踊りましょうと、真っ青に星くずと雪の結晶を散りばめたドレスを着たが彼に向って細い手を伸ばすので、彼は珍しく困ってしまった。肩から掛けられた真っ白なリボンも、きれいに整えられた髪に飾られた真珠も、どれもとても似合っていた。昔むかしの物語に出てくる、お姫様のようだった。銀の靴を履いて、いつもの白い部屋の中、はベッドに腰掛けている。気分は良いの、と反射のように訊ねたら、「とても。」と柔らかい微笑が返ってきた。
「今日のために苦いお薬も痛い注射も全部我慢したのよ。」
 えらいでしょう、と子どものようにが胸を張る。子どもみたい、と思ってから、噫、と彼は思い直す。これは子ども。子どもなのだ。病気で、か弱く、儚い、今にも消える、小さな子ども。十七の誕生日なんだと嬉しそうに父親が告げたことも、あなたが来るのを楽しみにしているのですよと控えめに告げた母親の言葉も、ぜんぶぜんぶ聞こえない。だってこんなに消えてしまいそうで、こんなにきれいで、こんなに、こんなに。
 子どもの頭のてっぺんを見下ろして、彼は曖昧に微笑んだ。
 これは子ども。子どもでなくてはいけない。
 黙ってそのまま、背中と膝の後ろに腕を回して、ひょいと持ち上げた。ああほらやっぱり子どもだ、こんなに軽い。急に抱きかかえられてびっくりしたが、目を丸くして彼の首に抱きついている。
「ヴァーニャ、」
「軽いね。」
 吹けば飛びそうな命だ。人とはみんなそうだけれど、その中でも特別ひときわ。壁の向日葵が目に付いた。どうしてだかふいに、それをはがして、めちゃくちゃに壁に叩きつけたいような気がする。一度目を瞑った。子どもからはやわらかい香りがした。
「踊ろう。」
 彼は目を開くと笑って、高い高い、と子どもを持ち上げた。そのままくるくると回る。青いドレスの裾が広がって、キラキラ光った。子どもが困ったように、それでも笑い声を上げて、腕が疲れて彼がやっと子どもを地面に下ろしたときにはすっかり息が上がっていた。
「ひどいわ、ワルツを踊りたいって言ったのに!」
 ちっとも責めていないような口調で、子どもが笑った。まだドキドキしているように、胸の上を小さな手のひらで押さえている。
「ワルツより楽しいでしょ?」
 少し澄まして彼が言うと、子どもは「あら、」と目を丸くして大人の女の人がするみたいに優しく笑った。
「ワルツをしたことがないから比べられないわ。」
 今度は彼が目を丸くする番だった。
「ヴァーニャ。」
 もう一度、ほっそりとした手が差し伸べられた。
 彼は心底困って、けれども顔にはいつもと変わらない微笑を浮かべていた。少し首を傾けた彼の紫の瞳を、子どもが見上げる。目の中にも星があるね、と言おうとして、彼は黙った。いつも嵌めている手袋を取って、恭しくお時儀をすると、その手を取る。
 それだけで死んでしまうような気がしたけれど、死ななかった。
 このお屋敷は守られていて、外の白銀の嵐にびくともしないで立っている。この中にいれば、と彼は一瞬馬鹿なことを考える。この宮殿のようなお屋敷の、この真っ白な部屋の中にいれば、いつまでも永遠に、冬からも死からも、守られていられる?
 オルゴールの螺子を回してちょうだい、とが囁いた。一度手を離して、暖炉の上のオルゴールの螺子を回す。いつか贈ったワルツの旋律。曲の題名は忘れてしまった。金属同士が弾き合って立てる、硬質な冷たい音。きらきらと光るような音色だ。
 もう一度お辞儀をしなおして、彼はうつくしいひとの手をとった。
 踊れるの?と形の良い耳に向かって囁いたら、「練習したのだけれど、」とはにかむような声が返ってきて、彼はどうしてよいのかわからなくなった。
「失敗しても怒らないでね。」
 怒ったりなんてするわけなかった。
 だってどうせ人は皆何時か須らく…考えるのは止めよう。オルゴールが止むまでは。向かい少し気恥ずかしげに微笑みあって、二人は踊り始めた。は楽しそうに、少女みたいに頬を上気させて喜んでいるようだった。手を回した腰が頼りなくて、けれどもなだらかに美しい線を描いている。手のひらにすっぽり収まった小さな手のひらを、彼は少しだけ、握りしめるようにした。
 オルゴールはまだ鳴り止まない。