拝啓光秀様 遠くの山の頂もすっかり白くなりました。まもなくあの美しい沈黙の真冬がやって参ります。光秀様はいかがお過ごしか。そればかり頭を占めるこの頃です。 今日も今日とてあなた様はやはり美しく、その白波の髪を銀に輝かせ戦場を駆っておられることでしょう。今となってはその隣を、私如きが供についていたことは、遠い夢幻のようにも思われます。噫戦場のあなた様は真に美しかった!銀の御髪がそう、この季節に天下る霜のよう、その肌も雪のよう、あなた様の纏われる衣装の漆黒は夜でございました。あの恍惚の紅はきっと椿でございましょう。私のような無骨者には、とても言葉に表せるようなものではございませぬ。ただただあなたは美しかった!夏の腐臭漂うおぞましい戦場であっても、雨降りしきる泥にまみれた戦場であっても、あなた様は冬のように残酷な美しさで孤立しておられた。 泥と血と悲鳴とに彩られてなおなんとおぞましくも美しいあなた。 今も夢想し私は焦がれます。一時であれ供としてお仕えできたのは私の至上の名誉であり幸福でございましょう。 あなた様に足をねじ切られましたことはあの時こそ恍惚のすべてでございましたけれども、今となっては戦場のあなた様を眺め隣を駆け思い出したように襲うあの銀月を避けて共に嗤い無邪気に破壊の限りを尽くしますことが懐かしくて懐かしくて仕方がないのです。嗚呼どうしてあの時腕を持っていってくださらなかったか。腕なら口にでも、鎌を銜えて走れました。持っていかれたのが首ならば、一瞬の恍惚のうちに私はこの世を去って地獄で物見遊山。日毎夜毎噛みしめる追憶と空想はまるで甘い砂のよう。含んだ時こそ甘かれど、後にのこるこのひもじさと乾きをどうせよと仰るのか。 嗚呼口惜しい。とてもとても口惜しい。 ここはとても退屈です。あなた様がお命じになって作られた庭は、整理された死の匂いしかいたしません。あの不確定な波乱に満ちた、心躍る死は影もない。退屈なのです。あなた様も知っておられるはずだ。あなたの美しい白鷺の城。噫ここには死の匂いがある、キチンと整理された造形美が。知っておられるはず。あなたはそれを作ることに楽しみを覚えられたけれどそれだけだ。時折思い出したように眺めてはこの整頓された冥土を味わいまたあなた様は修羅へ駆けてゆく。何故私を置いてゆかれるのです、何故私目をこのような城に留め置くのです。この足ではどこへもゆけますまい。ああ、ああ!何故もう私はあの極楽に似た地獄を駆けることができないのか!そこに立つ美しいあなた、阿修羅も帝釈天も全て凌駕する異形のあなた、美しい私の神、なぜその隣に立つことができないのか!私は口惜しくて口惜しくておかしくなってしまいそう。ああいけない、取り乱してしまいました。そうならないために筆を取ったというのにこの始末。まったく自分自身手に負えませぬ。困ったものでございます。 しかしそれほどまでに私が、あの戦場に舞い戻ることを望んでいるのは事実です。嗚呼光秀様、何故私から足をお奪いになった。何故私を斯様な場所へ押し込める?そのくせあなたは、ちっとも訪ねてきては下さらない。このように書くと、まるで未練がましい女の文のようで、嗚呼嫌だ。しかし実際私は未練ばかり抱いているのです。あああの戦場のあなた!あなた!あなた! そうだ、そうですとも言葉に綴って私は理解いたしました。この癒されぬ渇きだ。そうだ、あなたの首が欲しい。欲しいのです。そうしたら私、きっともう何もいりませぬ。貴方の首をかき抱いて恍惚のまま眠れるでしょう。永久に。とわに。 狂っている?勿論ですとも。無論ですとも。むしろ望むところ。これもみなあなたが美しいせい。 ああ貴方の首が欲しい。欲しい。 どうぞ今度私を訪ねておいでになるときは武器を召しませ。私は駆けること敵わずとも私の全てを持ってあなた様をお迎え申し上げましょう。私の全身全霊を賭けてお相手仕る。決して敵うとは思っておりません。あなた様は死神、私の死神、美しい人。嗚呼どうぞその瞬間をお待ちしております、私は最早その瞬間のみを夢見て生きております。嗚呼喉が渇いた。乾いて渇いて仕方がない。お慕い申し上げております、光秀様。さあお早く。銀月の鎌磨き漆黒の具足纏い夜闇の鎧付けおいでなさりませ。遠慮はなにもございません。はいつまでも、あなた様のご用意なさったこの箱の中お待ち申し上げております。あなた様があの開かない襖を蹴破って、真っ赤な月を背に現れるのをずっと、ずっと。 嗚呼どうぞ始めましょう、別れの宴を。あの至上の幸福へ続く鬼も裸足で逃げ出すほどの、大戦を始めませう。あなた様と私とで。さあどうぞ今すぐ。武器を取って。さあ、さあ。さあ。そしてどうぞこの諦めの悪いに、引導をお渡しになって。さあ、お早く。黄泉の渡しの船頭も、随分前から待ちくたびれて、今か今かと急かします故。鴉も鳴いて落ちました。さあお早く。空も大気も最早真っ青な群青。あなたの色が終わってしまいます。さあ。さあ、夜が明けるその前に。武器を召しませ。いざやいざ。手に牙を持ち、血を纏って。 |
(夜明け前の群青) |
20081208 |