食堂は相変わらず大勢の人間で昼時ともなるとごった返している。
 たまに来るとこれだ。
 人の多さとやかましさに少しばかり辟易としながら、はぐるりと辺りを見回した。見ない顔がほとんどだ、大概食堂を利用するのは新入生や下級生が多い。四回生ともなると、わざわざ混雑するとわかっている昼時に食堂には行かないし(時間をずらすかゼミ室や研究室で済ませる)、この騒々しさの中友人とはしゃぐ若さもない。
 やっぱり止めようかな。
 は少しげんなりした。どうしてもうどんが食べたい気分だったのだが、この際カップうどんでいい。この場にひとりでいるだけで、体力を消耗する。

「おーちゃん!」
 ところがくるりと回れ右しようとしたを、呼ぶ声がした。元気な声だ。
「先輩?」
 おおいと食堂隅のテーブルを占領したカリエドが手を振っていた。机を囲んだ6つの椅子には、それぞれバラバラと荷物がおかれている。
「ここ四人やし開いとるでー!来ぃひんー!?」
 とかく声がでかい。彼のことを知らない他専攻の下級生たちが、ぎょっとしている。なにせ彼の日本語は、流暢なんてもんじゃない。完全に現地人の発音だ。

「行きます!」
 返事をするの声もでかかった。少しカリエドがくつりと笑った気がする。
 と、
 ごん!
「いったぁー!?」
 カリエドが頭を抱えて卓上にうずくまった。カレーの乗ったトレイでたたかれたのだ。
「なんなん!?なんなん!なんで!?」
ちゃんをナンパするんじゃありません」
 森村さんだった。
 今日もさらさらの長い黒髪が美しいが、この美人の睨みほど怖いものもない。

「トーニョ、ナンパ、した?」
 背景にゴゴゴという集中線を背負った森村さんの後ろから、ひょっこり、月の髪が覗いた。
 片言の日本語で、これぞまさしく美しい金髪、ずいぶんと背が高い。青い目にはっきりとした目鼻立ち。まつ毛まで金色で、絵にかいたような、王子様。
 うわあ!は眼を丸くして、ついでにキラキラさせた。
 本来まったく外国籍の方とあまり関係のない学部なのだ。キラキラな外人さん。非日常的な生物との遭遇である。
「Oh!Comment belle Mademoiselle!!ハジメマシテ、コンニチハ、君のオナマエは?」
 うわあ。は口をダブリューの形につぐんだ。がっかりした。
 さっきまでカリエドに向けていたからかうような表情をキリッとさせて、これこそパーフェクトなナンパ顔である。にバラを差し出すようすなど様になってはいるが、一体どこからそのバラを取り出したのか。
「フン!」
 と、また森村さんのトレイが、電光石火で唸りをあげた。
「Aieeeeeeeeee!!!」
 アントーニョに対するより倍以上の威力だった。ものすごい音だった。まったく容赦というものがない。
 なのにカレーがこぼれもしないのが、この女性の恐ろしいところだろう。殴られたほうはと言えば、トレイを机の上に置いた後だったのがせめてもの幸いだった。頭を抱えて地面にうずくまっている。
 しかし彼女は容赦なかった。高いヒールで一度カッと地面を叩き、蹲ったままの彼の前に仁王立つ。

「フ・ラ・ン・シ・ス?」

 彼女のにっこり笑顔も美しいのに恐ろしい。なんでもお兄さんは、高校時代ヤンキーだったとかそうじゃないとか。
「ラン!プリーズ!wait プリーズ!」
「浮気か。死なすぞ。」
「S'il vous plait interpretez pour moi!」
「あはは!キル・ユーやって。」
「Noooooon!!ジュテームラン!君だけをラン!ジュテームううう!!」
 修羅場だ。
 ごくりと息を飲み下したが、ちょっぴり後ずさった、その時。

「ははは、仲良しですねぇ。」

「先生!?」
 教授だった。
「いやぁ無性に天ぷらそばが食べたくて…一人で食堂に行くのは忍びないので混ぜてもらいました。」
 背景に梅の花でもさかせそうな教授ではあるが、その背後ではジャパニーズ・ビューティー対金髪王子の繰り広げる阿鼻叫喚の地獄絵図である。恐ろしい。は教授に、地獄の仏の相を見た。
 森村さんの見事なまでの絞め技が、フランス人で、彼女の恋人らしい彼に、決まろうとしている。合気道ってそんな技あったかしらん。は首を傾げる。

 教授はうきうきと、手に持った天ぷらそばを手に、席に着く。その隣で、やはり慣れているらしいカリエドが、ひょいと顔をのほうに向けた。
ちゃんもうご飯頼んだ?」
「え?…ああ。まだです。」
 うっかり美しいまでの技のキレに見とれて返事が遅れた。
 がふるふると首を振ると、カリエドがにっこりと笑って、「俺もみんなの荷物見張り番してたからまだやってん!一緒行こう〜!」と言うなり席を立つ。「はい、行ってらっしゃい。」 と教授。未だに戦闘は、続いている。
 最後まで見たいような見たくないような。

ちゃん何食べるん?」
 カリエドの声にひかれるように背を向けて歩き出す。
「えっと、うどん食べたなって!」
「あるよな、あのおだしの味が無性にほしくなるとき、あるよな。」
「ですよねー!」
 まだ食堂の喧騒にまぎれて聞こえてくる金髪お兄さんの悲鳴を脳内でスルーしながら、は今日のメニューを眺める。うんうんと頷いてくれるカリエドと談笑しつつ、結局は、かきあげうどんを頼むことにした。カリエドはと言うと食券を買うこともなく、
「おばちゃーん!いつもの!」
 はいよという気持ちのいいお返事とともに、待つこと数分。出てきたのは、『アントーニョくん特製、月見天ぷらキツネそば』である。
「おまけしといかからね!」
 というおばちゃんの笑顔がまぶしい。おおきに!と小銭を渡すカリエドの笑顔もまぶしかった。
 内緒やで、とウィンク付きで、にもかき揚げの横にエビのてんぷらがついた。おいしそうだ。はおばちゃんとカリエドと両方にお礼を言った。カリエドはやっぱり、にこにこと笑っている。


 席に戻ると、教授と森村さんが輝く笑顔で食事をしていた。フランス人のおにいさんは、ぐったりとしている。
「だいじょうぶですか、その人…。」
「大丈夫よ、頑丈だから。」
「愛ですねぇ。」
「やだもう先生ったら!」
 つっこんだら危ない。本能的に察知して、は教授とカリエドの間に腰をおろした。うどんのだしの、良い匂い。おいしそうだ。もう食堂の騒々しさも気にならなかった。

「なあなあ!なんでそばとうどんのときだけ、狐と狸がカタカナになるんやと思う!?」
 ちなみにその話題で、3時くらいまで議論が続いた。




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