夏の終わりの嵐だった。 朝からすごい雨と風で、小さな港町の家と言う家、全部が雨戸を閉めて閉じこもっている。びょうびょうと吠える海鳴りは、なんだか怪獣の泣き声みたいだ。夏休みも明日で最後なのに、ついてない。 ガタガタ鳴る窓を眺めながら、ピーターは溜息を吐いた。 明日ロンドンへ帰るのだと言うマリーンと、お菓子パーティーをする約束をした。マギーおばさんに昨晩からクッキーやパイを焼いてもらったのに、それもさっきからピーターのお腹にぽつぽつと収まりっぱなしだ。この雨じゃ無理ね、と朝電話をもらったのだ。じゃあピー君がマリーンの家に行くですよ!という提案は、風に飛ばされちゃうわよ、と却下された。もちろんマリーンがこちらに来てはどうかという提案も、同じ理由で却下だ。つまらない。 お昼も食べて、三時のおやつも食べて、でもたくさん作ってもらったお菓子はまだ減らない。今日ばかりは、晩ご飯を食べられなくなるからと止められはしなかったので、だらだらとピーターはお菓子を食べている。 「手紙でも書いたらどうだ。」 アーサーにしてはまともな提案だったので、ピーターはお菓子を両手に抱えて部屋で手紙を書くことにした。 「マ、リ、ー、ン、」 書きながら青い鉛筆の先をちょっと舐める。何を書こうかな。いつかの毛布とクッションのお礼とか、もしもロンドンでアーサーがちょっかいかけてきたら怒鳴ってやるからすぐ電話しろってこととか、またこの町に来ることはあるのかとか(ないと言う返事はもちろん許さないつもりだ)、書きたいことはいろいろあるのだけれど、なんだか改まって書くというのは恥ずかしい。 いっそこの嵐が三日三晩続いて、マリーンが帰れなくなってしまえばいいのにな。思いついてみると、それはなんだかとても素敵なことに感じられる。マリーンだって、ほんとは帰りたくないに違いないのだ。だってマリーンはまだ、待ってる人に会えてないもの。嵐で帰れなくなって、いつまでもこの町にいることになればいい。 そうしたらいつまでも、マリーンも木の下で、誰かさん、待っていられるだろう。 初めてマリーンを見つけた時を思い出した。 木の下に白いワンピースを着て、まっすぐ立っていた。海の方をじっと見て、風に吹かれてた。つばの広い麦わら帽子には白いリボン。少しヒールの高いサンダル。肩よりも長いブラウンの髪の毛。何をしているのかと言う問いに、人を待っている、と答えたマリーン。毎日毎日、飽きもせず懲りもせずに木の下に来た。ピーターみたいな子どもにも、時々容赦なく真実を言ったし、けれどもだいたいほとんどすごく優しかった。校長先生や神父様相手の見張りだって引き受けてくれたし、お菓子をくれて、それからゴミ同然の毛布とクッションを魔法みたいに蘇らせてくれた。暇ですねというピーターのちょっとした意地悪をものともしないで、毎日毎日やってきてはピーターに付き合ってくれた。町長さんの姪で、お屋敷に住んでて、メイドさんが二人もいて、ああ、もらったキャンディー、美味しかったな。雨の日だって濡れて冷えて真っ白になって、それでも木の下に立っていて…。 そこまで考えて、ピーターはガバリと身を起こした。 カンカン照りの日も、雨の日も、マリーンは木の下で誰かを待ってた。じいっと待ってた。蒼褪めた顔をして、迷子みたいな顔をして、なんだか泣きそうな顔をして、お葬式の歌をうたっていた。 窓の外で風がごうごう唸り始めた。ひどい嵐だ。木が折れそうな音を立ててる。雨漏りが大変だと、マギーおばさんがお鍋を両手に二階を走り回っているし、アーサーもその手伝いでゆっくりするどころじゃあない。 マリーン。 ピーターは少し迷って、それからさっと立ち上がった。 こんな嵐の中なのだ。 ピーターは黄色い合羽を引っつかむと袖を通した。まったくなんだって、ピーターよりも年上のくせに、世話が焼ける。ぜったいマリーンはいる。確信があった。まったくどいつもこいつも、ピーターの周りにいる大人というのは、馬鹿が多い。 子どもが面倒みてやらないといけないなんて、まったく仕方がねーですよ。 玄関の扉を開くと、ゴウとすごい雨と風が吹き込んできた。隙間から覗きこんだ外の様子はいつものまるで違っていて、木の枝やらゴミやらが、風に飛ばされて狭い通りを駆け抜けていく。一度ごくりと唾を呑んで、それでもピーターは狭い隙間から体を扉の外へ押し出した。足元が掬われるような横殴りの雨だ。さっそく転んで、でも起きあがる。 母親が泣き出すと、慰めるのはいつだってピーターの役目だった。 大人と言うのは、世話の焼ける生きものだ。 「…まったくほんとに、」 バタンと背中で、風に押されて勝手に扉が勢いよく閉まった。 どいつもこいつも。 よく知る道を、ピーターは町の外へ向かって駈け出した。チラリと振り返った先に見えた海は黒々うねっていて、まるで違う生き物みたいに見えた。 |