―――彼の話し。
 彼の机はとかく汚い。
 どれくらい汚いかというと、汚い、というより混雑している。ひたすら物が多く、それらの物の脈絡が見えてこない。
 彼のためにひとつ言い訳をしてやるならば、まず代々研究室で使われ、学生に支給される小学校の先生が使っていたような広い灰色の机――それ自体が年月を経て、けっこうガタがきていたりする。支給された時点でけっこう汚いハズレ机があるのも事実なのだ。

 しかし彼の右隣の本田さん(院一回生、米国留学中)の机はというと、丁寧に磨かれ、乗っているものは多いながらも整理されて物を書くスペースもゆったり、小瓶に季節の野草が挿されていたりしてきれいなものだ。
 左隣の森村さん(院二回生、美人)の机など整然としてチリ一つもない。

 その二人に挟まれて、カリエドさんの机の、混沌っぷりを紹介しよう。

 まず一番に目に入るのは、大きな法螺貝と、木彫りの熊ではないだろうか。
 法螺貝は、彼が沖縄の無人島へ仲間と遊びに行った折り、偶然海で拾ったそうだ。感動のあまりその足で古物商に持ち込んで、「これ拾ったの!法螺貝って君、こんな大きな天然物しかも拾ったとかめったないよ!」と絶賛を受け、加工していただき、磨き上げられ立派に赤い紐がついて、しっかり鳴るという代物である。ちなみにその場で10万で買い取ろうと言われたのを断ったという武勇伝付きだ。
 研究室やカリエドの友人らの下宿で飲み会が催されると、大概後日近隣の住民、他研究室から「カリエドの法螺貝がうるさい」と苦情が出る。

 かたや彼のたくましい腕を持ってしても「よっこいせ!」と一声持ち上げる際には気合いを入れねばならないメガトン級の真っ黒な木彫りの熊さん。
 こちらは北海道旅行の際、レンタカーがエンストし、猛吹雪の中、「…あ、俺、死ぬかも。」と本気で思った時の救世主―――ダンプで通りかかった地元の名士だかなんだか、建設会社の社長さんとその後仲良くなり、記念に頂いたそうだ。なんでも、北海道名物木彫りの熊さん作りの中では伝説の名人といわれる人物の手による作品らしい。酔うとなぜかカリエドはこれを抱いて寝たがる。次の日重い熊を腕枕したためにその腕が使い物にならなくなるという逸品だ。

 壁には日本に留まらずスペインやイタリアの絵葉書が重なるように貼られ、中には彼自身の幼い時の姿も見える。
 かと思えばその横には、西行辞世の句が額に入って架けられている。『願はくは 花のもとにて 春死なむ その二月の 望月の頃』 豪快でいてすっきりとした達筆な字は、行き着けの飲み屋で友達になった老茶人の手によるものだそうだ。彼の友人関係の広さは、計り知れない。
 かと思えばスペイン語の手紙が押しピンで乱暴に止めてあったり、土産物屋で見かける三角のカラフルな旗がぴんと止められていたりもする。古今東西のお菓子、今話題のブブセラ、僕らのお友達古語辞典、けっこうな大きさの奈良のマスコットキャラクターの銅像、エトセトラ、エトセトラ。

 そんな具合に、机の上にいるのはもちろん法螺貝と熊だけではなく、真面目に分厚い本や辞典や紙の束もある。いかんせん相当なバランス感覚で積み上げてあるが、彼以外が触ると確実に崩れる。そうして最後に、論文を書くためのパソコンが、半分そのガラクタの山に埋もれるように存在しているのだ。
 それが彼の机。


 もちろん大学院生だからと言って、研究に個室が与えられるなんてことはない。学部も院も、同じゼミの人間が合同で、ひとつの研究室を分け合って使っている。そうしているからには、机ももちろん、隣接しているわけである。
 だから、たまに森村さんに、「き!た!な!い!」と目を爛々と光らせて、彼は怒られる。
「ギャア!なに!なんなん?!ちょ!蘭ちゃん落ち着いて!話せばわかる!」
「これが落ち着いてられるかトーニョの机から虫っ!今虫出てきて私の机に来たの!」
「堪忍!堪忍ってえええ許したって後生やからあああああ!」
「問答無用!」
 合気道段持ちの問答無用は見物だ。
「ぎゃあああああ!」
 悲鳴となにやら崩れる音。
 二か月に一回は見られる光景だ。みんな慣れているので、「おおー、またかぁ。」くらいの反応しかしない。

 はなぜか、問答無用でしばき倒され、問答無用で整理整頓片付けられた後のカリエドに遭遇することが多い。
 この間も、捨てられた様々なものの中から、熊さんと資料と法螺貝と額縁、写真の類だけはなんとかゴミ箱から救い出して、それらを抱えたカリエドが廊下でめそめそしてるところに通りかかった。その様子を見て、またかとだいたいの事情を察したは、手に持っていた買ったばかりのお菓子の中からチョコをあげた。
 でっかい木彫りの熊さんと額縁と法螺貝を抱いてめそめそしているカリエドは、なんとなくかまってやりたくなるオーラを出している。
「うっうっ、ちゃん、おおきに…。」
「先輩…ええと、うん。掃除はした方がええと思いますよ。」
 これも何度か、言った覚えがあるセリフだ。
「掃除…しとるもん…法螺貝やって熊さんやって磨いとるし…旅にでもいかん限り埃やって…」
 そうなのだ。物の量と種類こそ多くてごった返しているが、掃除は行き届いているという謎な状況をした机なのだ。整理整頓のできない綺麗好きなど聞いたことがない。
「…整理はした方がいいですよ。」
「………うん。」

 こっくりと子供のように頷いていた彼ではあるが、数回同じような事件を繰り返し、さすがに懲りたらしい。最近は森村さんとは逆側の、本田さんの机をだんだん侵略していっている。
 こっそりは、本田さん(柔道剣道合気道、弓道そろばん英漢検その他合わせて25段)がアメリカから帰ってきたら、それこそ見物だと思っている。



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