あの人はいつも少し笑うの。大丈夫、あなたのことが大好きですよって。
***
「なにが大丈夫なのかしら。」
「なにがです?」
「なぁんでもない。」
ひらひら手を振ると、覗いた黒髪はまたひょっこりと襖の向こうに見えなくなった。
「菊のばぁか。」
私のことなんて、忘れるのでしょう?
もうきっと、あと数分もしないうちに君は忘れる。ご飯を作り終わってもう季節外れの炬燵の上にふたり分の料理を並べて。首を傾げればいい。なんで二人分も用意したんだったかしらって。それでひとりで、お腹が苦しいと泣きながらひとりで二人分、食べればいいのだ。
きっとどうせ仲良しの誰かさん呼ぶのだろうけど。
「ばーか。」
あなたなんて大嫌い。ほんとよ?
目に浮かぶ。どうしてか今日は多めにご飯を作ってしまって…ええ、あなたさえよければ食べに来られませんか?そんな風に受話器を持つ君の姿。
私がななめ後ろに立ってることなんて、思いもよらないことなんでしょう?
「ばっかばーかばかばっか、」
何回も言って節付けて歌うと、なんだか変な気分だ。違うこと、言っている気分になる。
菊は台所で、お野菜を切ってる。割烹着かわいいなあばーか。
つぶやいて私は机にうつ伏せる。
「ばか菊、」
どうせ呼ぶなら、あの金髪眉毛を呼べばいい。あいつなら私が見えるだろう。だから私は思いっきり大泣きしたり恨み言呟いたりバカと熱唱したりして困らせてやれるだろう。
それであいつは、おい日本、こいつ誰だよ、なんかお前に腹立ててるみたいだぞ、って言う。そしたら菊は、いやだな疲れてるんじゃないですかって、困って努めて話題を逸らそうとするだろう。それであいつは私がますますうるさいから、ほんとに困ってしまうだろう。そうして菊は、困ったそいつを見て困ればいい。彼が説明する女の子の姿に、心当たりはないのになぜかヒヤリとすればいい。
『日本、覚えてないのか?』
『…だからなにをです?』
そういいながら、私が消えてしまうのを、無意識に知って無意識が嘆けばいい。大丈夫かと尋ねるあいつに、君は言うだろう。
ああ大丈夫なもんか。
『大丈夫ですよ。』
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