01.黒いお城のお留守番

 よく晴れた日だった。雨なんてもちろん降りそうにない。カラッと乾いた夏の一日。空には雲も見当たらず、通り雨など期待できそうもない。せめて木影が欲しいところ。
 なのにその日、城は空から降ってきたものの話題で持ちきりであった。雨でもなければ雪でもない。それにそもそも、雪ならまだしも雨が降ったくらいで城中の噂話になったりはしないだろう。珍しいことをすると槍が降るなんて昔から言うが、もちろん槍でもなかった。まさか真夏に、雹が降ったわけでも、魚が降ったわけでも札が小判が猫が鰹節が、降って来たということとも違う。もちろん忍びが乗った大凧が降ってきたわけでも、お使い途中の戦国最強が上空でなにか落し物をしたわけでもなかった。
 では一体、何が降ってきたというのか。

 遡ること数刻。発端はこの城に住む一人の少年の悲鳴にも似た大声だった。
「のっ、のののの、信長様アアアアア!!たったっ大変です信長様アアアアア!!!」
 おどろおどろしい装飾の階段を駆け上がりながら、しかし彼が一生懸命必死に呼んだ主は現在遠征中で留守だった。
 勢いよくそれはもう城中に響き渡るような大声叫んだ後で、はたとそのことに思い当たった少年は、しかし自分のうっかりに恥ずかしがる暇もなくもう一度大声を出すために息をたっぷり吸い込む。もちろんその間も、細い足が元気に廊下を蹴り、黒い城の階上を目指す。なにせ一大事であるのだ。主の留守を守るのも、小姓の立派な使命であるから、彼はいつでも、全力投球なのである。曲がり損ねては突き当たりで壁にぶつかり、それでもめげずに少年は走った。この大事を可及的速やかに、主またはそれに連なる人物に伝えねばならない。
「濃姫様アアアアアア!!!」
 今度呼ばれた相手はしっかりこの城にいた。
 いつもの大声より三割り増し、おまけに若干パニックを起こしかけているその響きに、呼ばれた本人は化粧の最中であったが新しい京紅も放り出し、いつでも傍らに置いてある南蛮製の火器をかっこよく片手に取ると障子を開け放った。黒地に真っ赤な蝶の舞う、着物の裾がセクシーに靡く。目の保養、いや、叫んでいる少年の年頃を考えれば目の毒であるが、そんなことを言っている場合ではない。勇ましく廊下へ飛び出た彼女は、声のしたほうへ駆け出す。その間も少年の声が自らを呼んでいる。
 そそっかしくてまだまだ泣き虫で意地っ張り、そんな少年はしょっちゅう自分らの名を呼んでは駆け回っているが、声の響きが違う。敏感に異常を感じ取り、彼女の胸が不安に鳴った。少年の名を、呼び返す声も固くなる。
 まさか敵襲か、と暗い予感に美しい顔を曇らせ、背中に汗をかきながら天守閣を駆け下りる。彼女の夫はなかなか人の恨みを買うことが多い――というより買取専門の気が甚だ激しい人であるから、そういった事態が起こることは簡単に想像できる。しかしまさか彼の留守を狙うとは。
 来るなら来るがいい――彼の人がおらずとも、この城には修羅がいるのだということを思い知らせてくれる!
 若干危険な決意を胸に着物が乱れるのも構わず駆ける彼女と、ついに少年が長い廊下で鉢合わせした。
「濃姫様ァ!」
 混乱中、と名札の貼ってある幼い顔が、細腕にバズーカを抱えた彼女を認めてパアッと明るくなる。まったく頼もしい姫君もいたものである。
「なにがあったの!?」
「そっ、そそそそそそれが空から…!」
 空から。
 少年は大分慌てていて、呂律が回らない。その間にも彼女の頭は結構なマイナス思考で、悪いほう悪いほうに想像が膨らむ。
 空からまさか弾丸でも降ってきたのだろうか。この城に大砲をしかけるとはなかなか大掛かりだ。城のまん前でそんなことされれば馬鹿でも気がつく。しかしまさか。そんな、ひょっとして。
 どうやっても、馬鹿で明るいことを考えられない濃に、やっとこさ呼吸を整え終わった少年が告げることには。

「空から変な女が降ってきました…!!」
 ジブリか。
 あいにくつっこめる人材は、この時代にはまだ、いない。


(20090517)