氷室が密かに建てられていたことも謎けれど、それよりなによりこれだけ自然にコールドスリープの状態が保たれている例なんてこれから後にも先にも出てこないよ!ふつうは冷凍されても徐々に水分を失って、ミイラ化するものなんだけれど…常に氷の表面の水が循環していたせいなのかな!彼女は間違いなく、本当にそのまま、冷凍されているだけなんだよ!体組織の減少も破壊も一切ない!!完全な!冷凍睡眠状態!!!」 目をきらきらとさせて、大きな声を張り上げる弟だった男を、アーサーは呆然と見ている。 いまだに事態の展開に、頭が追い付いていかない。思わぬ第三者―――偶然の介入は、ことの手綱を完全にアーサーの手からもフランシスの手からも、あの悪魔の手からも、本人の手からすらも放してしまった。そうしてまさか、このような"非科学的な"物語に関わることがあるなど思いも寄らせない男が、素晴らしく"現代的、かつ科学的に"その物語の帳尻を、数百年続いた滑稽な恋の顛末を、そうと知らずに継ごうとしている。 「近く研究チームを導入して、少女の切り出しにかかるよ!うまくいけば、約九百年前の少女が、現代にそれこそ蘇る―――いや、眠りから覚めて目を覚ますんだ!!!」 化学はもはやそのような水準まで進化した。 そう高らかに男は宣言する。人道的な問題から、人間による被験者を得られない状況で、生きた化石ならぬ生きた冷凍睡眠人間が見つかるなんて―――とコールドスリープなる技術を宇宙航空に導入するのに躍起だったその国には、願ってもない幸運だ。 フランスは米国の介入を拒否―――できるような状況でもない。今や世界は熱狂の渦、現代に九百年前の美しい少女が、科学の力で蘇るかもしれない。そのことに夢中だ。その口から当時の状況が、なぜ彼女が氷の中に落ち込んだのか、その悲劇の一端が語られるのかもしれない。それはなんという童話染みた現実で、しかしそこに介入する化学という力が、それを客観的に不可能ではないと告げて触れ回った。 少女の保存状態は非常によく。 動物実験ではすでに成功率は6割を超え。 ニュースでは日々そう言った言葉が飛び交う。そのままの状態で保存すべきだという保守的な意見を抑え込む熱狂が、世界を包んでいる。 「触るな!!!」 獣のように叫んだ男が、その足元、その遥か氷の下に眠る少女とそっくりの少女を抱いていることに、アルフレッドは最初首を傾げ、それから至極当たり前にwhyと口にした。少女はフランシスの腕の中で青褪めて、しかし大人しかった。どこか諦めてもいるように見えた。それでも男の服に縋りつく手のひらが震えて強張っていた。 「フランシス、そこをどいてくれよ。」 「寄るな!俺は許可した覚えはない!」 「フランス政府からも許可は下りたよ?」 「そんなことは関係ない!!彼女に触るな!!」 そっとしておいてくれとフランシスが叫ぶ。困ったようにそれを見下ろして、やれやれとアルフレッドは肩に手をやる。 「この子、君の知り合いだったのかい?」 足の下で眠る少女を指差してアルフレッドが尋ねる。 隠すように、はなすまいとするように少女を抱く腕に力を込めたフランシスに、ますます彼は首を傾げた。彼の目にはもはや、少女は見えていないのだ。 「ねえ、フランシス。知り合いだったんならなおさらどいてくれよ。」 なにがあったのかしらないけどさ。と部外者の、遠慮もなにもない言葉。 「そんなにこの子のこと、執着するくらい好きなんだったら、もう一度会いたいって思わないかい?君、この子がここにいること、知ってて黙ってたんだね?ねえ、何が嫌なのさ!我がユナイテッドステイツの力を結集して、その子を目覚めさせよう、っていうのにさ!」 なにが不満なのか。心底わからないな、とアルフレッドは首を傾げる。目の前でなにか抱くような動作をして蹲る男は、獣のように歯をむき出し、まるで狂ってしまったような形相だ。 どうして触ることも話すこともできない、氷の下の死体に執着するのだろう。それが本当に死に切っているならわかる。しかしそれを、蘇生させられるかもしれないというのに、だったらどうしてためらうのだろう。一度失った人間に、もう一度会えることなんてキリストの奇跡の再現でもない限り不可能"だった"。なにをためらう?失敗するかもしれないから?化学に失敗はつきものだ。一進一退で、それでも人間の智慧は日々深まっている。 「もしうまくいって、彼女が再び目を開いて…また君は彼女に会えるんだ。生きた彼女にね!素晴らしい!結構じゃないか!」 「お前はなにもわかっちゃいない!やめろ!やめてくれ!!」 「なぜ?」 「魔法が解けちまう!!!」 きょとん、と目を見開いて、それからアルフレッドは苦笑する。 「ちょっとちょっと、君まであの金色眉毛みたいなこと、」 「本当なんだ!!触らないで!」 渡さない、触らせない。そう言って氷にしがみつくようにする。こまったなあとアルフレッド。今日の気候は氷の切り出し作業にベストだ。今を逃せばしばらくあたたかい日が続く。 「だいじょうぶだよ。もし成功したからと言って、彼女を見世物なんかにするわけじゃない。彼女の人権も生活ももちろん保障するよ。」 「そういうことじゃない!」 いつだって、神秘を殺すのは科学だ。科学が闇を平坦にし、魑魅魍魎の化け物たちを物語の向こうへ追いやり、魔法をトリックと無邪気に笑い、そうして神をも解剖しつくして殺しつくした。 「いろいろ実験に協力してもらうことにはなるけどさ、最初は確かに世界中から好奇の目に晒されるかもしれないけど、でもそれでも生き返りさえすれば、君とまた会えるじゃないか。」 「違うんだよアル…!」 幼い頃の、名の呼び方。言い聞かせるような、縋りつくような、諭すような。何が違うんだろう。何がそんなにも嫌なのか、なにがそんなにも彼に狂ったような悲鳴を上げさせるのか、アルフレッドにはわからない。彼に今はっきりしているのは、今日が与えられたチャンスの中で最良の日であるということだ。 「あんまり手荒な真似はしたくないんだけど。」 パチンと指を鳴らすと、屈強な男たちが白衣の集団の後ろからぞろぞろと現れる。 「Mr.フランス、大人しくしてください。」 「誰か鎮静薬を。」 やめてとほとんど絶叫のような悲鳴があがった。「!!!」それはなんて悲鳴だろう。なんて悲痛な叫びだろう。会いたい、あいたい。もう一度あいたいよ。だからこそ、もう一度を永遠に、長く永く引き伸ばすために、この場所は、少女を氷漬けにし続けるその行為は、必要だったのだ。男たちに引きずりだされる彼の腕の中から、するりと少女が抜け落ちた。 「!!!」 「へえ、っていうのかい?」 ふむと顎に手を当て、氷の下を眺めながら興味深そうにアルフレッドが頷く。 ―――見えてないのか。 今更にフランシスはぞっとする。腕の中に抱えてきた少女。氷の上に俯けに倒れ伏したまま動かない。ウィインと耳障りな金属音が鳴り始める。氷を切り出す機械の音だ。やめてくれ、やめさせてくれと彼が叫ぶ。鏡面のように傷一つついたことのない氷の表面に、高速で回転する刃が添えられた。 氷の上げる、高い悲鳴のような澄んだ音。 もはやフランシスの目にも、少女はどこにも見当たらない。 |