まったくイギリスときたら俺より随分と歳を食っているくせに、未だに一角獣だとか妖精だとか小鬼だとかが実在すると言い張って聞かない。この科学の支配する21世紀に、彼らしいことだなあって思う。古い人だ。こんなだから女にもてない。宇宙人のほうがどれだけ科学的かつ現実的かつその存在は確固たるものであるのかってことをてんでわかっちゃいないのだ。…おっと話しがずれたね。何の話をしていたんだっけ?
ああそうそう、そうだった。でも俺も、誰にも言ったことはないけれど、それらを信じていた時代がある。まだずっと子供の頃の話だよ、いるって信じていたし見えていると思ってた。まあ子供の空想なんだけど。
でもなんでかな、いまでもよく思い出すんだ。あの美しい亡霊のことは。
いつでも黒いドレスを着てた。首まで隠れるタイプの。細い首と手首から先だけ白い肌が覗いていて、なんだかそれだけで美しかった。透ける様な様子で、木影にそっと立っていた。木漏れ日と寄り添うようにして、その少し胡乱な瞳を、寂しげに細めて。長い長い黒髪を、ひとつの細い三つ編みにして、肩から垂らしてた。アーモンド形の目。その目の中のなにか知らないささやきと輝きを、今でも思い出す。
彼女はいつも、イギリスがやってくる折、一緒に遊びに出ると現れた。何をするでもなく、ふと気がつくとそこにいた。小さな俺は、人見知りをするほうだったし、彼女の儚く、危うさすら感じさせるような美しさに、亡霊とは知らずとも触れてはいけないものなのだと無意識に感じていた。
イギリスは気づいているのかいないのか、(まあもちろん子供の頃の俺の空想の産物なんだから彼に感知できたはずはないのだけれど。)俺が上手に投げそこなったボールを拾いに行っては、立ち止まり、彼女がいる辺りの木影をなんともいえない顔で見つめていた。
それはまるで、二人が無言で見詰め合っているように見えたものだ。
ふたりの目の中には、同じ囁きと輝きがあった。寂しさと、それからほんの少しの諦めと落胆、そして嘲笑。
小さな背でイギリスを見上げては思ったものだ。まだその目の中のものが俺にはわからなかったから。なぁんでそんなに泣きそうなんだろ!って。今ならわかる?って言われると、まあ、その答えは保留だ。ヒーローにあんなにも不毛な恋は似合わないだろう?
とにかく終わりは唐突だった。
イギリスが最後にやってきたあの日、そうだ、彼から独立しようとあがいた日々にも彼女はいた。鉛玉が飛び交う中にも、その貴婦人はいたのだ。それを見たとき、初めてああこの人はもう生きてはいないのだと思った。しかしあまりに自然に、いつもその人が視界の隅に滑り込むので、俺はついいつも通り、その人のいる状況を受け入れていた。
「自由を!」
と誰かが叫んだ。
「独立を!」
と誰かが叫んだ。イギリスの顔が泣き出しそうに歪んだ。見ていられない、そう思った。そしてまた、イギリスのすぐ傍に彼女がいることに気づく。
その人が微笑む。美しく美しく時すらも止めるように。
イギリスに向かって、引き金が引かれた。彼女が立っているのとは反対側の繁みから、彼女自身が飛び出した。
「イギリスさ…!!」
「ばかやめっ…!!!」
彼女が倒れる。倒れる。崩落する。その美しい目が閉じる。赤い血だ。彼女は亡霊ではない。その背景で、亡霊の彼女が微笑む。諦めすら飲み込んで、まるで満足するかのよう。ふたりは同じ微笑を湛えている。
地に倒れ臥す瞬間、その瞬間だ、彼女の目が驚いたように俺を見た。
「あいしてるの。」
その口がそう言った。亡霊と、今正に死のうとしている彼女、その二人ともが。イギリスが何か叫んだ。美しい名前。
「!!!!!」
彼女がうっとりと目と閉じる。イギリスにすがるように抱きかかえられてピクリとも動かない。亡霊の彼女が、いつの間にか俺の前にいた。今日私は初めてあなたに出会った、と歌うような調子でそう言った。
「あなたのことが知りたかったの、ずっとずっと子供の頃から生まれたその瞬間からすべて、すべてよ。」
あの瞬間を忘れない。あの微笑。黒衣の聖母。
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