彼の性格、長所と言えるところ。
 落ちるところまで落ちたら開き直ること。

 彼はもはや開き直った。
 聞かれてしまったものは仕方がない。素の自分を知られていることも仕方がないし、情けないところたくさん見られているのも、ぜんぜん対女の子用のかっこうよくておもしろくて気配りができて素敵なお兄さんな部分を見せられてない気がするのも、家がお隣さんなのも、ぜんぶ仕方がない。
 彼は開き直って花束を用意した。
 バラではない。
 白に黄色に淡い紫、ピンクにオレンジ、色とりどりの、小さなかわいい花を集めた花束だ。普段ひいきにしている花屋さんに飛び込んで開口一番「モネみたいな色の花束ちょうだい!」と叫んだ。
 スミレの花の女の子には、バラよりきっと、そちらのほうが似合うと思った。

 ヴィオレッタさん。彼が勝手につけたあだ名。本当の名前は、=トゥールビオン==ナタリー=ソフィア=ローズ=エディット=ヴィオレット・ド・トゥールーズ・クリスタリゼさん。とっても長くて、へんちきりんでいいとこどりな、砂糖菓子の名前した、とってもすてきなお嬢さん。
 恋をしている。
 それも仕方ない。
 だから彼は悪友をさっさと追い出し、仕立てのいい白いスーツを着て―――鏡を見て、止めた。普段通りの服を着て、それでも胸のポケットに花を挿した。新しいハンカチを下ろして、靴もちょっと念入りに磨いた。

 そして彼は隣家のベルを鳴らす。少し遠くでベルの音がして、とことこと歩く足音。ううむ、やっぱりほんとにとことこだ。少し髪を整える。ちょっとした間。
 彼には、なんとなく、背伸びしてドアの覗き穴から外をみて、人が誰か判別したヴィオレッタさんが、髪の毛を整えている間であるような気がした。
 都合のいい妄想かしらん?
 ドアが開く。

「ボ、ボンジュー、フランシスさん。」
 ちょっとヴィオレッタさんが肩をすくめて緊張したように目をまん丸にして言った。
 何度も言うけど彼のすごいところ。開き直るとそれはもう大胆不敵で、思いきったらその行動は、とっても早くてためらいなんて見せないところ。内心ぐるぐる回っていたって、ちっとも表に現れない。
「ボンジュー、」
 そこで一度切ると優雅に腰を折って礼をして、それから彼は、ちょっと顔をあげてヴィオレッタさんを見上げた。目が合う。ああやっぱりかわいい。どうにでもなれ、パチリと片目をつむって見せる。

「ボンジュー、=トゥールビオン==ナタリー=ソフィア=ローズ=エディット=ヴィオレット・ド・トゥールーズ・クリスタリゼさん。」

 ぜんぶ一息に言いきった。言いきると同時に背中に隠した花束をさっとそのまま差し出した。お辞儀はしたまま。少し昔の貴族がするみたいな格好だ。普段着のままで、彼はそれでも優雅である。
 ヴィオレッタさんは、まず何から驚けばいいのか困っている。しかし目をもっとまん丸にして、花束と彼とそれから廊下とをぐるぐる見回しながら混乱していた。ごめんよ、困らせるつもりはないんだ。少し肩をすくめて彼は姿勢を元に戻した。ふわふわした肩までの栗色の髪を見下ろすと、つむじの形がよく見えた。
 真っ青な目を、彼はそのスミレの色した目に合わせる。
「昼間の俺たちの会話を聞いたね?お嬢さん。」
 ニヤリと少し、悪そうな頬笑み。それにヴィオレッタさんは慌て出す。
「ごめんなさい、聞くつもりは、」
「うんうん、わかってるよ。」
 最後まで聞かずに彼はそれを手のひらで制した。ついでに花束を彼女が気がつかないくらいさりげなく、その手に滑り込ませる。淡い色彩を集めた花束は、やっぱり彼女によく似合う。
「聞くつもりがなかったことはもちろん知ってるよ!聞かせるつもりも…というか聞かれるつもりもなかったし!かっこわるいことをしたと思っている!」
 大げさに肩をすくめて笑ってみせると、やっと彼女も少し笑った。
 チューリップに、ポピー、スイトピー、すみれ、マーガレット、カーネーションにデイジー。たくさん、たくさんのお花たち。ぜんぶ君に、さしあげよう。
「しかし聞かれてしまったからにはね、お兄さんにも考えがあるんだ。」
 と、いうわけで、まあまずはゆっくり話でもしない?
 そう言って彼はヴィオレッタさんの背中に手を回すと外へと促した。え?え?と首を傾げながら、しっかり花束は両手で胸の前ににぎったまま、ヴィオレッタさんは靴を履く。

「レストランを予約したんだ。ふたりでね。もちろん普段着で行けるんだけど、とっても美味しいところなんだよ。味は俺が保証するよ。」
「え、ええ?」
「ヴィオレッタさんに断られると、俺、ひとりで行かなきゃいけなくなるの。」
「ええと、」
「もう時間が迫っているんだ。おっといそがないと!」
「えええ!?」

「ねえ、ヴィオレッタさん。」

 真っ青な目、星の目。がんばれ俺、って内心とってもぐるぐるしてるのだけれど、やっぱり表に現れない。
「俺とディナーに行ってくれませんか?あとね、ディナーを食べていろいろおしゃべりをして、それから散歩に行ったりまた別の日にもデートしたり映画見たり俺の作った料理食べたりしてからでいいから、」
 ほらね、びっくりするほど大胆、開き直るとね、これだもの!

「もういっかい今度はちゃんとかっこよく言うからouiって言ってくれない?」

 にっこりと不敵に笑った彼の耳が、しかしやっぱり赤いのにふいに彼女は気がついた。少し困ったように、眉を片方下げた笑い方。いつもと違う。それにも気がついて、そうしたら少しおかしくなった。
「ふふ、」
 思わず笑うと、彼はどうして笑われたのか分からなくってますます眉を下げる。花束を一度彼に渡して扉を開けると、玄関脇にかけてあったショールを彼女は肩から羽織ると、ポケットから金の鍵、取り出してドアに鍵をかけた。
 それを彼は、少しぽかんとして見ている。
「さあ急ぎましょう、」
 お花の名前の女の子は、笑って彼の手から花束を取った。耳が赤い。

「ディナーに遅れます。」

 一拍置いて、彼が笑った。お手をどうぞ、お嬢さん。ちょっと気障な仕種、彼女もちょっと気取ってその手を取って、それから二人は目を合わせるとたちまち大笑いして階段を下りた。
 それが彼と、お隣に住む女の子のお話。


 
(100817)