03.昔々あるところに |
ある晩、いつものように、眠れないのための、眠る前のお話。 フェリシアーノはの隣に横たわって、毛布の上から、とん、とん、と細い肩を叩いていた。 かわいい、おやすみよ。 いつものお話、途中で必ず、だんだんの瞼は重くなるのだけれど、今日はそうはいかないみたい。大きな丸い目で、フェリシアーノを見上げて、は小さな口を開いた。 「すきってどういうことですか?」 その質問に、彼はきょとんと眼を見開いて、「どうしたの、急に。」 「シスターにきいたら、おとなになったらわかりますよといわれました。」 「うんうん、それで?」 「でもね、どうやったらおとなになれるのかわからないので、すき、っていうのもわからないの。」 心底困ったように眉をよせて、子供がため息をつく。ふっくらとしたばら色の頬。 噫なんてかわいいのだろう、とフェリシアーノは思った。彼の子供、彼の子供たち。そう、みんな俺の天使。そうしてそのうちでもとびきり、かわいい、かわいい。夜になったらおやすみよ。眠れば朝がやってきて、そうしてひとつ、大きくなれるよ。 「フェリシアーノおにいさんは、いつ、すき、がわかった?」 その真剣な目に、どうしてかな、彼は珍しく、昔話をする気になった。あんまり静かで綺麗な夜で、なんだか少し、時間の間隔がなくなるような月が出てたからかもしれない。その月を昔、並んで眺めたこと、思い出したからかもしれない。 とん、とん、と肩をたたくやさしいリズム。茶色い目を細めて、彼はぽつり、ぽつり、語りだす。お話を聞かせるのと変わらない、低くやさしいその声で。 「昔ね、うんと昔だよ。」 ―――昔っていつ? ―――が生まれるよりも、シスターが生まれるよりも、ずっとずうっと昔だよ。 笑って彼はそう言った。そう、だってずいぶんと、昔の話であるのだ。彼がまだ、小さなよりも、小さな体をしていた頃のことだから。 「俺にはね、じいちゃんがいたよ。そりゃもう強くって面白くって優しい、俺のだいすきなじいちゃんがいたよ。」 それが俺の最初の好きかもしれないなあ、とそう言って、彼はに「シスターやみんなのこと好きでしょ?」と尋ねた。はしばらく黙って、「すき、」と答えた。 その答えに満足そうに、彼はその小さな頭を撫ぜる。 「それでね、ところがある日、じいちゃんがいなくなって、俺はひとりになってしまったので、」 少し遠い目をして、彼が話を続ける。私たちと同じね、とがそっと言って、そうだね、と彼。 「大きなお家に住み込みで働くことになったんだぁ。そこのお屋敷には眼鏡のお兄さんがいて、俺とおんなじように働いてるお姉さんもいてね、他にもいろんな人が毎日出入りしていてね、それからその子もいたんだよ。」 ―――その子ってだぁれ? 「俺の初めての友達。」 そおっと彼が、囁いた。 お友達?と聞き返されて、うん、そう、と確認するように彼が口の中で呟く。 「その子はお屋敷の子でね、うーんとねぇ、最初はいじめっ子かと思って、俺、それはもう怖がったもんなんだけど。」 ヴェ、と笑って彼が言う。つられても、ちょっと笑う。 「そのうちねぇ、俺、気がついたんだよ。その子って目つきが悪いから、ただこっちを見てるだけでも睨んでるように見えるんだ。その子って力が強いから、ちょっと引っ張られただけで俺、痛くてびっくりしてしまうんだ。その子ってとても、一生懸命大人みたいなしゃべり方、しようとするから、命令されてるみたいに思うんだ。気がついたらなんてことなかった、その子も俺と同じ、子供だったよ。くにのこども。」 くにのこども。 またには、わからない言葉。 「それでね、眼鏡のお兄さんっていうのが、ちょっと…なんていうのかなー、今はそんなこともないんだけど、昔は少し怖かったの。いつも怒ってるみたいで、でもピアノ弾いてる時はやさしかった。そのお兄さんってね、しっかりしてるのにちょっとぬけてて、まああの頃の俺って、泣き虫だしチビだし弱虫だしで、女の子だと思われちゃって、ドレス来てたもんだから、その子も俺のこと、女の子だと思ってて。」 昔話でもやっぱりフェリシアーノの話はたのしい。 やっと半分うとうととしながら、それでもは、いっしょうけんめい聞いていた。 楽しいお話、フェリシアーノはおもしろおかしく、にわかるはずないのにモノマネしたり、眠ってしまったみんな、起こさないように小さな声で、それでもその分大げさな身振り手振りで話してくれる。 まずいご飯に涙がでたこと、ネズミがパンツに飛び込んできてまた涙がでたこと。ご飯抜きで涙がでて、そこにさしだされたご飯がやっぱりまずくて涙がでて。男の子だって知ってるくせに、おもしろがったお姉さんにかわいいドレスを着せられたこと。ピアノに併せて歌をうたって、いっしょに絵を描いたこと。悪戯して怒られたり、離れ離れになった兄ちゃんにこっそり会いにいったり。 どのお話でも、フェリシアーノったら泣いてばっかり。 「…ふふ、泣いて、ばっかりね…、」 眠りそうになりながらそうが笑うと、「ヴぇ〜それは言わないでよ〜。」と笑った彼の、おや、気のせいかしら、目がなんだかぬれているみたい。けれどの体は重くって、噫、ねえ、どうしたの。言葉がでない。 「寝ちゃった?」 起きている。 とてもとても、起きている。 ただその目に光るなみだが、あんまりをびっくりさせて、言葉どころか息まで止めてしまったのだ。 安心したように「寝ちゃったねぇ、」と彼は笑って、それでもぽつりぽつりとひとりごと。ついにはその目はゆらゆらと揺れ始めた。噫、泣かないで。 「俺の、人生で、初めてのともだち、だったんだよ。向こうはそう思ってないのも、女の子に思われてるのも、俺、知っていたよ。でも、嫌われるのがいやで、こわくて、嘘をついた。言葉にして、偽ったわけじゃない。でも、否定もしなかった…僕は女の子じゃない、ってひとこと、どうしても言えなかったんだ。」 そうしてついに、彼のその小さな目から、大粒の涙がほろほろとこぼれてきた。茶色い目玉は涙に溶けて、落っこちてしまいそうだった。涙はぐしゃぐしゃに、歪にゆがんだまぁるい形。とても、とてもきれいな涙。 見てはいけないものを見ている。 私、起きている。起きているのよ。その言葉が出ない。胸につかえて息もできない。 「そのままその子はいなくなった。いなくなった…でも、俺たちって国だから。人とは違う、在り方だから。きっとまだどこかにいるんじゃないかと思うんだ…爺ちゃんと同じに、この世界から"いなくなった"って、認めたくなんてないもの。きっとどこかにいるんだよ。にも、会わせてやりたいな。」 でも、と言って涙。囁くような、吐息よりずっと小さな声。拭うにはあんまりやわらかい。は自分よりずっと年下の子供が、母親を恋しがって泣くのを思い出した。 「でも、俺、こんなに大きくなってしまった。きっと今の俺を見ても、あの子はがっかりするだろうな。」 噫。 は最後の力を振り絞って、言葉を発した。 「だいじょうぶ、」 それにフェリシアーノが目を丸くする。 「ヴェ、や、やだな、、起きてたの〜!」 「だいじょぶ、」 「?」 「だいじょうぶ、だからね…、」 寝ているの?フェリシアーノの囁きは、そうあってほしいと言う響きをしている。穏やかに上下するの胸元を見て、彼は寝言だと判断したんだろう。ちょっとわらって、「そうかなぁ、」と言った。 「仲直り、させてあげるから、ね…。」 あくびに混じった最後の言葉に、彼は今度こそ、くしゃりと笑った。 |