08.絵のない手紙 |
ポストを開けると、真っ白な手紙が届いていた。 なんとなく小さな鳩を見たような気分になる。裏返した差出人の名前はだあれ。 「?」 彼は茶色い目を丸くした。 白い手紙、真っ白な手紙。封を破る。真っ白な便箋。並んでいるのはの文字だ。写真家になったくせに、写真の一枚だって、送ってきやしない。 彼は手紙を読みながら、庭を渡り、裏庭へまわる。緑のベンチに手紙を置き(もちろん石を拾い上げておもしにしていくのを忘れない。)、勝手口からキチンに入ると、温かいはちみつ色の飲み物とそれからひざ掛けと、大きなクッキーの缶を持ってきた。 ベンチに座り、缶のふたをひらく。 まだかすかにのこる甘いにおい。 缶の中には、手紙が入っている。どれもこれも真っ白で、の字。ひとくちその溜息のでるあったかいマグの中身をすすり、彼は新しく届いた手紙を取り上げながら、ベンチに腰を下ろす。 始まりはいつも同じ。 "フェリシアーノへ Chao!お元気ですか?ねえ、今私がどこにいると思う? 「どこだろうな、」 ぽつりと笑って、彼は目をその文の先に落とす。 ――今南半球の小さな島国にいます。今日もお空は真っ青で、海に溶けてしまいそうです。イタリアの空の青とは少し違う、気の遠くなるようなコバルトです。 ――聞いたら(あ、この場合は読んだら、ですね)きっとびっくりするわ。うふふ、赤の広場にいます。イヴァンさんは意外と気さくな方ですねぇ。 ――砂漠の夜は真っ青で、ふいに寂しくなりますが、あなたは毎日楽しく過ごしていますか?今頃ナンパに失敗してたりルートさんにしごかれたりしてるのかしらと考えたら、楽しくなるのが不思議です。 ――知ってますか?南極では太陽は沈まないんですよ。 ――実はまだ日本なの。マルコーニが気に入ったらしくって、もうしばらくいるみたい。京都に昨日は行って来たけれど、1日でお寺を8つみ回って、もうクタクタです! ――アフリカの草原に沈む夕日は、本当に赤いです。スペインのトマトより、ずっとよ。本当です。ずいぶん日に焼けました。 ――この手紙を読む頃には、私はたぶんアメリカなのだけれど…今どこにいるかと言うと、ネパールの奥地です。現地の子供に手紙を託します。ここから1週間かけてシャングルの抜けるのです。なんだか自分の職業が、写真家なのか探検家なのか、わからなくなってきました。おまけに手紙より自分で移動するほうがきっと速いだなんて! ――エッフェル塔のてっぺんて、いい景色です。フランシスさんがよろしく、と。 ――海の上で手紙を書きます。 ――オーロラと氷河の国に来ました。ねえ、見たことある?空全体が、虹になるのです。 ――マルコーニと喧嘩をしました。なのでわたしは、今回の撮影には連れていってもらえず、ひとりマイアミの太陽の下、楽しく観光をしています。別にまたお土産、送っておきます。チビたちと分けてください。 ――エジプト!ついに神秘の国に来ました。なのにピラミッドの真隣に電信柱があって砂漠が駐車場と化していて…あーあ!でも平気です。ファインダー越しに、切り取ってしまえばいいんだもの。 ――今牛に乗っています。結構揺れるので読みにくいのは許してね。インドにいると思った?はずれ、シンガポールです。 ――ここがどことは具体的には言えません。なにせ二百海里水域の、外ですので。とりあえず太平洋よ。 ――ニュージーランド!海底洞くつの青さと美しさは、ぜひ次の写真集を書店でお買い求めください。 ――ついに私も独立することになりました。今フランスの出版社にいます。ええ、弟子卒業なの。私の名前で写真集を出します。世界中の子供たちの写真集です。いつかうちのチビたちも撮りたいのだけど、なかなか帰る暇がなくって残念です。なのでチビの分は、教会を出る前にほら、コンクールで取った一眼レフでとった古い写真を使います。これはこれでなかなか、いい写真よ。 ――ギリシャで私、神話の神々を見ました。 ――弟子を卒業したけれど、結局コンビで組んで撮影に回ってるから、なんだか卒業した気がしません。めずらしく雑誌の誌面写真の話が回ってきました。ハワイ!まったく彼にビーチを撮らせてどうしたいのかしらね! ――子供たちの写真集は、結構好評です。今タイにいます。宿の子供たちが多いしやんちゃでとてもよいモデルになってくれます。 ――スコールって不思議です。あんなにうるさいのに、家の中がこんなに静かになります。 ――ガラパゴスってほんとうにエキサイティング!図鑑でしか見たことのない生き物の宝庫です。子供はいないので私はもっぱらアシスタントだけど。そういえば名字がマルコーニになります。20年も一緒にいていまさら!笑えちゃう。 ――トルコの街角は、ほんとうにアラジンの魔法(あら?アラジンはトルコの話しじゃなかったかしら?ターバンのせいね。)が掛かっていそうです。そこから青い服白い服を着た子供たちがいつ飛び出してくるのかと、私はカメラを構えっぱなしです。 ――中国。黄河ってほんとうに広いです。水墨画の世界が、本当にここにあるのだと、あれは写実絵画だったのだと、ここへきて初めて気付きます。 ――見渡す限り青と緑で、私はここになら埋もれて死んでもいいような気がします。モンゴルの平原。マルコーニは乗馬で腰を痛めました。私は何100キロだって平気で走れるわ!馬ってなんて素敵ないきものでしょうか。 ――彼は腰が痛いのを理由に、日本滞在を延ばすつもりです。 ――北欧の街角ってなんてかわいらしいのでしょう。子供たちもみんなふくふくと温かそうな格好をして、ほっぺたをリンゴに凍えさせています。チビたちは寒がっていない?今年のイタリアの冬は寒いようだから、風邪には気をつけてね。 ――メコン河でイルカを見ました。あの川は黄金の河よ。ほんとうよ、太陽が溶けて流れるのだわ。 ――ナスカ!正直に白状するわ、これは観光です。だって、一度見てみたかったんだもの。 ――シチリア島です。久しぶりの空と海の色だわ!子供の写真集は第五段です。今度は老人も出すつもりなのだけどどうかしら? ――いったい君は何度ドイツに来れば気が済むのかとマルコーニに呆れられるけれど、しかたないです。行きたいんだもの。ここが一番、近いような気もするのだけれど、やっぱり違う気もします。ビールおいしいです。 ――台湾てほんとうに不思議な都市です。魔力が潜んでいるような、そんな気がします。そうそう!なぜかこんなところで、菊さんに会ったわ。日本にずいぶん行っているのに、会ったことがなかったのが不思議ね。 ――シスターのこと、ずいぶん後になってから聞きました。ごめんなさい、 ――ウェールズの古城は時に置き去りにされたようです。草原の緑。お城って少しさびしそうだわ。違う? ――早く次の国へ移動したいです。ご飯がまずい。 また手紙を書きます。 それまで元気で。シスターや子供たちによろしく。 より、愛をこめて" くつりと笑って、彼はもう5つめになるクッキーの缶を閉じた。まったく世界中飛び回っているから、返事も書けやしない。なのに手紙は、雪の積もるように増えた。 そろそろ6つめを、確保しなくっちゃあ。 |