「日本さん、」
誰かが微笑んだ。
その優しい微笑やわらかい輪郭。私は大好きだった気がするのですけれど、忘れてしまいました。
誰だったでしょうか、どなただったでしょうか。
「日本さん、今年も桜が、」
藤色した着物の袖口から覗く白い手首に、はっと時が止まります。その口端の美しい形。やわらかく笑んだ目元。部分部分が目に入ってどうにも全体がはっきりとしません。
「ほら、こんなに見事に。」
その人の指差した先には、なるほど、確かに立派な桜の大木。こんもり薄紅色の砂糖でも盛ったように、咲き誇っています。なんて見事な。見上げるとなぜか目玉が痛みました。
ああ胸が騒ぐ。桜、さくら。弱い風にも花は千切れて舞って、ちらちらと雪のように光りながら風に流れて。その人が桜の花風の中微笑みます。日本さん、とその少し低い声で私を呼んで。
風にすこおし乱れた髪を耳にやって、その人が微笑むのです。それだけ、それだけは覚えている。あの人は誰?あなたは誰なんです?
噫ただただ胸が騒ぐ。忘れてしまったのかいお前は?桜、さくら。
「また来年も一緒に見ましょうねぇ。」
はにかむように囁かれた言葉。桜色の爪、ばら色の頬。
「ええ。」
と私は答えたはずなのに。ああどうしてこうして今私はひとりなのでしょう?その人は誰だったでしょう?
切り倒されてしまった桜の古木からは、一本のまだ若いしなやかな樹。髪飾りのように慎ましやかに花をつけて、ここに、いるよ、私はまだ、ここに、ここに、と。
ああ胸がじりじりと騒ぐ。とげとげとした寂しさです。なぜでしょう、私ときたらこんなにも物悲しくて、(いとおしい)。
あなたは今いづこ。
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