「…ここだ。」
そう言うと、ダオスはゆっくりとを雪の上に降ろした。城からは、さほど離れていない。
「大丈夫だ、殺しはしない。」
すっかり腰が抜けてそのまま雪の上にへたりこんだに、ダオスが言う。
ほんの少し首を傾げて、厳しい目を、ほんの少し優しく細めて。
その僅かな変化に、だけれどは少し安堵して、呆然とダオスを見た。では彼はなんのためにこんなところに再びを連れてきたのだろう。でももう恐怖ですっかり頭は回らなくて、ただただダオスを見上げるばかりだ。冷たい雪に触れる足も、まったく気にならなかった。
その一方で、ダオスもさっさと歩き出すと、5歩ほどから離れて立ち止まる。
「ここだ。」
そして虚空をさして見せた。ちょうど若い木の前で、ダオスの射した空間の下だけ雪がくぼんでいる。
ダオスの指差した、ちょうど座り込んだの目線あたりの空間には、もちろんなにもない。
はダオスの意図がつかめず首を傾げた。
ダオスはゆっくりと、右手を伸ばすと虚空を摘む動作をした。
「…?」
「こちらへ。」
ダオスがゆっくりと手招きする。なんとか立ち上がりそろそろと近づいて、ははっと気がついた。
ダオスは 何 か を手に持っている。
何も見えないが確かに何かを掴んでいるのだ、それがわかった。が気がついたことがわかったのだろう。ダオスがうっすらと目を細めてを見た。そして、もっと近くへ、と促す。
「ここだ。」
おそるおそる手を伸ばすと、なにか、が指先に触れた。
目をこれ以上ないくらいに開いてダオスを見ると、彼はゆったりと頷いて、左手をあげる。そして何かを両手で摘むようにすると、そうっと持ち上げた。
なんだかそれは、破れたカーテンを摘みあげる動作に似ていた。実際、彼は何かを摘み上げたのだ。
べろりと薄い膜がはがれるように景色が捲れあがる。そうして露になった"平面"に、なんと電車の車内が移っている。いや、存在している。ちょうどそれはぽっかりと突然虚空に窓ができあがった具合だ。どうなっているのか、真横から見ると窓は見えないが、正面へ回るとあちらの世界が見えた。完璧に二次元の"入り口"が、三次元の世界に浮かんでいる。
「ど、どうして!なんで!」
思わずびっくりしてが手を離すと、はらりと窓は閉じてしまった。もうどこにあるかわからない。ダオスが落ち着いた動作で再び窓の縁を探り当てると、覆いを外した。
「これは時空の綻びだ。」
じっとの世界を見つめてダオスが言った。ポツンと呟くようだったそれを、聞き漏らすまいとは顔中でダオスを見る。
「世界は幾つも或る。同じ時空に存在しているもの、同じ時空にないもの、様々だ。
本来時空同士は接触することはなく、どこまでも枝分かれしながら、平行に進んでゆくものなのだ。」
暗い色をしたその目の虹彩が、不思議な具合で揺らめいているのには気がついた。なぜだか、自分と同じものが同じようにダオスに見えているのか、不安に思う。(とてもきれいだ。)
「しかし、」
そこでダオスがを見た。あまりに突然ではうっとたじろいで一歩下がる。けれども今度は指は離さなかった。
「極近似値の時空、或いは余りに密接に派生しあった時空同士にはその一部が重なることがある。」
「…かいつまんでいうと?」
おそるおそる尋ねると、ダオスは少し目を大きくしてを見下ろした。なんだこんなあどけない顔もする。
懐かしい世界を前にして気が抜けたんだろうか、場違いにそんなことを考えては眉を下げた。
「お前の時空と、私の時空が限りなく近いか大本とその末端という密接かつ直系的な関係にあるために重なっていて、ちょうどその部分になんらかの負荷が生じその結果時空の線引きが曖昧になりそこにこのような綻びが、」
「ええと、…つまり?」
情けなくなってきた。
ダオスは表情を変えずにひとつ息を吐いた。白い息。よかった、この人私と同じように生きてる、なんとなくそんなことには安心してしまう。
「お前はここからこちらの時空へやってきたんだ。」
「へ?」
「本来交わることはない時空だが、そのどれもが関連している以上こういったこともありえないわけではない。」
ダオスの言っていることは大体にはわからなくて、(多分相当噛み砕いて説明してくれたはずだ。)それでもわかった情報の断片と目の前にぽっかりと浮かぶ車内の風景を頭の中で必死に繋ぎ合わせた。それはつまり。
「…帰れるの?」
それにダオスが、ほんの少し気遣わしげに首を傾げたものだから、は泣き出しそうな気持ちになって思わず顔を下げた。
07.窓
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