「ついてこないでください!」 ポコポコ怒りながら早足に歩くピーターくんの後ろを、同じように不機嫌な顔のアーサーがついてくる。お前と来たらまったく、目を離したら四六時中悪さしかしない、だのなんだのと口の中でなにやらぶつぶつピーターに対する文句なのかお説教なのか良く分からない呪文めいた独り言を呟いているが、ピーターは慣れたもので思いっきり無視する。 まったく何だってついてくるのだ。 きっと暇なのだろうと当たりを付けて、ピーターはげんなりする。 お仕事お仕事と忙しい身であるのだから、とっとと帰ってその大好きなお仕事をしていればいいのだ。だのにこうしてピーターの夏休みだからとかいう良く分からない理由で、こんな何もない辺鄙な田舎の港町にバカンスに来る。ひと月いると昨晩の夕飯の席で、さぞピーターが喜ぶだろうとでも言うようにもったいぶって発表されたその事実に、当の本人はめちゃくちゃショックを受けて思わずフォークを取り落としたほどだった。一か月! それはなんて絶望にも近い響きだったろうか。 ひと月なんて言ったら、ほとんど夏休みぜんぶだ。そんなに長いこと、この“おじさん”と毎日顔を合わせなけりゃならないだなんて一体なんて悪夢だろう。 ピーターにはピーターなりの、楽しい夏休みの計画ってものがあったのだ。 例えば岬の水辺をぐるりと回って海の先に見える半島の先まで行ってみることだとか、ツバメ号とアマゾン号の乗組員みたいに大人のいないところでキャンプをしたり、もちろんサメを釣ってバターでソテーするつもりでいたし、きれいな虫を集めて標本箱だって作るつもりだ、それからバターとジャムのサンドウィッチだけ食べて暮らすだとか、マリーンの日傘で空を飛べるか実験したり、シーランド号をもっと居心地の良い秘密基地にするためにマギーおばさんの手伝いをする代わりに古い毛布とクッションを貰う約束を取り付けてもいた。 「ひと月はいるつもりだ。」 もともとピーターがここへ来る前から、アーサーはこの静かな港町へひとりでバカンスへ来ていたという変わり者というかぼっちであるけれど、一か月、というのは異例の長さらしかった。 フォークを落っことしてげえと正直に眉をしかめたのはピーターで、「あらあら、」と驚きながらマギーおばさんは食材が足りないと考えていたに違いなかった。もちろん滞在する間のお礼は、“良いところの”旦那様であるアーサーがたんまり払ってくれるのだから文句はないだろうけれど、なにかと面倒がかかるし気を使うことであるには違いない。 「随分長くいらっしゃるんだねえ、」 と食後にお皿を洗う手伝いをしていたピーターに、おばさんがこっそりと溜息を吐いたのは秘密だ。なにせアーサーと来たら、いつ、どんなところでもロンドン式の、“優雅な”日常というものをなぞりたがる。きっと世界最後の日だって、変わらずに日常生活を送ろうとするに違いない。朝起きて顔を洗い、庭の植え木と花々に水をやって朝刊をとり、紅茶と片面よく焼きのトーストのブレックファスト。株価の動きと経済面をチェックして、それから髪を櫛削り、三つ揃えの背広を着て仕事に出かけ、帰ってきて夕刊を手にネクタイを緩めて着替えをし、それからディナーを食べて、ゆったり紅茶を呑みながら新聞を読んでレコードを聴き、シャワーを浴びて、それからふかふかの布団で眠るんだろう。そうして0時の鐘と同時に、世界が終ってしまっても、アーサーは満足に違いない。 ピーターには、とかくアーサーという人がまったくもって宇宙人よりよくわからない、というか解せない。やることや考えることは、なんだか手に取るようにわかりやすいように思えるのだが、だからと言ってそれらの考えや意見に賛同できるかと言ったら答えはもちろん「クソくらえ」で、なのにそのアーサーはピーターに構おうとするのだから仕方がない。 いっそほっぽいてくれればいいのにと思うのに、こうして時々、思い出したように現れてはアーサー曰くの“叔父”らしいことをしようとするのでたまらない。 ピーターに言わせれば、都合のいい時だけそれらしいことしてりゃあいってもんじゃないですよあんたバカですか?だし、アーサーに言わせれば、忙しい合間を縫ってこうしてわざわざ会いに来てやっている、のだ。そもそも根本から、分かりあえる気がまるでしない。 世界の終りにピーターなら、きっとそれをなんとか食い止めようと闘って、それできっとなんとかする気でいる。 ズンズン歩いていると、すぐにあの丘が近付いてくる。今日も木の下にマリーンはいて、ピーターを見つけてちょっと胸の前で手を振っていた。 それにブンブンと大きく手を振り返したあとで、ピーターはピタリと立ち止まるとサッと後ろを振り返る。もちろん目線の先には、ピーター以外の誰もがきっと十数年後にはピーターが彼そっくりに成長するに違いないと思わせる立派な眉毛の男が立っている。校長先生に牧師様を優に凌ぐ、彼の最大の敵だ。 「いい加減についてくるのを止めるですよ!」 「ハァ!?誰もお前についてきてねえよ!散歩中だ散歩ォ!」 「それならもっと向こうの方を散歩してこればいいじゃないですか!ピーターくんは今から用があるんですから、テメーに構ってる暇なんかないですよコノヤロー!!」 その言葉にピクリと眉をしかめて、アーサーが声低く小さな音量で「あの女か。」とうなる。もちろんそこに、お堅い大人たち特有の無用の心配というよりも思い込みの激しい失礼極まりない憶測がたっぷり含まれていることをいち早く察知して、ピーターはやっぱりこいつが心底嫌いであると確信する。 嫌いだ! 「くたばれこのムッツリアーサー!!」 むっつり、という言葉にショックを受けているらしいアーサーと、その大きな暴言は風に乗るまでもなく耳に届いたんだろう。木影でくすくすとマリーンがわらっている。アーサーの耳がカッと赤くなった。 良い気味。 「彼女がいないからそういう下世話なことしか考えらんねーんですよ。」 言ってやった。 口をパクパクさせて怒り心頭なアーサーを振り向きもせずに、ピーターは得意満面でくるりと背を向けると丘を駆けのぼり出した。 「マリーン!逃げるですよー!!」 元気いっぱいの声に「ええ?」と笑いながら、それでもマリーンも軽く駆けだした。もちろん高い踵の靴にワンピースのお嬢さんだから、そよ風のような優しいゆっくりとした駆け足だ。 「どこまで逃げるの、」 あっという間に隣に並んだピーターをくすくす笑って見下ろしながら、マリーンは少し丘を振り返る。アーサーが真っ赤な顔で右手の拳を上げていて、マリーンがちょっと手を振るとそのまま石化してしまった。やるな、マリーン。 「とりあえずあいつを撒いてまた戻ってくるですよ!」 今日はシーランド号に隠してある虫めがねが必要なのだ。大きな蟻の巣を見つけたので、観察することに決めている。 「そうね、私もあんまり離れると、あの人が来たら困るから。」 不思議な微笑でそう言って、二人は緑の芝生から砂色の小道に躍り出た。ピーターくんはこっち、と左を指差し、じゃあ私はこっち、とマリーンが右を指差す。 「じゃあまたあとで!」 二人の言葉は重なった。 なんだかお腹の底からぽこぽこ楽しく笑いだしたい気がして、やっと後ろから追いかけてきた声なんてきっとあっという間に撒いてしまえるだろうとピーターは思った。 |