シンデレラとか眠れる森の美女とかはとっくに卒業した。
 最近みているのはもうちょっと現実的で、それでいてドラマチックでスウィートなロマンチック映画だ。フェリお兄ちゃんのとこの映画とか、好きだなあ。アーサーさんとこのラブストーリーも、けっこう好き。
 魔法の靴よりすてきな赤いストラップシューズが欲しいし、ばらのドレスよりばらの香水瓶とかハンカチとかが欲しかった。ティアラよりイタリア映画の女優みたいな帽子を被ってみたいと思うし、新しく買ってもらった靴のかかとが、あと1センチでもいいから高ければいいと思う。王子様より恋人がいいし、それがハンサムで優しくておしゃれで私のことを好きならそれがいいと思う。

 そういうことを言うと、君の望みをお兄さんなら叶えてあげるよ?とフランシスさんはよくそうわらって片目を瞑るのだけど、リアルなロマンチックよりスウィートなムービーが観たいお年頃なので、謹んで辞退させていただいている。

 そもそもそれは、フランシスさん特有の冗談というやつで、てんで私のようなガキ相手に本気もなにも遊ぶつもりもないのであるから罪だと思う。これでもし私が、その冗談を本気にしてしまうようなお嬢ちゃんだったらいったいどうするつもりなのかしら!他にも10年経ったらお嫁にもらってあげるだの、子猫ちゃんだの、マドモアゼル僕と夜の散歩に行きませんかだのなんだのかんだのいろいろフランシスさんはこちらをからかってくる。
 それらの言葉が冗談であることの証拠に、今日もフランシスさんの車の助手席にはきれいなお姉さんが乗っている。ワオ、セクシーな美女というやつだ。前の彼女の方がよかったなあ、知的な感じで黒い目と髪がきれいで私にもやさしかった。以前までそのお姉さんが乗っていた車に、今はブロンドのグラマーなおねえさん。なんだかなあ。


 私もなんどかあの席に座ったことはあるが、
「ほら、あぶないからシートベルトしめな。お菓子いるか?ボンボンあるぞー。」
 これだもんなあ!
 しかしフランシスさんの出してくるお菓子は悔しいことにおいしいので、いつもむっつり黙っていただくようにしている。思えば多分、私はどのお姉さん方より申し訳ないがあの助手席には座っているのだ。なにせ保育園のお迎えから家出のお迎えまで、フランシス"お兄さん"の車はどこへでも駆けつけてくれたし乗せていってくれたのだ。

 そもそもフランシスさんが何者かと言うと、なんと人間ではないらしい。
 私が生まれる前からまだシンデレラに夢中になっていた頃まで、父親はこの国の政治のトップだった。それでフランシスさんというのは当時の部下でありながら父が仕えるべき存在だったそうで(大人ってわけわからん)、それで交流があったのだ。美食家のパパと、フランシスさんは気が合ったらしく、いつも家へ来てはおいしそうにご飯を食べて陽気に笑って飲んで話だけでなく、いろんなところに花を咲かせて帰っていった。セクハラだ。
 学校に通い始めて、フランシスさんがどういう存在かなんとなくわかったときの第一の感想はこれ。これが国なんだもんなあ、やってられないわ。この国の未来が心配だ。
 昔、まだ私に男の人を見る目が鍛えられていなかった頃は、金色の髪に青い目のかっこいいお兄さんが王子様に見えた頃も確かにあった。しかし今私の視力は両目2.0だ。王子様にヒゲはないし、ましてやあらぬところに花を咲かせたりもしなければ、元上司の娘にちょっかいだしておもしろがったりはしないということはとっくにわかっている、言うなれば王子はどこかの王国へでも行かないといないし、そうめったに会えるもんではない。そう言うと「大人になっちゃって…」としょんぼりされるが、それらを教えたのもフランシスさんなのだから仕方がない。
 とにかく小さいころ、父も母も忙しかった。それこそフランス中、世界中を飛び回っていたので、私は広いお家にひとりぼっち。もっぱらの遊び相手がこのフランシスお兄さん、通称国の権化なわけである。おしめも代えてやってんだぞ、と言うのがフランシスさんのなにかある度によく言う台詞だが、やっぱりセクハラだと思う。
 フランシスさんのおかげでずいぶんと国という種類の人間の形をした生物にあったが、その中でもとくにルートヴィッヒさんなんてのは礼儀正しくてしっかりしていてムキムキで強そうで、ああいうのを国っぽい、と言うのじゃないかしら。フランシスさんときたら酔っ払って二日酔いはひどいし、女の人によくモテるけど同じくらいによく振られるし、花咲かせるし、しょっちゅう家に来て暇そうにしているし、なにより軽いかんじがして、普通の人間と変わらないように思える。
 なのでそんなフランシスさんが人間ではない、なんていわれてもピンとは来ないが、昔、フランシスさんと同じような体型をしていたパパのお腹がでてきたり、しわが増えたり、髪がどこぞやへ夜逃げしていっている最中な事象とはまったく関係ないと言うように、フランシスさんは変わらない。髪はきらきらのふさふさのままだし、目の澄んだブルーも変わらない。もちろんお腹も引っ込んでいて、体臭がやばいなんてこともない。当時片手でだっこされていた私が、「もう最近めっきり重くなっちゃっ…いたっ、いたたたた!落とす!落とすから髪ひっぱらないでちゃん!」といわれるほどには成長していることも考えると、やっぱりフランシスさんは人とは違うみたい。たまに彼女をころころ変えるのはそのせいかな、と考えたりもするけれど、ただの女好きのスケベなのだという気もするのでよくわからない。
 パパがトップを降りても、フランシスさんはしょっちゅう遊びにきた。というより入り浸っていた。ママンの料理がおいしいのと、彼女がフランシスさん好みの知的美人なのと、あとやっぱりパパのことも好きなんだと思う。その理由にちょこっとでも私が入っていれば嬉しい、などという謙虚さは私にはない。残念。理由のなかには私も入ってるに決まってる。ヘタをするとパパよりも構って育てたものだから、すっかり自分の娘か年の離れた妹のような、気分でいるのだ。
 しまいに近所に越してきて、デートや仕事のある時以外は、ほとんど家で夕飯を食べていき、お礼にと言って私の送り迎えを担当したりする。お土産にはいつもお菓子と花を一輪。エスコートは完璧で、気障な台詞も仕草もさらっとこなした。同時にフランシスさんは、立派な教育係りでもあった。女の子はまず笑顔、を筆頭に食事のマナーやら服装やら淑女のたしなみやらその他諸々、エトセトラ。すてきなパリジェンヌにおなりね。となんだか毎日聞いて育った。


 と、まあ、それがフランシスさんである。昔はフランシスお兄さんと読んでいたのだけれど、よく見たらひげがあるしお兄さんではないと気がついた私が、フランシスおじさん、と呼んだらこの世の終わりとでも言うように号泣されたので、それ以来フランシスさんだ。

 窓から見下ろしていた私に気がついて、フランシスさんが車から手を振る。彼女の方がちょっと振り返って眉を潜めた。わあ、こわーい。前のお姉さんのほうがやっぱりよかったな。前のお姉さんなら、にこやかに私に手を振ってくれたろう。ちゃんも一緒に行かない?そう言ってくれる。…なんでわかれたんだろう。
「おにいちゃーん!」
 子供らしく窓から身を乗り出してぶんぶん手を振ってみると、金髪美人がぎょっとした。髪の色も目の色も私とフランシスさんは違うので、兄妹などという想定はまったくなかったに違いない。実際兄妹でもなんでもないが、私、このお姉さん、きらいだ。
「お母さんが今日は夕ご飯どうするのーって!」
 完璧に兄妹の会話である。
 フランシスさんは彼女が口をぽっかりあけてうろたえているのを尻目に咳をするふりをしてさっきからニヤニヤ笑っている。まったく他人事だ。自分の彼女のことなのになあ。けっこうフランシスさんは情が薄い。それも女の人に対して。これも随分前から知っている。
「どうしようかなあ、」
 笑い声を誤魔化しながら、フランシスさんがわざとらしく返事をする。
「君はどうする?」
 え、ああ、そうね、ええっと、お姉さんが返事をする。
「私、そのお姉さん怖いからいやー。」
「こわい?」
「にらまれたもん!」
 子供の特権乱用中。結局フランシスさんはお姉さんを送っていって、でもディナーはこちらと一緒にということになった。多分お姉さんは帰りの車の中で私のことをそれはそれはののしるに違いない。声に出してののしればアウト、心の中に留めるなら後はお姉さんの頑張り次第だけれど多分、アウト。鼻歌歌って窓から離れた。ママにフランシスさんが今日も来ると言わなくてはいけない。
 多分言わなくても、食事は四人分あるのだろうけど。

 案の定四人分の材料がすでにキッチンにあった。特にやることもないので、ママがキッシュを焼くのを手伝う。パパも帰ってきた。三人で席についてチャイムがなるのを待つ。今日の話をする。朝起きて、学校であったこと、それからフランシスさんの新しい彼女。話を聞いて、まあ!とママが目を丸くして笑って、パパがおそろしいお嬢さんだと感心する。私がフフンとちょっとすまして笑うと、ベルが鳴った。2回、3回。私は椅子から降りる。飛び降りたりする歳は卒業しているので、ゆっくり急いで、だ。

「ようこそムッシュゥ!」
「こんばんは、末恐ろしいマドモアゼル。」
 私たちの会話を聞いていたかのような挨拶だ。失礼してしまう!
 フランシスさんは、笑ってボンボンの包みと、今日はガーベラだ、橙の花を手渡しながら、さっと私を抱き上げた。重くなったなあ、とは失礼な台詞を吐かれたので、思い切り髪の毛を引っ張ってやる。いたたたた、という悲鳴は気にしない。フランシスさんはちょっとくたびれたかんじなので、たぶん別れたのでしょう。うーん、満足。肩の上に落ち着いてテーブルを指す。
「さあフランシス、私をあの椅子まで連れてゆくのです。」
「はぁい、仰せのままに。」
 それっとテーブルまでフランシスさんが走ったのでびっくりした。父と母が陽気に笑い声をあげる。
「いらっしゃいフランシス!」
「聞いてくれよ、フェルテ!まったくこのお嬢さんと来たら!」
「君の教育の賜物じゃないかね?フランシス。」
「いやいや、これはローザの血だね。こんばんは、ローザ、ご機嫌麗しゅう。相も変わらず今日も美しい!」
「おい人の妻を口説くな!」
「おっと、挨拶だろ!」
「フランシスさん早く下ろして!」
 フランシスさんが来ると大体こんな愉快な騒ぎだ。三日に一回は必ずくるから、ほとんど毎日を言ってもいいかもしれない。
 ママの料理はおいしい、父の話は楽しい、フランシスさんの話も楽しいし、もってくるデザートがおいしい。パパはたいてい食事が終わってワインを空にした頃にはいい声で歌いだすし、それをみてママはころころ子供みたいに笑って、フランシスさんはお腹を抱えて笑う。途中で私は、ママにお風呂に連れ出されて、寝巻きに着替えてからデザートを食べる。その頃にはまた蔵からワインが引っ張り出されて、そこからしばらくすると、「もう子供は寝る時間だよ。」そう言ってママが、酔っ払っていなければフランシスさんが、寝室へ連れて行ってくれる。
 まだ眠くない。言おうとしても目蓋が下がる。

「ほぉら、。」
 ねむくないのよ、言おうとしても言葉が出ない。ママとパパが交代で私にキスをして、おやすみなさいを言う。フランシスさんがおでこにちょっと唇をあてて、そのままよいしょと抱えなおして階段を登った。ひとりでいけるのに。もう私、そんな歳じゃないのよ。
 でも正直抱えられて階段を登るのは好きだ。ゆらゆら揺れて、覚えてもいないゆりかごをおもいだす。2階のろうかはぼんやり暗い。私の部屋はつきあたり。慣れたものでフランシスさんは、片手と足でドアを開けて、ベッドにそおっと私を下ろした。サイドランプの明かりで、フランシスさんの顔がいつもよりぼんやり、けれど影はくっきりと見える。絵画のなかの人のようで人間じゃないみたい、ああ、ばかだな、その通りよ。この人、人間じゃない。きっと小さな頃は天使だったんだろう。
「…フランシスさん、」
 寝てなかったのか?と目を丸くするフランシスさんに、眠い目こすっておきあがる。ふわふわしていて、やっぱり眠たい。思考が覚束ない。文章が頭のなかで繋がらない、記憶は点と点。飛び飛びに浮かんでは沈む。
「車の隣がねえ、スミレの砂糖漬けなのよ…。」
「あーもう、ほら、眠たいんでしょ。はやく寝なさい。」
「んー…、あのねえ、」
「なに。」
 フランシスさんは天使みたいね。ちょっとヒゲがあって、くたびれてるけど、天使みたい。照らしているのはランプの明かりなのに、蝋燭の灯りに見える。とてもきれいで、遠いね。ラ・トゥールの絵みたいね。いつか並んで見た。いつ見たんだっけ?違う、画集をいっしょにめくっただけ。車の助手席のおねえさんが眉をしかめている。噫、でもほんとうに、居眠りしているヨセフを起こそうとしてる天使に似てるわ。ねえ、フランシスさんはもうずっと生きてきたのだもの、ねえ、あの天使のモデルになった?お姉さん、黒い髪、黒い目。同じね。ねえ、どうして居眠りしてしまったの?起きて、起きて。それとも死んでいるの?そんな目で見ないで。
「なぜ、前のお姉さんと別れたの?」
 フランシスさんが息を呑む。青い目、橙の光を映すと黒く見える。
「あのお姉さん、ママに似ていたわ。」
 寝室がしんと静かになった。

「違う、」

 呻くような声だけ聞こえた。
「ちがうんだよ、。」
「うん、ボンボンはもういらないの。」
?」
「ラ・トゥールを、見にね…、」
 もうほとんど眠たくて、何を言っているのか、自分がちゃんとおきているかもわからない。「ねむいんだろ、」思ったより泣き出しそうな声がして、思わず目が覚めた。
 橙色の灯りに、顔の半分を照らされて、フランシスさんがベッドのとなりに跪いている。影になったほうの目が、少しぬれたように光ってる。シーツの上に手のひらを組んで乗せているフランシスさんは、懺悔でもしているような格好だ。どうしたの、声が震えた。
。」
 そう名前を繰り返して、フランシスさんは顔をシーツの上に押し付けてかくしてしまった。ないているの。尋ねられなくて、とりあえずさらにちゃんと体を起こしてはみたけれど、どうすればいいのかわからない。ねえ、私まだ子供なの。こんなところで泣かないで。喉が詰まって言葉にならない。
「どうしたの、フランシスさん。ごめん、ごめんね。私なにかひどいこと言った?」
「いいや、」
 枕元にフランシスさんの頭がのっけられている。シーツに声は吸収されて、くぐもって余計苦しそうに聞こえる。ないてるのね。喉がきゅうとなる。
「いいや、違うんだよ。。サラはママに似てるんじゃない、似てるんじゃない…、」
 あのお姉さんの名前がサラというのだと初めて知った。
 それ以上フランシスさんはなにも言わない。
 ただなんとなく、顔は見えないけれど情けなくフランシスさんが笑う気配がしたので、ポンポン背中を叩いてやった。
 昔私がひとりがさびしくって泣いていたら、こうしてくれたわね?ひょっとしたらフランシスさんは寂しいんだろうか。パパもママも私もいて、彼女は星の数。"国"のお友達だってたくさんいる。ねえ、それでもさびしいんだろうか。パパもママもフランシスさんもいるのに、家にひとりだと思わず涙が出るように、パパとママとそれから私、たくさんの彼女たちに友達がいても、思わず涙がでるのだろうか。そんなときがあるのだろうか。
 フランシスさんの背中から、ふと顔を上げたらランプに照らされた自分の顔が、小さな鏡に映った。黒い髪が一房耳の横から落ちて、顔に影を落としている。ランプの明かりに照らされた顔。橙色の光だ、あの絵と同じ。黒い目は橙を映して茶色く見える。部屋は暗い。大きくなりすぎた天使が泣いている。
、」

「フランシ、「はやく大人になって。」

 そう、私は子供、じき、フランシスさんのお望み通りに、大人になる。まだ子供なのに、恋の話と映画を見すぎたの。ねえ、なぜそんなことを言うの、終わりはしっているくせに。ねえ、ヨハネは眠ってしまうのよ、エンジェル。あなたは地上に住んでいて、天国があるか誰も知らない。ねえ。





        
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