青い木馬の目はオパールでできていた。鞍には金銀と色とりどりの宝石、手綱はプラチナとサテンのリボンを編んである。たてがみは白馬からとった本物のそれを真っ青に染めてあった。もちろん尻尾も。馬鹿みたいに豪華な玩具。馬鹿みたい。 そう酷薄な笑みを浮かべながら、それでもそれを作らせたのは彼だった。 「は女の子なのに、お人形遊びよりおままごとより、木馬が好きなの。」 困ったように笑うのは母親だけで、父親も彼もそのことに満足していた。父親の方は、きっと木馬で遊ぶ様子を見ると娘が元気なように思えて嬉しいのだろうし、彼の方はきっとこの子どもは一生本物の馬になんて乗れないのだろうからせめてそれでいいのだと思っていた。 運の良い、最善の環境が整った家に生まれた子どもは、彼の「ひょっとしたら、」と言う予想の通りにまだ死なずに、みっつの年を数えている。 幸運な子ども。小さな咳をひとつすれば甘いお薬、少し転んで擦りむけば白い包帯。砂糖漬けの小さなコモモみたいな、ひどく甘やかされた状態の子ども。もちろんそうでなきゃ今頃生きやいない。 きっこ、きっこと木馬が揺れている。どこか部屋の隅で、オルゴールが鳴り続けている。きっこ、きっこ。サテンのドレスに金のリボン。お日様の髪は部屋の中でも明るい。いつも彼がここに長く訪れるのは寒い冬の間だった。憂鬱な長い季節を、気の置けない“どもだち”の家で過ごすのも悪くない。その上ここなら仕事をする分にも困らない。 ただ子守をする必要があるだけ。 「やあ。」 彼は子どもの相手なんて大嫌いだった。うるさいしすぐ泣くし、本当に疲れるったらない。 ただこの子供は、うるさくもなくよく泣きもしなかった。だから彼は、我慢できる。 「こんにちは、ヴァーニャ。」 子どもがまっすぐに顔を上げて彼を見上げた。 彼はにっこりと笑みを深くしながら機嫌を器用に下降させる。まったく父親が子どもの前で彼をそう呼ぶせいだ。こればっかりは失敗だったと、彼は思う。こんな子どもに、こんな呼び方を許すなんて。許可した覚えは一度だってないけれど、子どもはもう、そう覚えてしまった。そもそもこの子どもは自分の名前を正しく知っているのかが怪しい。子どもにとって彼は、最初からイヴァン・ブラギンスキではなくヴァーニャだったからだ。それ以外の彼を、この子どもは知らなかった。イヴァンという神様に祝福された名前のことも、それからもう一つの、彼の本質を表す国の名前も。ただ知る必要もなく、また知ることもないだろうことだったけれど。 その父親は彼のあらゆる面を知っていて、なおもヴァーニャと呼びかけることのできる希少な人種だった。母親の方は至って普通の人間であったから、いつだって少し、彼のことをおそれてもいた。自分が夫に相応しくないと、彼に内心思われていることも理解していた。本当なら彼の子どもは、知力体力に優れ、誰よりも強く逞しく、生命力に溢れているべきだったのだ。 それでも構わぬと笑う夫に、しかし男児が必要なことも理解している。けれども彼女には、もう一人を産むことは誰の目にも不可能に思えた。 彼が訪れる冬の間、母親は少し張詰めて、諦めたような微笑する。 そういうところは、君って本当にふつうだから好きだよとは、彼は決して口に出しては言わない。 「なにをしてるの。」 訊かなくてもわかることを訊ねるのは、他に話すことがないから。 「お馬に乗ってるのよ。」 「どこへ行くの。」 「どこへも。どこへもよ、」 その子どもの数少ない好ましい要素は、賢い目をしていることと大人しいこと、それから美しいことだった。氷みたいな青い目。父親にも母親にも似ていた。その太陽のような、白金の髪も、二人に似ていた。 「どこへも行かないわ。」 静かな声音で子供が言う。そう、と静かに彼は応えて、木馬のすぐそばに設えられた座椅子に腰を下ろした。 きっこ、きっこと木馬は鳴り続けている。どこかで遠いオルゴール。三拍子のワルツだなと考えながら、彼はじっと木馬を揺らす子どもを見ていた。ふくふくと柔らかそうで、弱そうな形。指を鳴らしただけで、掻き消えてしまいそうないのちだ。 「ずっとここにいるのよ。」 この子どもは賢い。 どこへも行けないことをこの齢で理解している。 どこかのオルゴールは一歳の誕生日に彼がやったものだった。きらきらと星の輝くような音を奏でる小さな銀の箱。曲名は忘れた。いつもそれが、彼がその家を訪なう時は鳴っていた。その螺子を回しているのが、この子どもであること、彼は知っていたけれど、特に何も思わなかった。二つになった時にはくまと白鳥の描かれた壺をやった。飴や薬を入れるといいと思って。立派な細工品だから、子どもがいなくなった後も、使えるだろうとも思った。自分が残酷な思想をしていることなど、彼は最初っから十二分に知っている。現実的、って言って欲しいな、誰にともないひとりごと。 きっこ、きっこ。 ―――だってみないずれ。 「いつまでもここにいるの。」 きっこ。 |