夏になると、彼はいつも足の高い下駄をこのんで履く。
 そのため彼が廊下を通ると、カランコロンと音のして、すぐにわかる。

「やあ、今年もいい音させてますねえ。」
 教授が扇子で顔を仰ぎながら、おっとりと廊下から近づいてくる足音に笑みを漏らした。
 チリンと窓辺で風鈴の音。蝉もジワジワと鳴いている。カランコロンカラン。近づいてくる音。
 確かにいい音だ。女性の履く、踵の固い高い靴がさせるのとは、まったく違う。まず情緒というものと、日本の湿度をこの音は持っている。それから夏祭りに続く、陽気な静けさと。うきうきするような、夏のにおい。

 裸足で突っかけられて、涼しくって、脱ぐのも履くのも楽ちんで、木肌がすべすべしてひんやり気持ちよくって、それからやっぱりうきうきするやろ。

 履いているカリエド本人も、その理由を尋ねられるとそう言う。
 藍の鼻緒に、白木拵の、二本の歯をもつ下駄は、下駄と言われればだれもが思い浮かべるような形状をしている。ただその寿命はひどく短い。カリエドは、夏ごとに新しい下駄を下ろすのだろいう。
 アスファルトの道、石畳、廊下、とわれわれ現代人の歩く道というのはとかく堅いのだ。
 歯がすぐ擦り減ってしもうて。と彼は笑う。
 なんとなくさびしいですね。そうやろか。そうとちがうんですか。わからんなあ。
 カラカラとした笑い声。
 夏が終わったらしまってしまう。夏が終わったら歯は擦り切れてぼろぼろで、さようなら。やっぱり少し、さみしいような。


「カリエドただいま帰りましたー!」

 ひょこっとドアから彼が顔を出す。
 おおーと歓声をあげて、部屋のなかにいた数人がみな作業を止めてそれぞれお腰を上げた。もムンと背伸びをしてから立ち上がった。窓からふうっと風が通ってほっとする。

 今日はクーラーがつかない。
 工事だと言うのを、うっかり忘れた教授を含む面々は、休日だというのに真面目に学校へ来て、そして、クーラーがつかないということに愕然とした。
「休みの日のがっこなんてクーラーあたりに来とるようなもんちゃうんかー!?」
 カリエドの叫びは全員の言葉を代弁していたと言っても過言ではあるまい。窓を全開にして、それぞれ団扇や扇子、下敷きを持って。窓辺では風鈴の音だけ暑さなんて知らないように。
 午前中の内は、風流でええやんね、エコやんね、なんてまだ言い合って笑えていた。
 しかし、じりじり太陽が昇るのに比例して気温はあがり、正午も回ったあたりから、とんと口数が減った。それに反比例して、冷蔵庫開ける回数ばかりが増える。ペットボトルの消費量も、増える。
 やがて誰からともなく我慢できなくなって、熱に浮かされ、何がどうしてじゃんけん、ポン。
 見事な独り負けで、カリエドさん、アイスクリームを近所のコンビニへ買いに行く係りになった。

「俺ひとりで行かせるとかほんま鬼いいいい!悪魔ああああ!!」
「おートーニョ俺ハーゲンダッツなー!」
「お前なんかガリガリくんで十分やドアホ!」
 そんな会話を窓越しに繰り広げて、彼はカランコロンと下駄を鳴らし、炎天下の中、背中を丸めて歩いて行った。

 その時は唇を尖らせてブツブツ言っていたのに、帰ってきたらご機嫌だ。
 こっそり心配していたは、なあんだと肩を撫で下ろす。ほんとはついていってあげるべきか、悩んだのだ。しかしついていけば、なんやかんやとほかの先輩が、うるさいに違いない。良心と羞恥心がせめぎ合っているあいだに、カリエドはさっさと行ってしまった。
 だから少しばかり、気が咎めていたのだ。

「ほらな。言った通りやろ。」
 ちょっと笑って、隣の席の先輩がドアへ駆け寄って行った。
「おおートーニョ!おおきにー!我が友よおー!ああっ俺のハーゲンダッツ!」
「アホ言え!お前にはこれや!」
「っちょ!ホームランバーてお前ガリガリくんよりレベル下がっっとるやないかアホー!」
 どっと笑い声があがっている。

 コンビニで涼んでちょっと気分よおなって、アイス買うとるうちに、あいつ、世話焼きやからな、俺たちが待っとると思たらたのしなって、機嫌もなおって帰ってくるで。下駄も履いとるし。
 ひとりで出て行ったカリエドの後ろ姿にオロオロしていたに、こっそり耳打ちしてくれた先輩の言うことに、間違いはなかったらしい。

「ほらー!みんな待っとったんやろー!はよせな溶けてまうでー!」
 それに教授が、「私のハーゲンダッツは?」 と雪見大福を頼んだくせにとぼけている。

ちゃんほら!買ってきたでえ!何でもええ言うてたからパピコー!」
 俺とはんぶんこなー!太陽の笑顔で笑われて、先輩たちのニヤリと言う目。でも残念、もう今日は羞恥心はお休みです。




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