(dying)  


「お二人が訪ねて来られてから私も気になって…納屋にあった叔母の遺品をちゃんと整理してみたんです。それから母も旅行から帰ってきたので話を聞いたりして。」
 仕事もあったろうに。彼は少し受話器を握ったまま目を丸くする。
 この間会った時に、翻訳の仕事をしていると聞いていた。おそらくフリーランスなのだろうが、暇ではないはずだ。

「調べてくれたのか、」
 ぽろりと驚きが口から出た。『私もなんだか気になってしまって。』 受話器の向こうでふわりとわらう気配がした。珍しく素直にありがとうと彼は言う。それにが、いいえ、と微笑む。受話器越しなのに、気配が近い。すぐ耳元で花がわらっているみたいだ、なんて夢見がちすぎるだろうか?少し苦笑して、アーサーは耳の後ろを掻いた。照れるときの彼の癖。
 受話器を肩と頬ではさみながら、椅子とメモ用紙とを引き寄せて腰掛ける。チラとソファのほうを見ると、アルフレッドはいつの間にか居なくなっていた。庭への勝手口が開いたままになっているので、おそらく庭へ出たのだろう。
 あのぼんやりした具合では、転ぶなり花壇に足をつっこむなりするかもしれない。少し気にかかったが、電話の話ももちろん気になった。いつもは子供扱いするくせに、アルももう大人なんだから、とアーサーは誰にともなく言い訳する。
 電話の向こうでは、がやわらかい声で話を続けている。

『見せていただいた連載のことを母に話したら、叔母が亡くなる直前だったこともあってよく覚えていたんです。母自身あの連載が好きだったみたいで。一冊だけですけれど、同じ雑誌も残っていましたよ。』
 もうぼろぼろなんですけれど。そう言って微笑む声が優しい。
 ちょっと電話のコードをいじりながら、アーサーは笑った。古い電話のままでよかったな、といつもこういう動作をしながら思う。仕事をしている以上持ってはいるが、携帯電話は軽くてなんだか心元ない。コードレスでは味気ない。アルフレッドは不便だの時代遅れだの言うけれど、べつにそんなに不便ではないし、時代遅れで何が悪いのだろうとアーサーはそう言われる度考える。ふるいもの、なつかしいもの、見つめて大事に思うのは、そんなにおかしいことなのだろうか。
 新しいもの好きの弟だって、おもちゃの兵隊、捨てられずにいるのを知っていた。

『それでいろいろ話したりしていたら、母が、思い出したらしいんですけれど。』
「ああ。」

 首を傾げるような気配が、電話の向こうでもした。アルフレッドが開けっ放した扉から、気持ちの良い風が吹き込んでくる。もうすっかり春だ。白いカーテンも揺れる。少し眠たくて、こういう日は猫になりたいような、散歩をしながらそのまま鳥になりたいような。人間を少し休みたくなる。

『多分叔母がお祖父様にお会いした日なんだと思うんです。変わったことを伯母が言っいてたらしくて。』

 変わったこと?と聞き返しながら、アーサーは花のことを考えていた。こんないい天気だ。次々咲き始めるだろう。少し浮遊しかけていた思考を、しかしの言葉が引き戻す。

 ――すっかり変わっていたので最初は気づかなかったのだけど、今日ね、とても懐かしい人に会ったの。

 不思議でしょう?そういわれて、確かに頷く。なんでもない言葉のようで、しかしなんだかひっかかる。
「…そう言ったのか?」
『母は間違いない、と。その時の叔母の顔が天使のようだったので、不思議と忘れられないって。』
 直接聞いた人間がそうなのだ。アーサーにもなにか、その言葉は手帳の秘密を解く鍵のようにも、やはりただなんの関係のないひとりごとにも、どちらにも思われた。彼の中の夢見がちな部分は、これは呪文だ、と囁き、彼の中の現実的な部分が、ただのひとりごとだよ、と呟く。
『全然関係ないのかもしれません。お祖父様にお会いする途中や帰りに、懐かしい人に会っただけなのかも。でもなんだかその話しを聞いた時私も不思議と気になって。』
 もそれが気になっている。
 それだけでなんだか、天秤は夢見がちの方に傾く気がした。
 まったく、もう死んでいる人間のロマンチック、解き明かすなんてナンセンスだろうか?でもそこには、思わず覗いてみたくなるような、美しい秘密がある気がするのだ。それを知りたいと思うのは、不躾なことだろうか。だって、文章にたずさわる人間として、伯母と老植物学者の、不思議な物語が気になるのだろう。だからこそ、こうして、調べて電話もかけてきてくれる。そうしてその、彼の祖父の、彼女にとっては会ったことのない伯母の、おかげでこうして彼らは会話している。縁とはますます不思議なものだ。
 こういうの、東洋でなんというのだろうか。
 受話器越しに会話を繰り返しながら、アーサーは少し、友人に尋ねてみたいことが増えたと、考えていた。