(seed)  

  さすがは菊だと言えばいいのか、あらかじめ雑誌は発行された順に積まれていた。今度飯でもおごるかな。アーサーは考えながら、上から順に読み進めていくことにして、頁を捲る。最近人気のすし屋はどうだろう?こんなのは寿司じゃない!といつだったかのように悲愴な顔をするだろうか。

 連載の一。
 添えられている挿し絵は古ぼけていても優しい色をしていた。少しなぞると、古い紙独特の、かわいてかすれた静かな音がする。第一の花。
「庭石菖、か。」
 その名前を呟いて文字に目を凝らす。その花は確か庭にもあった。

 思わぬ仕事が舞い込んできて、さて、なにをどう書いたものか困っている―――そんな風に言葉は始まる。
 ―――ずいぶん長く、近くで花を見、土に触れすぎたような気がする。いつの間にか、私にはもうすっかり植物を研究の対象として観ることが難しくなってしまったらしい―――。
 祖父の声が聞こえてくるようだ。なにを書いたものか悩んだ彼は、どうやら庭の花を挙げることにしたようだ。その一番始まりに、もっともちいさく、控え目な花を持ってくるのがいかにも祖父らしいと、アーサーには思えた。テキサスで群生地を見つけて持ち帰ったこと。思ったよりも増えて、しかし一日でしぼんでしまうのがなんともいじらしいこと。読みながら庭にしゃがんで土をいじる祖父を思い出す。

 連載の二、三。そのいずれにも、祖父独特の、花に対する細やかな愛情と、こどもに対するような親しみと優しさが滲む文章が続いた。
 読みながら、思わず微笑む。しかし、私と同じ名をした孫が、花を踏んづけてしまったことに泣き出したことには驚いた――という記述にはさすがにアーサーも少し赤面してしまった。孫馬鹿とでも言えばいいのか、その一文には、祖父の彼に対する愛情がじわとにじみ出している。こんなところに、愛の形を見るものか。頭をなぜる手のひらはいつも土の匂いがした―――思い出すと少し涙がにじむ。
 まったく、こんなとろに自分が書かれていたなんて。少し照れ隠しの文句を呟こうとして、アーサーは失敗する。
 人は思わぬところで愛されていた記録を見つけると、子供のようにうろたえてしまうものらしい。種を撒いたのを忘れていて、春の日差しがなぜかさみしいその時に、あたたかい土からやわらかい芽が覗いているのを見て、胸がしめつけられるようないとしさを覚えるような。そんなどうしようもない優しい苦しさが勝る。
 ああ、クソ、まったく。
 一度眼鏡を外してから、窓の外へ目を凝らす。明るい緑。かつてその窓枠の向こう、光の中で、彼も駆け回って遊んだ。それをやはり、祖父はこうして眺めては、少し口端に微笑を浮かべたりしたものだろうか。しばらく見つめて、そっと庭から目を離すと、再びアーサーは文字に目を落とす。そこに祖父がいた。それだけが確か。

 連載の四。
 ここで祖父の興味は、いつも味気ない(と祖父が言う)頁に言葉の通り、花を添えてくれる挿し絵へと移る。そのやわらかな色彩とおおらかな線、なにより全体の持つ優しい雰囲気が、祖父を惹きつけた。
 その記述に、アーサーも改めて挿し絵を見る。年月の経過のためにぼけたり擦り切れたりしてはいるが、なるほどいい絵だと思う。時を経てもなお、変わらぬ魅力があるように感じる、くるみこむようなあたたかい日差しを、花に見ることができる。画家のサインは控え目に、小さくC.R.とあった。
 ――年寄りの呟きに、美しい花を添えてくれるお嬢さんに、ぜひ一度お会いしたいものなのだが、なかなか編集長が渋る辺り、美人と見た。
 誌上でそんな風に書いてしまう祖父がおかしかった。たしかにその一文を読んだとき、アーサーには片方眉を上げて、茶目っ気たっぷりにほほえむ祖父が、見えた気がした。そういえば、結構ユーモアのわかる人でもあったのだ。

 そうして連載の五。六、七…祖父の言葉は続く。
 四季の花に、しずかな憧憬と愛情の眼差しを注いで。
 途中、「会議ー!遅刻ー!ぎゃああああー!」という菊の悲愴な叫びにも、「アーサー、お腹すいたしピザとっていいかい?」といういつもならやめろと返すアルフレッドの言葉にも生返事だけ返して、アーサーは読み続けた。日が徐々に傾く。なぜだか惜しむように、ゆっくりと読んだ。読み終わるのがもったいないような、そんな気さえする。
 しかし1年と少しの連載だ。やがてはすぐに終わりが訪れ、連載の十三。


 編集者に駄々を言って、キャロラインと言うお嬢さんに会う。彼女はまだ美術の大学を卒業したばかりの駆け出しの挿し絵画家で――絵本作家になりたいらしい。細いからだに、長い首をした、目の大きな愛らしいお嬢さんで、わらうとえくぼができる。控え目で知的な、美しい人だ。
 不思議と初対面であることを忘れて、孫か娘にするように接してしまった。それにも穏やかに気にしたそぶりを見せない、できたお嬢さんである。
 さっそくいつもどうやってあんなにも美しく優しい花をかくのだとたずねると困ったように彼女はわらい、あなたの原稿を読んだ後で、植物園まで花をスケッチしに行くのだと言う。一度先に君が花を描いて、それに私が文をつけてはどうだろう、と言うと、あなたの文が先でないとあの絵は描けないと彼女は不思議そうにほほえむ。あのとても優しい文章に添える絵だと思うとね。彼女がほほえむ。何度もその微笑を、みた気がする。自分はこんなにもやわらかい色が使えたかしらって驚くくらい、優しい絵になるのよ。私も驚いているの。
 そう言って私を喜ばせたお嬢さんは、奇しくもこの連載が―――この雑誌の廃刊が決まった日に、交通事故で世を去ってしまった――。最後のこの頁に彼女の咲かせる花はない。なので私は、せめて彼女の花のことを書く。ばらの花。あのお嬢さんには小さな白い蔓ばらがいい、棘のない、ほがらかで、控え目な、美しい花。私の孫をモデルに描いてくれると言ったのに。君のかく絵本をまだ見ぬ天使たちも待っていただろう。
 そして私は気づくのだ。いつも気づく。ローラ。ローラ、マイ・ディア…。

 どうして終わりはいつも突然なのだろう。