02.翼持つもの。 |
降ってきた娘はそれはもうあっさりしていた。空から降ってくるなどという常識外れなことをしでかしたくせに、なんともまあおどろおどろしいデザイン、だなどとのんきに織田城の内装を批評している。肝っ玉が据わっている猛者と判断すべきかただの馬鹿か。この奇妙な闖入者を前に、濃は眉間に手をやった。頭が痛い、のポーズである。 「やいお前!」 濃姫様がやらないなら俺が!と勇んで声を上げる少年は蘭丸。ははは、元気がいいな小童、と娘のなんともいえないコメントに、ますます彼女は頭痛を覚えた。 なにせこの娘、普通ではない。 赤い髪は燃えるように明るく、青い目をしている。そして娘は、背中に羽を生やしているのである。その羽はやわらかい橙色、炎の色をしている。本当に背中から生えているのかは服を脱がせないと分からないが、なんとも自然にしっくりと、その痩せぎすの背中に収まっている。華奢を通り越して痩せた印象であるが、内側から発光しているような娘である。なによりその青い目から発される不思議な輝きにともすればのまれてしまいそうだ。今は縄で後ろ手にぐるぐる巻きにされているが、さっぱり緊張感にかけた。縛られたまま胡坐をかいて、座っている姿などどこか堂々としていて姿勢正しく、まったく捕まったというのに悲愴さの欠片も感じられない。おそらく縄があってもなくても、彼女の態度は同じだろうと思わせる要素があった。 「お前なんで落っこちてきたんだ!さてはアレだな!お前忍びだなー!」 『違う。』 「嘘付け!じゃあなんで空から降ってくるんだよ!」 『空から降ってくるものはみな忍びなのか?』 青い目玉をぐりんと開いて首を傾げたその問いかけに、うっと蘭丸が詰まる。 「生意気言うな!どうせアレだろ!この城の様子を偵察してたんだろ!蘭丸にはお見通しだぞ!」 『残念ながらお前の千里眼は曇っているようだ。』 カラカラと笑って、娘が告げる。 『ただこの上を飛んでいただけ。落ちたのは偶然だ。意地の悪い雲に引っかかった。』 飛んでいた。まずその言葉がなんとも非常識であった。 「…そんなこと信じられないわ。」 それまで額を抑えて黙っていた、濃がついに口を開いた。蘭丸では相手にならない。彼女の静かな瞳を受けて、娘が少し、口端を持ち上げる。どうにもその仕草が背中の羽と相俟って鳥に似ていた。 それにしても不思議な虹彩をしている。真っ青なそれはあまりに深く、底がないかと思われた。 『信じる信じないは君の勝手。けれど解いてくれると嬉しいな。特に用事があるわけではないけれど、こうやって縛られてるのはどうにも堅苦しくって、いけない。』 「ふざけないで!」 『ふざけていない。』 まただ。かすかに濃はぞっとする。その青い目が時々、恐ろしく思うほど真っ青に見えるときがあるのに、彼女は先ほどから気づいている。自分よりふたつみっつ年下の小娘だ。だのになぜだか、ずいぶん年上の相手をしているような、余裕のなさを感じている。 ほら、今もだ。娘が見ている。まるで心の奥の底まで、見透かすような目だ。なんだかすべて、見抜かれているような気がする。あの人は私を愛してくださっているのかしら、そんな小さなとげのような不安すら、すべて。 ふいに娘が笑った。 『かわいらしいね、娘。』 ぞっとした。 濃は初めて気づいたのだ。目の前の娘が、"喋って"いないということに。自分たちとは違う。なにが、といわれれば分からない。ただ自分たちと違う仕組みで、音を出し、声を発している。それに気づいた。娘がもう一度首を傾げる。やはりその仕草は、鳥の所作に似ていた。 『本当だよ、飛んでただけ。なにが信じられない?』 ニコリと笑って言われた言葉なのに、とっさに濃は拒んだ。 「すべてよ!」 この侵入者はどこかが変だ。どこかどころか何から何まで。なのにどうして、城の主がここにいない。 『困ったなぁ。だって私はここの城主が誰かも知らないのに。』 濃の思考を計ったようなタイミングで、娘が呟く。 「嘘!」 『嘘ではないよ。』 なんなら飛んでみせようかと、訊ねる響きには冷たいほどのうんざりしたような気配があった。実際娘はけだるげに、ひとつ欠伸をする。このままではいつまで経っても会話は平行線だ。なにも始まらないしなにも終われない。力いっぱい睨みつけた濃の視線にもまったく動じることなく、娘は首をコキコキと鳴らす。 「それが噂の侵入者ですか。」 歌うような朗々とした声が、ふと入り込んだ。深い、どこか遠くから響くような、深い調子の声。娘がついと顔をあげた。その声に濃は思わずぱっと顔を明るくし、蘭丸はうげぇと顔を歪める。彼自身の大声によって、すっかり娘のことは噂になっていたらしい。 開いた扉の向こうには、光を背にした真っ黒なシルエット。体が左に、わずかに傾いでいる。光に透ける長い髪は白く、暗い部屋の中からはまるで銀に輝くようだ。長身の男が、どこか不気味ともとれる美しい微笑でそこに立っていた。相変わらず血色の悪いこと、とその白すぎる頬を見やって濃は少し呆れる。 その間にもクッと喉の奥で笑った男を、娘は凝視していた。冷たいとも優しいとも取れるなんとも奇妙な微笑の男と、真っ青な娘の目が合う。沈黙。半分長い前髪に隠れた男の瞳のその先をうかがうように、娘が口を開く。 『……お前鳥なのか?』 「はい?」 あなたは馬鹿ですか。と響きだけで男が話す。それもまったく気にしないように、娘がなおじっと見つめて続けた。 『今"ことば"を話したろう。』 娘の目が、男の赤い目をじっと見る。わけがわからないと長い首をカクリと傾げた男は、そう言えば少し、鳥に似ていた。 |
(2009 |