大叔母にもらったのだという天使の絵が、病気の女の子の壁にかけられるようになったのがいつからだったか彼は覚えていないけれど、なんとなく、ふっくらとしたばら色の頬の天使たちの楽しそうな様子は気に入らなかった。ロココっぽい感じが特にこの場にそぐわず、いただけない気がする。あんな享楽に溢れ返った時代のお気楽な桃色した絵なんてだめ、少なくとも今、この病気の女の子のいる白い部屋には。おまけにその絵は、子どもがベッドの中で体を起こすと、自然と目が合うところにかかっているのでなおさらいけない。
 熱にうなされたけだるい夜に体を起して、一番に目に入るのが無邪気にふくふくと笑う健やかな天使たちだなんて、自分だったらたまらないなと思うから。
 彼女の十一の誕生日に、彼はとうとうそれを外してしまった。
「外してしまうの?」
 尋ねる声ににこにこと頷きながら、彼は椅子を降りた。一抱えもある絵だったけれど、背の高い彼には、脚立を持ってくるまでもなくそこいらの椅子で事足りる作業だ。
「外してしまうよ。」
 気に入らないから。
「何をかけるの?」
「代わりがほしい?」
 ええとが頷いたので、もちろんその返事を予想していた彼はにっこりとした。きっとだって、壁の天使にはすこしばかりうんざりしていたに違いないのだ。代わりに持ってきた小さな額を、壁にかける。そこに太陽が覗いたみたいに、黄色い色が部屋に溢れて、外されたまま壁に立て懸けられた天使が横目で眺めて無邪気にわあと言った。たった一輪の、大輪のひまわりの絵。天使と同じように、がわあと歓声を上げて小さな手を叩く。
「ゴッホじゃないわよね?」
「まったくひまわりって聞くとみんなすぐそれなんだから。」
「でも好きでしょう?」
「これも好きだよ。」
 黄色い色が小さな画面から溶けて溢れ出している。手を浸したら指先はたちまちその色に染まるだろう。よく見えるようにしっかりと壁に固定して、彼は二、三歩離れ、それからベッドの傍らまで絵を眺めたまま後退した。滲む黄色と、隠し味の赤とが、部屋中に溢れて踊りだすみたいだ。いい具合。満足した彼は少し笑って彼女を見下ろした。ベッドの上に座って、体半分はかけ布団のなかに入れたままの子どもは、楽しそうに黄色の洪水を眺めている。
「元気いっぱいね。」
「楽しくなるでしょ。」
「誰の絵なの?」
「………エミール・ノルデ、」
 うそ、とがすかさず眉を持ち上げると、観念したように彼は肩を竦めた。
「の、模写。」
 やっぱりとは笑って、「誰の模写なの?」
 彼は少し不思議な感じに微笑した。知ってるくせに。そういう微笑だ。
 国のたからだからと、どうしてもその絵描きの絵を譲ってくれない“ケチ”な友人の弟に頼んで、一週間その美術館に籠った。それほどその色彩が、欲しかったのだ。そうしてやっと一枚、仕上がった絵。
 どうせ何れ死んでしまう女の子になら、貸してあげたっていい。何れ自分の、手元にこの絵は帰ってくるだろう。けれども帰ってきたら、その時は、きっともうこの絵の黄色は、こんなに輝かないだろうとも思った。女の子の死を吸い取って、少し悲しくなって戻ってくるだろう。そう思う。そんな風になった絵を見たら、きっとしばらく、この絵を見たくないと思うかもしれない。そうしたらこの絵は、納屋にしまわれて、時々掃除のときに引っ張り出されて、ああ、こんな絵があったっけなって思い出す、それだけのものになる。あんなに欲しかったものなのに。
 でもそれでもいいかな、と思ったのだ。彼にしてはめずらしく、いつもの気まぐれ、気まぐれだった。それでも無邪気に笑う壁の天使を話相手にが死ぬより、ずっといい。そう思った。