(to dance)  

 幕引きと共にローラを見つけた。
 挿し絵画家のC.R.が、キャロライン・ローズと言った―――キャロライン――ローラ。最後の連載に、明らかになる、女性の名。
 それは祖父の連載当時の年齢を考えると、初恋と言うには遅すぎる出会いを果たした人の名である。紙面にも、その手帳に描かれたような少女に対する憧憬とは異なる、むしろ家族――娘や孫に対するような、そんなまなざしで描写されている。本当なら、彼の母親よりも少し若いくらいの年齢だろうに、若くして奇しくも死んでしまったひと。
 うつくしいひと。
 おかしな話だ。手帳の日付から、R.という女性が登場するのは、祖父は挿絵画家の彼女と会うよりも昔のこと。なのに彼は、その人こそが私のローラだと記した。

***


 一枚の紙を握りしめて、アーサーはまだ浅い春の中、片田舎のバス停に立っていた。まだ少し肌寒い、彼はスーツとコートをきっちりときれいに着こなし、春の光の中にあって礼儀正しい異邦人のように見える。やわらかい色彩の中では彼ばかりが黒く、どこか寂しげに浮かんでいる。ダンスをするように、コートの裾が風に少しなびき、花も舞った。
 その隣では、アルフレッドがもの珍しそうにきょろきょろとあたりを見回してはしきりに何か探している。

「まったくアーサーもよくやるよ!」
 ジーンズにアメフトの大きなジャンパー。今日も寝癖をひょこりと跳ねさせて、まだ眠たそうな彼はスニーカーのかかとをもう片方の爪先でたたく。ポケットにつっこんだままの手も、とがらせたくちびるも、彼のくせだ。

 最後の連載で明らかになった、挿し絵描きの名とその死。
 どうしてもそれが気になったアーサーは、菊を拝み倒して画家の足跡を辿ってもらったのだ。『これを持ってきた時からそうなるだろうなとは思ってましたから』と笑って引き受けてくれか菊だったが、さすがに疲れた様子で、ますますしばらくは頭があがらないと思う。重ねて礼を言えば、『もしなにかすてきな出来事やストーリーがあれば記者をやって記事にしますからね。』とわらわれた。
 まったく留学したての頃は、ちいさくちいさくなって謙虚などという言葉では足りないくらいに控えめであったのに、最近やっとこちらの生活が染み付いてきたらしい。しかしそういう風に軽口をたたいたり、すこし恩を着せてみたり、そんな風に馴れ馴れしい態度を取られるのがいやではないのは、アーサーにとっては大きな発見だ。
 よい友人を持ったと、そう思う。

 そうして今、アーサーの手元には、友人からの贈り物――一枚のメモがある。州の郊外、有給をとってここまで来た。
「だからってなんだって僕まで―――っと、どこ行くんだいアーサー!」
「どこってあっちだろ、」
「何言ってるんだい君!あそこに書いてあるじゃないか!そっちは反対だろ!」
 だからひとりで行かせられないんだ、とぶつぶつ呟いて、ポケットに手を入れたまま、アルフレッドはくるりと先を歩き出す。
「わ、悪かったなぁ!」
 ぽこぽこと少し腹を立てながら、アーサーはその後を早足に急いだ。まったく格好は似ていない二人だが、やはりその後ろ姿は兄弟のものだ――よく似ている。
 そのまま弟の指し示すとおりに、田舎の道をしばらく歩くと、あった。花に囲まれた家。夢のようなたたずまいを見せている。

「ほんとにあった……。」

 呆然とつぶやいたアーサーの隣で、なかったら困るだろ、とアルフレッドが肩をすくめる。
 そう言われても、アーサーにとっては祖父の残したものはすべて、おとぎ話のようだったのだ。自分が暮らす屋敷だって、夢が形をとって現れたもののようだったし、ましてやそれが、手帳に遺された女性の住んだ家だなんて、ユニコーンくらいの美しい幻に近かった。天使だとか妖精に近い、いつまでだって信じていたい、優しい日中の夢。
 そしてそこは、実際本当に夢のような白い壁の家で。郊外の花が咲き乱れる庭の家には、確かにローズと表札が掲げられていた。やわらかい色とりどりの花の群舞は、しかし優しく、印象派の筆遣いを感じる。鮮やかに輪郭がぼやけるのだ。光の中、花の洪水。
 すこし彼が、ぼうっとしてしまっても仕方がない。

「ワオ!ターシャ・テューダーの家みたいだなぁ!」
 その夢想を破るように、とにかくアルフレッドの声はでかい。彼は素直に感動しているだけなのだけれど、やはりいかんせん声がでかかった、そのことをアーサーがとがめるより早く、くつりと小さな笑い声が聞こえた。

「ターシャの庭にはずいぶん小さいですけれど、」

 花の中から立ち上がった人。すっかり気づかなかったので、アーサーもアルフレッドも目を丸くする。花を摘んでいたらしく、しゃがんでいたのだろう。手には剪定バサミ、もう片方の手に、まぁるいばらを幾つも抱えている。
「どうもありがとう。…あなたたちですか?叔母のことを聞きたいっていうのは。」
 賢そうな丸い目。ながい睫の先で光が震えていた。なんとなく、優しい白馬を想像させた。羽をつけたら、ペガサスになる。角を生やしたら、ユニコーンだ。
 昼日中の夢が、突然そこに現れたように、アーサーには思われてならなった。
 黙ってしまった兄を横目に、アルフレッドが陽気に挨拶をする。はじめまして!こんにちは!
「こんにちは。」
 彼女が笑う。
「こんにちはー!…あれ、おかしいな、どこかで会ったことが?」
「?多分ないと思いますけど…?」
「こらナンパするな!」
 意識が戻った。
「いてっ!ナンパじゃないんだぞ!アーサー!ひどいじゃないか!ああ、この金色毛虫がアーサー・カークランド、君の話を聞かせてほしいってさ。」
「自分で自己紹介するっつうの!」
 くすりと笑って、花風が吹いた。