五つの誕生日に、庭の木にブランコを設えてやった。
、風邪をひくよ。」
「もう少しだけ。」
 その子どもがはしゃいだ声をあげるのは珍しい。は彼が知る中で、多分一、二の指に入る大人しい子どもだった。手間のかかるくせに、手間をかけない子ども。白い頬を赤くして、子どもはブランコを揺らし続けている。
 一度こり出すと止まらないのよ、と母親。あなたの木馬も、ずいぶんこって。実際その真っ青な木馬は、今でも子どもが外に出られない時は格好の遊び相手として活躍していた。子どもはほとんど表へ出してはもらえなかったから、ブランコより現役と言っていいのかもしれない。めったに乗らないその分、子どもはブランコに乗る度ひどくはしゃいで、ほとんど毎回熱を出した。
「風邪をひくよ。」
 もう一度、穏やかに彼は繰り返した。
 普通の、健康な子どもなら、庭の外に飛び出して遊んだっていい晴れた朝だ。けれどもこの子どもには、そういった普通の楽しみが、ずいぶんと辛くその身に堪えることなのだった。白い光が庭に積もった雪の上に乱反射して、空気自体が発光しているみたいに明るい。子どもは生来大人しかったけれど、ブランコに乗っている時だけは別人らしく見えた。普段血の気の薄い頬を赤く上気させて、子どもらしい高い声ではしゃいだ。父親はそれをひどく喜んで、休みの日には小さな背中を何度も空に押し出してやるのだという。
 彼はそんなことはしなかった。ただ子どもが細い足を懸命に揺らして、ブランコの振り子の幅を広げるのを眺めるだけだ。心配性というにはその心配こそもっともな母親と乳母の手で、これ以上着膨れできない、というところまで子どもは服を着込んでいる。こんなにはしゃいで汗をかいたら、一枚くらい脱がなければ濡れて風邪をひくだろう。
 けれど子どもは、彼の忠告が聞こえないのか、ブランコを漕ぐ速さを緩めることはない。どこかで雪の落ちる音。
 面倒臭いなと笑顔のままで考えながらあくまで胸の内でため息を小さく吐いて、彼はコートのポケットから手袋に包まれた大きな手を出した。子どもが風邪をひくと、お屋敷中が彼の世話もおざなりに、かかりきりでお葬式みたく騒々しくなって、大変に煩わしい思いをするので、なるべく避けたい事態なのだ。
「えーい、」
 きゃあと子どもが笑い声をあげる。たった五つの、それも小さな病気の子どもの体重なんて、ブランコの加速がついていたって彼にはそよ風ほどにも感じられない。ぽすりと正面からブランコを受け止めて、彼は子どもをブランコから引き離した。
「風邪をひくよ、。」
 彼はもう三度目の言葉を繰り返した。抱き上げられたまま子どもが、楽しそうに笑う。
 僕の言ってること、わかってるのかしら。馬鹿なのかしらん。
 やはり笑顔のまま、彼はキャベツの葉を一枚むしるみたいに子どものコートを取り上げた。青に白いファーのコートの下には、同じ青のコート。その下も一揃いきっと同じだろう。マトリョーシカじゃないのだからとほとほと呆れながら、「暑くないの。」と彼は感心したような声を出した。
「あつ、い。」
 はあ、と子どもがのぼせたような息を吐いて、過保護も考えものだなと彼は無感動に考える。これだけ着込めばさぞや動きにくいだろうし、いくら外へ出ても頑丈になる気がしない。ついでともう一枚上着を脱がせて、そのポケットに入っていたハンカチで汗を拭ってやる。高い背に抱えられてわあと声をあげていた子どもを再び雪の上に下ろして、彼は「さて、」と少しはにかんだように苦笑した。これでずいぶん動きやすいだろう。
 外に出る度風邪をひいていたら丈夫になんてなりやしないし、風邪をひく度上着が一枚増えるなんて馬鹿げている。外はこんなに明るくて、わざわざ彼が手づからブランコ設えたのだ。それが乗る度風邪をひくなんて言われたら、悪いのは体の弱い子どもと厚着させ過ぎる保護者たちだけれどそれでもやっぱり気分が悪い。
「…遊ぼう、。」
 寒いなか、駆け回れば少しは肺も頑丈になるだろう。寝てばかりでは手足はひょろ長いまま、指先だって冷たい。
 遊ぼう、と彼はもう一度繰り返して、それに子どもがその顔一面にあふれるような喜色を湛えてわらった。ああ嫌だなと一緒になってブランコに腰掛けながら彼は目蓋を少し伏せる。どうせこれも何れみな須らく。