『。』
穏やかに穏やかに、ほほえんでマーテルがとダオスとを迎えた。ぐったりしたダオスを抱えて、はへたんとへたり込んでいる。大樹は今まで見たどの時間軸よりも生き生きと枝を張り根を下ろし、いのちを呼吸していた。
まるでその葉のひとつひとつが手のひらのように、やさしくに手を振る。
『ここは500年の未来。彼らが紡いでくれた、いのちの溢れる世界です。』
うつくしかった。みどりと、みどりと、青い空と。ずっと森の向こうに見える、白い塔。鳥が舞っている。
マーテルの頬は薔薇のように輝き、その吐息は芳しい花の香りがした。その冠の白い花もこぼれる様に咲き誇っている。
『そして、今日、実りが生まれるのです。』
だいぶん遅くなりましたが。マーテルがにっこりとほほ笑む。
実り。ダオスの待ちわびていたもの。それにが首を傾げると、マーテルが空を指差した。青い空には二つの月だ。白く化石のように浮かんでいる。ダオスの星は、その向こう、この晴れた真昼には見ることができない。
『さあ、。』
大気がざわりと震えた。マーテルの髪がふわりとあわだち、風が緩やかに舞う。
そして、あたりは光に満ちて、しんと静まり返った。
(うまれうよ、うまれるよ。)
小さな小さな囁きが、たくさんどこかから聞こえた気がしては目を見張る。静まり返ったのではない。ごくごく微小な囁きが大気に満ちて、そのために静寂が訪れたように感じたのだ。世界はいのちのささやきで満ちていた。
『受け取って。』
樹の幹が一度大きく振るえる。
凍えた花が開くように、光が結実する。そこになにか、淡い白が見えた。
「マーテル!」
思わず叫んだに、光の中マーテルがほほ笑む。今やそこらは強い光に溢れて、大気の粒子ひとつひとつが静かにきらめくようだった。
花が開く。
実りというにはそれはあまりにも。美しかった。それは花だったのだ。幾重にも重なった花びらの、先だけほんのりと赤い。
はちきれそうな花を宙で受け止めると、マーテルはそれをに差し出した。内側からやわらかい光を花って、それは鼓動しているようだった。生まれたばかりの実り。それをすべてが祝福しているようだ。なんていう福音。優しい吐息がいくつも重なってやわらかにに降り積もった。
(これが。)
「実り?」
囁くような言葉しか出なかった。だってあまりに美しくて、言葉にならなかったのだ。ええ、とマーテルが肯く。
「とても、きれい。」
ダオスの頭をぎゅっと抱えて、はやっと少しわらった。
『…ええ。』
「蓮の花みたい。」
『はす?』
マーテルがゆったりと首を傾げる。
「天国の池に咲く花だよ。」
『そうなのですか?』
「うん、とても、きれい。」
そう言ったにマーテルはまたほほ笑んでみせる。今度はさようならをこめて。
『これが芽吹き、大樹となります。…そして、 』
小さく告げられた言葉にはマーテルが驚くほど素直に頷いた。それにマーテルが、かまわないのですか、と少し尋ねる。はただ笑った。
それだけでマーテルにはの意志が通じて、そうですか、と少しほほ笑む。わかっていたことだ。
(優しい子。)
マーテルはを見た。小さな子。放り出された無力な娘。ああけれど彼女はこんなにも、(つよい。)
『では実りと彼を連れて。…行けますね、。』
マーテルの言葉に、はもう一度頷いた。迷いはなかった。ダオスによって、生かされた命だ。はダオスのことがとてもすきだったし、一般的な意味よりもずっと広く深く、あいしていた。無二だったのだ。無条件で手を差し伸べてくれた。言葉になんてできないくらい、感謝している。感謝、その二文字では収まりきらない。
「できる。きっとうまくやれるよ。」
は力強く答えた。ダオスはまだほんの僅か、うっすらと呼吸をしていた。流れる血も緩やかになり、やがてそれも止まれば本当に死んでしまうだろう。それまでに、星へつけば、或いは。そんな小さな望みに、縋りついてみようと思った。
(ずっと理由を探してた。)
自分だけが放り出された意味、その存在の定義。
「そのために私の腕はふたつあるの。」
がほほ笑んだ。その手にふたつとも抱えて、歩けるように。
人間の役割の中でひとつ、人生の中で意味を見つけなければならないのなら、はもうこれを理由にしてしまおうと思った。きっとそのための孤独で、そのための幸福でそのための悲しみだったのだ。は見つけた。存在しよう、その願望を持つに値するものを。その価値を。
26.その彼方を
20070429/