なんでマリーンの家にいたのかいくら聞いても、アーサーはなにやら気持ち悪く照れてもごもごごまかすばかりでてんで相手になりゃしなかった。もちろんその気持ちの悪い様子にピーターはすぐ飽きた。そんなことよりも、そう夏休み。夏休みだ。秘密基地に冒険に、やることが山積みだった。
 もうこの際アーサーは無視して、自分の計画を完遂することに集中しようと、ピーターは開き直っていた。
 それだと言うのにこの叔父ときたら、やはりろくなことをしでかさない。
 お蔭でピーターの機嫌は、朝から急転直下、海抜ゼロメートルなんてとっくに通り越して、地球の真ん中、マグマが大噴火、だ。
 マギーおばさんから聞きだしたに違いない。
 朝起きたら、アーサーがむっつりと不機嫌そうに、けれどもどこか恥ずかしそうにニヨニヨと動く眉毛をおさえきれない様子で、「ん。」と大きな荷物を差し出してきたのだ。
 ふかふかの毛布(真っ青な海と空に、白いヨットの絵がついていた。)に、手縫いで細かに刺繍が施してあるらしいクッション。それを見た瞬間、ピーターはぎょっと目を丸くして、横から頭を思いっきり、見えないトンカチでブン殴られたような気になった。
 マギーおばさんの家の物置部屋で見つけた、古くなって襤褸という言葉が似合う毛布とクッション。お手伝いをするという約束で、貰い受ける約束をした。針と糸で、クッションの綻びを繕おうと、ピーターの手にはまだまだ太くて大きな縫い針と、赤い糸を一巻き、こっそりマギーおばさんの裁縫箱からすでに“借りて”もいた。

「な、なんですか、それ。」
 平坦で少し震えているピーターの声が、感激しているとでも思っているのだろうか。アーサーは別にお前のためじゃ、なんてなにやらブツブツ言っている。
「見ればわかるだろう。」
「だから、なんのつもりですか、って聞いてるんです。」
 その低くなった声音に、やっとなにか、ほんの少しばかりの違和感を感じたらしいアーサーが、少し立派な眉毛を寄せる。
「欲しかったんだろう。」
 そう言ってアーサーは、きょとりと不思議そうに首を傾げる。どうしてピーターが、わあい叔父さんありがとうと歓声を上げて喜ばないのか、本当に心底、意味がわからない、というように。
 どうしてわからないのだろう。
 正解は、呆れて言葉も出ないのだし、それ以上に、ピーターは打ちのめされていた。ブルブルと俯いて震えだしたピーターを、やっぱり感激していると思い直したのか、そうか嬉しいか、なんてアーサーが的外れなことを言ってる。それも気にならないほどに、ピーターは、今、それこそボロボロの毛布みたいに、立ち直れないほど叩きのめされていた。
 暗い物置部屋で見つけた、元は白かったんだろう、薄汚れて灰色の、擦り切れた毛布。懐かしいこと、私が女学校に行ってた頃に作ったのよとマギーおばさんが目を丸くした、元はキルトのパッチワークらしいおんぼろのクッション。
 それはピーターが、知らないお家を探検して、見つけた、確かに宝物だったのだ。
 それなのに今、ピーターの目の前には新品の、それも上等の、少しばかり子供っぽいが、男の子なら誰でも欲しがるようなヨットの絵がついた分厚いふわふわの毛布に、それからこっちは、きっと女の子が欲しがるんだろう、ぴかぴかの、細かいカラフルな刺繍が施してあるまん丸くてふかふかのクッション。
 あんまりだと思った。
 こんなにピカピカの、真新しい、上等な、馬鹿みたいな贈り物。忌々しい、これのせいで、ピーターの見つけた毛布とクッションは、いっぺんにぺしゃんこになって、魔法を失ってしまう。
「毛布とクッションはどうしたですか。」
「え?…ああ、これはなに、一昨日マギーおばさんにチラッと話を聞いたもんだから、仕事で取り寄せなきゃいけないものがあったからな…ついでだぞ!ついで!お前のためじゃない、俺が」
「違う!」
 ピーターは地団太を踏んで、ついには叫び出していた。
 その声にマギーおばさんが、おろおろと台所から顔を出す。
「ピーター坊っちゃん、ごめんなさいねえ、一応、止めたんですよ。」
「なにが違うって言うんだピーター、」
 すまなさそうなマギーおばさんの顔と、心底理解不能というアーサーの、機嫌を損ねられた顔が並ぶと、ますますピーターはみじめになった。
「違いますよ!ピーターの!毛布とクッションは!」
「ここにあるだろう!」
 チラリとマギーおばさんの目が表に向かったのをピーターは見逃さなかった。
 アーサーが捨てたのだ。或いはアーサーに、そうしろと言われたマギーおばさんが。
「ピーター!」
 止められるのも構わず、ピーターは坂を転がる塊のように家を飛び出した。バタンと背中で乱暴に扉の閉まる音。構わずすぐに家の後ろへ回ると、ゴミ箱を開ける。
 ピーターの毛布とクッションが、ゴミに相応しい姿で、一番上に放り込まれていた。
 小さな手で、しずかにしずかに、大きな毛布とクッションとを、ゴミ箱から取り出した。ぼろぼろの毛布。破れたクッション。どちらも灰色で、ひどいもんだ。まるでゴミだ。目の前で真っ青な海に白いヨットが、チカチカと点滅している。刺繍の模様が嘲笑うみたいに頭の隅っこを通り過ぎた。
 ああなんて、なんてピーターは世界で一番みじめな男の子だったろう。
 震えて言うことをきかない腕で、一度毛布とクッションを地面に叩きつけた。知らないうちに、頬を涙が流れていた。しばらく地面に打ち付けられたごみを眺めて、それからのろのろと、拾いあげた。
 ポツン、と頬に雨が当たった。
 ぎゅっとおんぼろを抱きしめて、それからピーターは家に背を向けると一目散に町の外に向かって駈け出した。
 もう二度と帰らない。
 そう思った。


「どうしたの、ピーターくん。」
 雨は小雨で、空に虹だけかがって、止んでしまっていた。
 明るい雨上がりの丘に、やっぱりマリーンはいて、ぼろぼろ布切れを抱えてぼたぼた涙を流しているピーターを、目をまん丸にして見つめていた。よかった、いた、と思った。ひょっとしたらマリーンは、別れ際、あんな風に言ってくれたけれど、やっぱりもうここには来てくれないのじゃないかと、心のどこかでピーターは思っていたのだ。
「マリ、ン、」
 呼ぼうとする声が引き攣った。うまく呼吸ができない。ひ、と喘息の発作みたいな呼吸を繰り返すピーターの前にマリーンは膝を付いて、「どうしたの、」と優しく微笑んでいる。雨粒にぬれたやわらかい草の上に、マリーンの白い膝がある。今日のワンピースは、細かい青と白のストライプ。雨だれ模様ですね、なんて言葉、今のピーターにはとても言えそうになかった。ぼろぼろに打ちのめされた、世界一みじめで不幸な男の子は、つまり、さらにみじめに、逃げ出して来たのだと彼には思えた。
 次ぎから次へと涙がこぼれて、喉の奥がひきつれるみたいに痛い。
「う、う、」
 瘧のように震えながら、体を固くしていると、ふいにマリーンのきれいな手が、襤褸をひっつかんだままのピーターの拳を上からそおっと包んで撫ぜた。おやすみなさいを言った後で、毛布の上から体を叩く、その優しい動作にとても似ていた。
 ぼろっっとピーターの目から大きな大きな涙が落ちて、うわああん、と声を上げてピーターは泣き始めた。今度は体がふにゃふにゃになって、そのままそこにへたりこんだ。わんわん泣き続ける間、ずうっとマリーンはピーターの、背中を撫で続けてくれた。
 空にはまだ虹が出ていた。









(20120329~)