重たい本や辞書や、荷物を抱えて歩いていたら、ふいに声をかけられた。 「ちゃんどう思う?」 「え、なにがですか?」 腕の上に積み上がった本からひょいと顔を覗かせると、案の定彼だった。 珍しくカリエドが真面目な顔で唸っている。 しかし場所は中庭、芝生の上に無造作に転がされた石の上。一生懸命腕組みをして、何か考えているらしいのだが、いかんせん、なんとなく緊張感に欠けた。 今日の晩御飯のおかずについてやないやろうな。 は一瞬、勝手にカリエドの抱えているらしい問題を推測する。 「この岩や。」 外れた。 「岩。」 予想と違って、彼の悩みはその腰かけている岩のことらしいが、どうにも、ただの岩である。それをぺしぺしと手のひらでたたきながら、カリエドは何やら考えているらしい。眉間にしわが寄っている。 部屋に飾りたいとか言い出すんちゃうやろうか。 また勝手に、の脳裏に今度は森村さんが浮かんだ。こんな大きな岩、研究室に持って入ろうものならものすごい目に合うだろう。この間の関節技は、もはや素人の域を出ていた。 「その岩がどないしたんですか?」 「それがやな…、」 大きな緑の目玉で、左右を確認すると、それからカリエドがちょいちょい、とに手招きして、内緒話のポーズ。素直にが顔をよせると、日に焼けた大きな手が、すっぽりと彼女の耳を覆った。少しくすぐったくて笑う。 「天狗の腰掛。」 「はい?」 しかし囁かれたのは、ひどく現実離れした言葉だった。 は一回耳を彼の手元から離して、彼の顔を見直す。しかしいかんせん、その顔はいつにもなく、至極真面目なものである。まっすぐその夏の森の色をした目玉が、を見ている。 「せやから、これ、天狗の腰掛らしいねん。」 どこをどうしてそうなった。 そう訊ねたいのを、相手は先輩だ、ぐっと我慢しては「はあ、」 とだけ相槌を打った。相変わらずこの人は、突飛なことを言い出す。 「んー気になるなあ、ほんまやろか。…噂の安藤ゼミに突撃して聞いてみよかな…でも俺、こわいの苦手やし…シャーマンはちょっとなあ…うーん、でも気になるわぁ!」 が黙っているにも関わらず、彼はまだぶつぶつ言っている。 ちなみに安藤ゼミというのは、社会学部のなにかと心霊めいたいわくつきのゼミである。そこへ行けば大概の心霊現象、霊障はなんとななるんだとかならないんだとか。 唸るカリエドを余所に、はいい加減荷物を持ちっぱなしの腕がしびれてきた。 天狗の腰掛だか沓掛だか知らないが、それよりは、今すぐこの重たい荷物を降ろしたかった。 レポートを書くのに、資料が足りないことに気づいて早一刻。借りに行こうと席を立つなり、先生から先輩から、「なに書庫行くん!?ほなついでに頼んでええか?」 と言った具合に、俺も俺も私も僕も。その結果が、これである。の腕の中には、まるでマンガのように、重たく分厚い資料たちが、高く積み上がっているのだ。 正直相当重たいし、これはもう先輩方からお駄賃をもらわねばならないレベルに相違ない。なにせ前が見えないほどに、高く積み上がっているのだもの。 早くこの場から脱出しなくては。 未だ悩み続けているカリエドを見下ろして、は少し、考えを巡らせる。 「…先輩、」 そしてひらめいた。 「ん?」 「天狗様が腰かける岩に、人間が腰かけてええんですか?」 ガバッと効果音つきで、彼は一気に立ち上がった。美しいまでに正確な、気をつけの姿勢。心なしか、顔が青い。 「どどどど、どど、ど、どないしよう…!」 思った通りの反応だ。ちょっとだけは面白くなってきた。まったくこの人と来たら。 「大丈夫、モーマンタイです。天狗さんもきっと広い心をおもちでしょうから、きっと許してくださいます。さあ!ほなすぐここを離れましょう!」 「せやな!せやんな!天狗さんほんま、すんませんでしたアアア!あ!ちゃんそれ俺持つでー!」 「あ、どうも。」 ここから離脱する気はあったが、持ってもらおうなどとは思っていなかった。 なんだか悪い。慌てては遠慮したが、どこ吹く風、ほとんどすべてたくましい腕がさらっていってしまった。の腕には申し訳程度にちょこんと一冊、古い本が残っただけだ。タイトルはずばり、『天狗の座』。 誰が借りたんだこんな本。 カリエドはと言うと、先ほどまで唸っていたのも忘れたように、鼻歌交じりにスタスタと歩いて行く。 「まったまたぁ…、」 手の中の本を見下ろして、がつぶやく。いくらなんでもタイミングが良すぎるだろう。 「ん?ちゃんなんか言うた?」 「…とくになにも。」 なんとなく、がチラリと岩のほうを振り返ると、男の子が座っていた。下級生らしい、リュックを背負った線の細いきれいな顔をした男の子だ。ふいにと、少し目が合う。その口が音もなく開いて――― こ こ ろ の ひ ろ い て ん ぐ さ ま で よ か っ た で す ね 。 んんん? 「またまたぁ…、」 「ん?」 「なんでもないでーす!はい!」 |