彼は最近、ふいに途方に暮れてしまうことが多くなった。どうすればいいのかわからなくて、何も一瞬考えられなくなる。子どものせいだと思った。こんなはずじゃなかった。は人よりずっと早く死ぬのだと思っていた。それなのに子どもは、もう十七歳になる。
 相変わらず細い体で、相変わらずか弱いまま、優しいまま、静かなまま、穏やかなまま、美しいまま。おかげで向日葵の絵は、ちっとも彼の手元に帰ってきやしなかった。それどころか、誕生日プレゼントを毎年考えるのも用意するのも大変だった。
 十四の誕生日にはピアノを贈った。もちろんの宮殿みたいなお屋敷には立派なピアノがあったけれど、にピアノのある1階の広間まで移動するのは大変なことだったので、子どもの小さなお部屋にも収まるような、書架机の形した茶色いピアノだ。納屋の中から引っ張りだしてきたそれを、磨いて、調律し直して、きれいにニスを何層にも塗って仕上げた。昔お城のお転婆のお姫様が、ポロロンポロロンと好き勝手に弾いたやつだ。が弾くと、その古いピアノは、ホロホロ静かに鳴るのだった。
 十五の誕生日には靴をやった。ちょっとした意地悪だった。踵の高いお姫様というよりは女優が履くような美しい形の靴で、赤い色をしてた。このお屋敷から出たことのない子どもに、そんな他所行きの靴を贈るのは、かつて彼が摘まみ出して捨ててしまった本と同じくらい残酷な気もしたけれど、イタリアでそれを見かけて、どうしてもあげたくなって買ったのだ。泣くかなと思った。それを履いて出かけるところも、でかけることもきっとないから。でもは嬉しそうに、胸の前でひと揃いの靴を抱えてわらった。次の週、珍しく調子のいいを背負って、彼は庭へ出る歯目になった。丈の長いナイトドレスに赤い靴を履いて、上から裾を引きずるようなガウンを重ねて、ブランコを漕ぐはまるで滑稽で、でもきれいだった。五つの頃と変わらないように、ブランコなんかではしゃいだ。乗るのは久しぶりと心底嬉しそうにそう言って、やっぱり熱を出した。彼はブランコを取っ払って、暖炉の薪にしてしまった。泣くかな、と思ったらは残念そうにしただけで、毛布を何重にも重ねられた真っ白なシーツの山の下から、またつくってね、とか細い声で笑った。
 十六の誕生日には、ドレスを贈った。どうしてって、欲しいと事前に手紙で強請られたから。父親に似て、彼に何かをねだるなどという、怖いもの知らずの娘になってしまった。その度胸と言えばいいのか図太いと言えばいいのかわからないお願いに、呆れて目を丸くした彼は、それでも仕立て屋を呼んだ。が健やかな子どもなら、とっくの昔に袖を通して、父親と腕を組んでお城のホールで踊ったはずのドレス。一度もお屋敷から出たことのないには、かわいそうに、縁遠いもの。本当ならもううんと前から、何着も持っているはずだった。でも社交場なんてところにでたら、人の多さに中てられてきっとすぐにも倒れてしまうだろうから。どうしてドレスが欲しいのと静かな声音で電話をかけたら、ヴァーニャが来る時にお出迎えできるでしょうと穏やかな声が返ってきたので、布地のグレードをふたつ上げた。完成間近になって、去年赤い靴を贈ったことを思い出して、青いドレスには似合わないと思い直してもう一着作らせた。そうしたら今度は青いドレスに似合う靴がないから、お星さまみたいな銀の靴も付けた。どっちを着ればいいのと困った電話がかかってきて、なんとなく満足した気分で彼はどっちでもいいよと答えた。どっちでもよかった。どっちでも。
 十七歳の誕生日に何が欲しいかと、これも気まぐれで訊ねたらダンスがしたいと返事があった。
 一度ワルツを踊ってみたかったのよと無邪気に子どもみたいな声で笑うが、子どもの域から脱しかけていること、多分彼が誰より分かっていたと思う。
 どうしてだろう。
 受話器を握りしめる手が、少し冷たいような気が彼にはした。どうして人間はみな何れ須らく。