「ううん、」
 また彼が悩んでいた。
 よく悩んでいるところに遭遇するなあとひと事のように思いながら、はカリエドの隣に腰を下した。ここは食道の外のベンチである。
「先輩どうしはったんですか?」
「んー?悩んでんねん。」
「いや、見たらわかりますけど。」
 そう言ったに、そりゃせやな、とアントーニョが腕を組みなおす。いつになく真剣である。少なくとも、天狗の腰掛のときとは雰囲気が違う。あの時も真剣だったといえば真剣だったのだが。

「どないしたんですか。」
「うーん、ちゃん、俺のテーマ知ってるな?」
 これはどうやら本格的かつ難解なお悩みのようだ。
 かたや大学院の二回生と学部の四回生。これは相談されたところでお役に立てるのだろうか。はごくりと息をのんで背筋を伸ばす。

「きんかいわかしゅう。」
「あたりや。はい!成立は!」
「えっ!ええーと、鎌倉時代!」
「あたりです!ええ子やねーよお勉強しとるなー飴ちゃんあげよう。」
「あ、ありがとうございます!」

 これくらいは当たり前のような気もしたが、とりあえず受け取っておく。
 ジーンズのポケットから飴を出してくるとは、さすが関西の…お兄さん。本来飴ちゃん常備といえば、関西の妙齢の女性の特徴であるが、彼もそうだったらしい。
 がもらったのはレモンの飴玉。ロゴが見たことがないから、彼の生まれ故郷のものかもしれない。時折かれは、あちらの親戚が送ってくるのだと言って、珍しい異国のお菓子をくれる。

 それをてのひらに握って、はふたたび姿勢を正す。なにせ珍しく、カリエド先輩の研究のお話が聞けるのだ。
「鎌倉の貴族は…、」
「はあ、」
「こう、な、武士にこう政権を源平以来乗っ取られてやな、」
「はい。」

「平安の夢を見た思う?」

 一瞬緑の目しか目に入らなかった。
「へ、」
 ぽかんと呆けたに、カリエドがニカと少し笑う。
「見たとも思うんやけどな。」
「はい、」
「地方に落ちれば、そこの豪族とかからようこそ!京都の貴族様あああ!うち泊まってってえええ状態でもあったわけや。それでも京都がめっちゃ恋しいわあ!っちゅうて嘆いとくのが亡都の貴族スタイルやろ?」
 よいしょ、と立ち上がると彼はお尻をパンパンとたたいた。
 ベンチの下に猫がいたらしい。なお、と鳴いてカリエドの足に少し頬をすりよせると、するりとどこぞへ駈けていった。うーんと彼は背伸びをして、首を鳴らした。
「んー!悩んでたら腹減ってきたぁ!」
「あ、はい。」
 思わず相槌を打ったら、「やんなあ。」と深く頷かれた。
「俺購買行ってくるわぁ。ちゃんも来るか?」
 今度は反射で首を横に振る。
 そうかあ。と頷くカリエドの雰囲気がいつもと違う。たぶんこうやって、会話していることすら気づいていないに違いない。夢見心地で、彼は鎌倉の詩人たちを考察している。
「でやろなーわからんなーうーん。」
 ほなちゃん、またなあ。寝言のような、ひとりごとだ。
 そのまま悩みながら、購買へ行くといいながらまったく逆方向、どこへ行くのか自分でもわかっていないに違いない。行ってしまった。
 下駄の響きだけカランと残って、なんとなく、あっけにとられたが残った。
 いつの間に戻ってきたのか、猫、にゃあと鳴く。




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