アーサーって思ってたより悪いやつじゃなかったのかしら。 よくわからないのだけれど、一応冷戦状態を解いたピーターは、なんでだかわからないけれど大泣きしてしまったことが恥ずかしくって、おじさんと顔を合わせにくい。それを泣かせたことでますます嫌われたのでは!?と絶賛勘違いのアーサーおじさんとの溝は、埋まったのか深まったのか、まったく謎の部分ではあるが、少し距離が縮まった、ような、気が、するだけだろうか。まだ気を許してはいけないという部分と、ちょっとは信用してやってもいいかな、という部分とかなんとなくお互い譲歩し合って、なかなか先に進まないのが現状だ。 「あ〜〜〜…、」 家にいてもなんだか今までとは違う意味で息が詰まる。 枝の上でだらしない声を上げているピーターに真夜中の台所での顛末を聞かされたマリーンは、よかったじゃない、とくすくす肩を揺らしている。 「だんだんそうやって、少しずつお話してご覧なさいよ。」 「う〜〜ん、でもやっぱりあいつとは根本的なとこはぜってーわかりあえねえ気がするですよ。」 「そりゃそうよ。」 きょとん、としてマリーンが屈託なくわらう。 「他人だもの。」 その言葉はなんとなく寂しく、でも、どうしようもなくほんとうのことだと言う気もした。血が繋がってたって、どんなに仲が良くたって、心の色も形も見えないように、その人の“本当”には、本当に触れないのだ。 「割り切ってますねぇ。」 「ピーターくんより、少しは大人だもの。」 そういうもんですかねえ、プラーンと枝に逆さにぶら下がって、ピーターは唸り声を上げた。どう考えても、いまさら態度を改めるには遅い気がするしその気もない。アーサーがどうやらピーターと本気で家族になりたいらしいと言うことはわかった。母のこと、嫌いじゃないのだってことも、きっとピーターのことも、嫌ってないのだということも。だからと言って、いきなり第一印象から気に入らないおじさんをいきなり好きになれるかなんて言われたらどだい無理な話ではある。けれども現金な話、心底嫌われていないなら、ある日突然、やっぱりお前なんていらないと、ポオンと放り出されることもないだろうと分かって、少しばかり安心している自分がいるのも確かだ。一人で生きていかなきゃいけないと、どうしようもなく決意していたのだけれど、そんなことができるほど大人じゃないことも、ピーターはもちろん知っていたのだ。誰か大人の世話にならなきゃ生きていかれない。それはピーターにとって、とても歯がゆい現実だった。かと言って絶対に、気に入らない大人の前でいい子ぶったり相手に気に入られようとすり寄ったりするのはもっともっと嫌だったから、いつ放り出されてもいいやという半ば投げやりな無謀さで、素直に振舞うしかできなかったのだ。そうだ、本当はいつも、どこかでビクビクしていた。お前なんかいらないと、言われたらどうやって生きていこう。ピーターの知っている親戚は、アーサーだけだったのだ。だからどんなに気に食わなくても、腹が立っても、喧嘩しても、アーサーに付いていく他はなかった。アーサーだって自分のことを、面倒なお荷物だとしか思っていないと考えていたから、まさかそのアーサーの方が、ピーターに譲歩を見せるとは思わなかったのだ。 そう簡単に性格も方針も変えられるものではないが、このままではどうにも自分が子どもな気がしてもやもやする。どうしたもんか。悩めるピーターくんを尻目に、空も海も真っ青だ。もう夏休みも終わってしまうんだなあ。 なんとなく、ピーターの心の中もぽっかりと広がって今日の空みたいだ。 空っぽ、ではないのだけれど、どこまでも高く遠くに広がってとりとめがない。 「宿題やらなきゃですよ…。」 なんとなく口から飛び出した言葉に、マリーンがあらと目を丸くする。 「宿題なんて、出さないつもりかと思った。」 「ちょっとやってるの手伝ってくれたじゃないですか。」 「新学期からは学校に行くつもりになったの?」 今までだってたまには行ってましたよ、とピーターが口を尖らせると、そうだっけ、とおかしそうにマリーンが笑った。まったく人のことをなんだと思ってるのかしらん。 「ず―――っと夏休みならいいのに。」 「…そうね。」 ピーターの声は海と空の境目に吸い込まれていった。重なるみたいにマリーンの声。 もう一週間もしないうちに夏休みは終わって、アーサーはロンドンへ帰るし、ピーターも学校が始まる。少しだったら行ってやってもいい。虫の標本はよい出来栄えだし、そろそろ街の学校で習った範囲を、この田舎の学校も追い越す頃だ。夏休みが始まった頃は、ひと月もいるのだというおじさんにさっさと帰って欲しくて、早く夏休みが終わればいいと思っていた。でもアーサーがピーターのこと、嫌いじゃないなら、口うるさくしないで、偉そうにもしないなら。もう少しここにいたっていい。夏休みが、ずーっと続いたっていい。 「私ね、夏休みが終わったら、ロンドンに帰るの。」 「えっ!」 初耳だった。マリーンは海の方を見てばっかりいる。 「私も学校が始まるからね。いい加減復学しないと、退学になっちゃう。」 学校、行ってたんですか、と訊きたくて、でも言葉がでなかった。なんだかマリーンは永遠に、いつまでもいつまでも、この丘の上、この木の下で、来るあてのない誰かさんを、待ち続けているような気がしたのだ。 「……まだ来てないじゃないですか。」 ようやく絞り出された言葉に振り返って、マリーンがちょっと困った風にわらった。 「そうね、」 言ってしまってから、言わない方がよかったのだと気付いた。 「…そうね。」 マリーンの目は海の色、している。 |