明智はよく学校を休んだ。
 彼の肌はぞっとするほど青白いが、病気というわけではないらしかった。血の巡りが悪いのと、あとはただすべてが惰性なのだと、彼はわらう。特に食事がもっとも面倒くさいと言って、よくなにも食べずにいて倒れる。なにもかもが怠惰。ようするに怠けているのかと言うと、それも違うと言う。彼にとって息をすること、起き上がること、思考すること、それらすべてが億劫で、大層労力を使う動作なのだそうだ。それら生命を維持し、生活を回す基本的な作業をこなすだけで、彼はもういっぱいいっぱいなのだと言う。とてもそれらの作業に全力で取り組んでいるようには傍からは見えない、というよりも手を抜いているようにしか見えない。
 精神の病なのかと問うと、そういった医者にかかったことがないからわからないがおそらく違うだろうと言う。
 ―――業ですよ。
 長い前髪の向こうから、明智は静かに、そう底知れず不気味に微笑む。その言葉は、真夜中に暗い庭に面した渡り廊下で、不意に死神の鎌を突き付けられるような、そんなヒタリとした冷たさを持っている。
「前世だか来世だか今生だかの、業がそうさせるんです。」
 私の背中に重くのしかかり、起き上がらせまい、立ち上がらせまい、なにもさせまいとする。それが業だと、現代の男子高校生が口にするには少しばかり異様な単語を彼はごく自然に操った。ではそういった前世来世今生と、そう言った魂の輪廻的な階層・転換を信じているのかと問うと、否と彼は答える。
 私はなにも、信じてはいませんよ。
 明智自身に自らを語らせるのであれば、ただ彼は、幼い頃からこの世に疲れきっていた。しかしそこに悲壮感はなく、彼はこの世のすべては美しく、それらの存在すべてをその根本、血の一滴から愛しているとすらその無感動な濁った瞳で言い切るのだ。
 ちはうつくしいですね。
 彼は静かに、やはり興味なさげにそう言う。血が見たいかと問えば、彼はいいえと答えるだろう。
 理由もなく疲れ切った男、倦んだ男、怠惰で、何もかも億劫で、何もかもを美しく思いながら、そうして無関心で無感動な男。
 それが明智光秀と言う、いまだ男と言うにも齢の足りぬ青年だ。
 なぜそれを私が知っているかと言えば、ただ、それは偶然に因る。







  





 屋上だった。青い空が高く開けて、その下にちっぽけに私がいる。
 給水塔の上は小さな私の砦だ。
 そこで私は、紙飛行機を折る。何百枚も四角い束になって売られているコピー用紙を、給水塔の下に隠していた。晴れた日は朝一番に、運動部が朝練を開始するよりも早く、私は屋上へ続く階段を登った。コピー用紙のそっけない、つるりとした白が好ましかった。よそよそしくはなく、しかしやはりその白は優しくはなかったし寄り添ってもくれない。そこが良いと思った。だから私は、その紙を選び、それを飽きずに幾つも折った。折るだけでは飽きたらず、もちろん私はそれを飛ばす。殆どは屋上という四角い領域を出ることはなく、哀れな水鳥のように屋上に散らばった。散らばった紙飛行機の死骸は、給水塔を中心にまぁるい白い円を描いた。 円の中心から離れるほど、死骸の密度は疎らになった。ごくたまに、フェンスの金網をすり抜けて空へはみ出すものもいたが、三日に一機出ればいい方だった。
 何も私は考えていない。ただその欲求というよりも衝動(しかしそこに胸を叩くような激動の思いはない)に従い、山のように折りあげた紙飛行機を惜しげもなく飛ばし、予鈴がなるより前、野球部のランニングが終わり、バットとボールのぶつかる音が聞こえて来る頃には、白い亡骸の円を黙々と拾い集め、ごみ箱へ棄てた。
 私のこの奇妙な習慣を知る人間はいないだろう。
 青い空に、白い紙飛行機。
 きれいとは思わない。ただ私はそういう機械になったように、あるいは狂ったように、無心に紙飛行機を飛ばし続ける。ただひたすらに、黙々と。夢中になりながら、無感動のままに。

 その朝もいい天気だった。
 そう言った日、私の目は勝手に目覚ましの鳴る前に目覚めた。窓の外を見るまでもなく、今日だ、と感じる。
 私は日が昇ったばかりの道を学校へ、否、屋上へ向かって歩いた。ヘアピン一本と大人に見つかった場合の手間暇を厭わない度胸とで屋上への扉はお手軽に開かれる。広がるのは青い空だけ。給水塔の下に手を伸ばし紙の束をとる。そろそろ買い足さねばなるまい。それを小脇に抱えて梯子を登り、あとは延々、紙飛行機を折りそれが山になれば上から順に飛ばした。髪を背中に浚って吹く風が気持ちよい。夏空に飛ばすのも冬の中凍えながら飛ばすのも好きだ。景色がぼやけた小春日和に飛ばすよりも、どちらかといえば明瞭な色彩の、極端に晴れ渡っていたり冷え込んでいたり炎天下を予感させる朝であったりの方がより好ましい。その日はたしか、炎天下を予感させる空の青さだった。
 紙飛行機がつい、と一瞬重力と己の重さを感じぬように浮かび、そしてゆっくりと滑り落ち、死ぬ。それを無感動に、無心に私は繰り返した。いつものように。
 そのうちひとつが、フェンスの引く境界線を越えて、空に落ち込んだ。
 ―――馬鹿な子。
 私の口端が静かに持ち上がる。
 馬鹿な子、どんなに上手に風に乗ってまっすぐ遠くへ飛んでも。この真っ青に落ち込んでは弱弱しい紙の飛行機、お前に待つのは死しかない。いずれにせよ私を中心に、散らばるこの紙の残骸たちは、ゴミ箱へ向かい、炎に焼かれて死ぬ。その意味では、屋上を抜けたものも抜けられなかったものも同じだろう。ただこの国の埋葬方式でよくあるように、炎で焼かれず雨風に晒されて風化しても、その物体は成仏なるものができるのかしらと、普段自らの属する宗教など考えてもみないくせにそう考える。
 カチャと小さな音を立てて、屋上へ至るただひとつの扉が開いた。
 その音に一瞬びくりとし、しかし私は、すでに見つかった時のことなど百も承知で上がっているのだから、恐れるものなどなにもない、引き続き紙飛行機を飛ばす作業に戻った。大人に叱られるのなら、ひとつでも多く、飛ばしてからでもいいだろう。
 しかし予想していた声は飛んでこなかった。静かだった。噫、生徒だなと直感し、やはり私はだまって紙飛行機を飛ばした。時折私でなくても、学園の生徒はここへ上がってくる。主に禁じられている煙草を嗜むためであったり、意味もなく黄昏れて、静かな昼寝の場所を求め、次の授業がだるいから、気持ちのいい風の吹く場所で昼食をとるため、あるいは異性との不純な遊びに耽るため―――さまざまな理由だ。
 訪問客はひとりのようだった。
 ひらひらと上から降る紙飛行機と、ドアを開けた先の床に散らかった無数のその残骸に、客は頓着せず歩みを進めた。靴の下で白い鳥が潰れる。かわいそうに。そちらも見ずに私は飛行機を飛ばし続ける。客は給水塔の上に胡坐をかく人間が見える位置まで歩みを進め、そうして振り返った。私とは対照的な白い髪が、強い風に吹かれて邪魔そうだった。
「ああ、」
 あなたですか、と客が言った。
「ああ、明智か。おはよう。」
 私は答えた。同じクラスだった。答えながら、私はやはり飛行機を空に投じた。ツイ、と一瞬重力の戒めから自由になったそれは、やはり途中でパタリと落ちた。最後まで見送ることもなく、次の飛行機を飛ばす。まだ飛行機の山はそれこそ半分以上残っていた。しばらく明智は、黙ってそれを見上げていたが、「パンツが見えますよ。」 そういった意味のことを無感動に言った。「短パン履いてる。」 と私は返す。
「…それは残念。」
 なにものにもそう思わない声が笑った。残念などと、何にも思ったことはないだろう声。

「明智もおいでよ。」

 ふいに私は、ごく自然にそう口にした。
「一緒に飛ばそう。」
 明智の手には先ほど空へ落ちた紙飛行機があった。











  




 なぜと問われてなぜと返した。
「行動するのに理由は必要?」
 それに明智は、ニタリと笑った。ずいぶん湿っぽい笑い方だと思う。悲しそうだとかさびしそうなのではない。ただ単純に、湿度の高い笑みなのだった。真夜中の沼地のようなという喩えは、安直すぎるかもしれないがこれほどしっくりくるものもない。
 蝉が鳴きだしていた。二人で並んで延々と紙飛行機を飛ばした。明智は思いのほか、紙の鳥を風に乗せるのがうまいらしく、もう何羽も、屋上からはみ出た。
「なかなかやるな。」
「…あなたも暇ですね。」
「明智も暇なの?」
 暇ですよと返された囁きは秘密めいていた。ふぅん、と相槌を返しながら手を放す。紙飛行機はやはり床の上に滑り落ちた。「下手糞ですね、」 と明智が微かに馬鹿にするような言い方をする。そう言った感情表現ができるくらいには人間らしいところがあるのだなと私は妙に感心して、「別に遠くに飛ばすのが目的ではない。」 とだけ答えた。
「明智はさっきから、屋上からはみ出させすぎだ。これじゃ上から紙飛行機が降ってくるってんで先生方が屋上に乗り込んできてしまう。」
「…それは考えが足りませんで。」
 クツ、と喉の奥で笑った明智は、器用に屋上のぎりぎり端まで紙飛行機を飛ばした。「…なかなかやるな。」 「どうも。」 明智の表情はいつも涼しげですらあった。ジリジリと太陽が温度を上げ、そろそろこうして日を遮るもののない給水塔にいることが苦しくなってくる。ちょうどよく、野球部がノックを始めた。カン、という乾いた音。その音に反応して動作を止めた私に、明智が怪訝な顔をする。

「今日はおしまい。」

 未練もなにもなく、するりと給水塔を降りた私を見送って、明智は背中に手を付き、笑っていた。
 黙々と紙飛行機を拾う間、明智はそれを上から見ていた。手伝えとは言わなかった。特にその必要性を感じない。
「あなたは変わった人だ。」
「クラス一扱いに困る変人が何を言う。」
 その返しにもやはり明智は愉快そうに笑うだけだった。
 わらう明智を放って、暑い屋上を降りた。まだわらう声が聞こえていた。少し彼は頭がおかしいのかもしれない。テストの成績はいつもいいが、学力の高さが人間としての信頼性に直結するとは限らない。そもそもそれらは矛盾することのほうが多い気がするのは私だけか。
 追いかけてくる明智の笑い声は、どこかひび割れて聞こえた。

 それ以来明智は、私が屋上へあがる三日のうち一日は、屋上へ昇ってきた。余程の閑人だった。そうでなければ私に気があった。冬になれば来なくなるだろうという予想も裏切り、手袋もはめず紙飛行機を寒空の下折るだなど馬鹿か阿呆だという朝にも、彼はやはり来た。
 いよいよ私に気があるのかこの阿呆と思ったがそれこそ冗談だった。実のない話ばかりをした。教室のあなたと屋上のあなたは少し異なると明智が述べた。明智はどこにいても変わらないねと私が言うと、明智は真剣に、「私には多面性がない。」 と言った。人はみな多面体のプリズムだろうと言ったら、「その心は」 とニタリ笑いをするので、「向こうが透けて見える。」 と返した。
「では平面の私はどうです。」
「向こうが見えない。」
 やはりそれに彼はわらう。
 明智光秀と言う男は変わっている。
「そういった人間をあなたはどう思われますか。」
「明智の疑問文は語尾が上がらないね。」
 やっぱりあなたは変ですよと、明智がすこしあきれたように言う。

「だってどうでもいいじゃんか。」

 それはいつでも、おそらく誰に対しても、私の本音であるのだった。
「正直私は明智が立体だろうが平面だろうがプリズムだろうが泥だろうが変人だろうが閑人だろうが、どうでもいいんだよ。」
 ともすれば熱烈な告白に聞こえないこともない台詞だったが、もちろんそのような意味はなく、相手ももちろんそうは受け取らない。そう受け取られるだけの熱も、感情も、私の言葉にはこもっていない。
 紙飛行機を構えた手を水平に離す。ツイ、と紙の鳥が飛ぶ。その背後の青を黒が横切って行った。
「鴉って嫌いだな。」
「なぜです。」
「私より頭がよさそうだから。」
 ハハと明智がわらう。私たちはずいぶんと閑人だ。











  




「業、ねえ。」
 ポツンと呟いた言葉に濃が反応した。
「え?」
「え?…ああ、違うよ、濃を呼んだんじゃない。」
 ごう、と、のう、という音は、母音的だけ見れば確かによく似ている。小さな声なら聞き違えることがあっても不思議ではないだろう。あら違うの、と穏やかに微笑む彼女は、それこそ菩薩のように美しい。どこか儚げで、しかし強かに艶やかな友人を眺めながら、私はなんとなく口を開く。濃は美しい。いつもどこか、悩ましいほどに。
「この世の何もかもに無感動になってしまうくらいひどいことってなんだろうかと思って。」
「なぁに、それ。」
「あるいはこの世の何もかもに無感動になってしまうくらい素晴らしいことってなんだろう。」
って時々むつかしいことを言うから困るわ。」
 ちょっと肩を竦めてわらいながら、それでも濃は私の会話に嫌な素振り見せず付き合ってくれる。上を向いてはいないが長く、カーテンのように連なるまつ毛の影。白い頬にかかるそれを見ながら、いつも私は、きれいだと阿呆のように思うのだ。目じりの赤く引かれたラインも、そう似合う女はいない。
「あのね、ものすごくなんにでも無感動で無関心で無気力な知り合いがいるんだけど、」
「あら。」
「どうしてそうなった、って聞いたら、それが前世だか来世だか今生だかの"業"だっていうから。」
「まあ…。」
「それっていったいどんなことしたんだろう、どんなことするんだろうと思って。」
「そうね、…――――ええ、とても、むつかしいわね。」
 濃は問いの答えに迷っても、決してそれをあきらめない。投げ出さず、馬鹿にせず、かといって深く悩み過ぎもせず。そつがなさすぎると感じる者もいるだろうが、私にはそれが心地よい。どうせ深く考えるような話題ではない。他人の業だなんて、どうでもいいのだから。話題の主は教室にいない。1時間目から優雅に保健室と決め込んでいる。もちろんいてもいなくても特に何も変わりはしない。変わるのは、彼女が学校の帰りに持ち帰らねばならないプリントの量くらいだろうか。家が隣り合い学年が同じでクラスまで被った上に面倒見がいいと、こういった雑事が増える。

「ね、濃は生まれる前だとか後だとか信じている?」
 考え込むポォズを止めて、濃が 「ええ?」 と目を丸くする。そうすると少し、あどけなく見えて彼女は年相応にかわいらしい。普段はずいぶんと大人びて見える彼女ではあるが、それは認識不足というものだと私は知っている。大人びて見えるのではなく、そう見せている。恋する彼女は、その相手に相応しくあろうと、いつでも見えないハイヒールを履いている。それを知っている人間はおそらくそう多くはなく、そうやって懸命に背伸びをする様子こそがかわいらしくあどけないのだということをわかっている人間は少ない。それら両方を理解していて、彼女の無理なヒール姿を楽しんで愛でているあの男は、若干趣味が良すぎていっそ悪いと思う。合う度私が、おいロリコン変態おっさん、と呼びかけるあの男。そして彼をそう呼ばせまい、呼ばれまいとしてヒールを履く私のかわいいかわいい親友よ。だがそう、私も同類だ。踵が擦れて血が出ても、つま先が痛くても、その靴を履いて踊る彼女は美しい。
 ―――そんな靴脱いでおしましなさい。
 そう言うのは私でもあの男でもない。そう言いたくて仕方がないのは誰だ。私は多分、知っていると思う。青白い顔、すべてに無関心で無感動なそのこころ。
「そうねえ…、」
「ちなみにその知り合いはそういうの、信じてないんだって。」
「なぁに、それ。」
 美しい眉をひそめて、濃が苦笑する。
「信じていないのにそのもののせいにするのって、なんだかおかしいわね。」
 そうだね、と目を閉じながら私はそれに同意する。
 信じていない魂、信じていない運命、信じていない神さま。信じていないということは、きっとそれらのせいにできないということと同意なのだろうなと思う。信じていないものを理由にしても仕方のないことだもの。信じていないもののせいにしても、滑稽なだけだもの。呪うものも縋るものもなく、しかし現代においてはそんな人間が増加し続けているに違いない。神様なら理性が殺した、奇跡なら化学が消滅した。
 そんなことわかっていて、「業ですよ。」 そうヒタリとわらう男。
 信じていないならその罪を誰に擦りつける?

「…ああ、そうか。」
 私のひとりごとに濃は首を傾げる。
 あの男は生まれ変わりも魂の階層も信じちゃいない。
 自らのなにか罪だか咎だかに対する業のみを、彼は信じているのだ。つまりは自身、ただそれのみを。自分はかつて、そしていつか、確実にこの無気力で無関心で無感動な精神に値する何事かをやるかやったかしたのだと、信じている。
 …破綻していやがる。
 なんとなく考えた言葉は奇妙な現実味を持って頭の隅に転がった。



















 空が青いと紙飛行機を飛ばしたくなる。
 これは病気だ。おそらく前世だか来世だか今生だかの、業、とやらがそうさせる類の、馬鹿馬鹿しいことこの上なく、意味などないと熟知しながら、それでも構わぬと開き直って勤しむ類の。

「おはよう明智。」
「おはようございます。」
 今日も早いですねというその挨拶が、今日も阿呆ですねと聞こえる。おそらくそれは空耳であっても意味の捉え間違いではないだろうから、私は少しだけムッとしておく。誰が阿呆だ。私か。そうか、阿呆であるのは事実だった、事実を指摘されたことに腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいと考え直し、すぐ忘れることにする。しかしなるほど、屋上に明智が上がってきたので、ああきっと今日はあの子は休みだなと思う。もう随分前から、私はこの奇妙な符合に気が付いている。気が付いているだけで特にどうとも思わないし、正直まるで興味がない。指摘したところで野暮で無神経なだけなのでなにも言わない。泣く子も黙る巨大企業の敏腕社長様のお休みは不定期で、それに合わせてお姫様が学校を休むのは健気なことだ。悪い大人め。ひどく趣味が良すぎていっそのこと悪趣味な男め。あれが変えたのは何も未来のお嫁様ばかりではないのだろう。例えばその少女の隣家に住む友達のいない無気力な少年だとか、小さな頃からずっと 「濃、濃、」 と後を追うばかりだった臆病ですべてに無関心なふりした少年だとか、だとか。
 豆腐の角に頭をぶっつけて、馬に蹴られて、死ぬだけの気力は君にない。
「明智は暇なの?それとも私に気があるの?こんな早くにこんな無意味なことに付き合うなんて。」
 阿呆みたいだよ、という最後の文は省略する。そうしてもおそらく伝わるからだ。
 明智は顔だけで、「気持ちの悪い冗談はよしてください。」 と言った。それはもう心底嫌そうな表情だった。素晴らしい表情筋の働きに私は感心する。
「ひどい顔だよ明智くん。」
「こんな顔させているのはどなたです。」
 軽口を交わしながら、二人の視線は合わない。手元の紙飛行機を折り続けるので忙しいので。Aren't you crazy ? クラスの伊達男ならこれくらい言いそうだ。二人の間に山と積もった紙飛行機。無意味に作り出され消費され捨てられる、世に多く溢れるものと同じもの。この話とおんなじだ。ここまで読んでもなんの展開もなく意味もなく、読み終えたときに得るものもない。
「いやあ、業ってやつはなんとも罪深い。」
 そうわらうと明智はうっそりとした虚ろな表情で私を見た。伸ばしっぱなしの長い銀の髪の間から覗くその眼差しは、まるで底のない井戸だねえ。時々私はこの男にのんびり穏やかに笑いかけるように語りかけたくなる。無駄だねえ、なにもかもが。無意味に生産され消費される私の紙飛行機。白い鳥。私の周りに円を描いて骸は積み重なる。随分昔に、やはり同じように無意味だと、彼を見下ろしてせせら笑ったような気がするのだ。
「無意味だよ。みんな。」
 業ってやつもすべてみな。言外にそう言うと、明智はうっすらとわらった。「いつもあなたはそうですね。」 私のいつを知るかは知らないが、私は確かにいつもそうだ。意味などない。意味などない。
 おそらく私たちは、前世から、あるいは来世まで、あるいは今生、そう言った無意味な生を重ねて繰り返す。意味などないと知りながら、それでも構わぬと開き直って?
 ―――いいや、それは私だけだ。
 チラリと顔を上げて明智を見ると、彼はせっせと紙飛行機作りに精を出している。ただ淡々と作業を続ける顔は、いかにも退屈しているが、しかしその仮面の下に信じられないような幼稚で性質の悪い情熱にもにた執着が、思いやりがあることを知っている。
 なにもないのは私だけ。
 少し笑うとおもしろい。そうだ、私に意味も意義も情熱もない。ただ白い鳥の骸だけ、積み上げて歩く。
「恋とはいいなあ、青少年。」
「なんですか突然…気持ち悪い。まさかとは思いますが、あなた私に気が…」
「ねえよ。」
「ですよねぇ。」
 クツクツという陰気な笑い声と、ケタケタという軽い笑い声とが屋上に小さく転がる。さあ今日も紙飛行機を飛ばそう。すべて戯れの手慰み。所詮この世はみな、空虚な暇潰し。望みを絶やす前に希望がない。少なくとも私にとっては。手を離れた紙飛行機は、ツイ、と風に乗って空へ飛び出した。良い風だあね。暇潰しに遊んでおくれよ。
20111011加筆20120804



   。