05.齢二百十八の少女
「二百年?」
 一瞬聞き間違えかと思い、しかしやはり、間違いではないらしい。
 光秀のその問いに娘はやはりあっけらかんと答える。『先も言ったと思ったが光秀はひょっとして頭が悪いのか?』というこの状況で自殺行為としか思えない一言付きで、朗々と。
『私は。泰山に住まうもの。人に分かりやすく言うなら地仙だ。師の名は楊春。十三になるまで鳥に育てられた私を引き取り、面倒を見、十八になった時に仙籍を与えてくだすった。恩人だ。』
「…お待ちなさい、十八?」
 とてもそれ以上の齢には見えない。むしろ十八という年すら驚きで、どう見積もってもせいぜい十五、六といったところだ。
『違う。二百十八…くらいだ。細かい数は覚えておらん。』
 あっけらかんと、娘は言った。思わず光秀が、鎌を首から引くくらいには、堂々と。

『何の話だったか?…そう、二百年頃前だ…確か明がまだ元だった頃だな。』
 スラスラと娘の口から、彼の大国の歴史が飛び出すことに光秀は目を丸くした。この娘の教養が高いのか、それとも本当に話しぶりから察されるように体験として知っているのか。いずれにせよ正気の沙汰ではない。気味悪げな者をみるような光秀の蔑むような目にも、彼女は全く動じない。

『泰山のさらに西に、巨大な鳥の棲む険しい山脈がある。人にはガルダとか、伽瑠羅とか呼ばれる鳥だ。そこをある旅の一家が、やむ終えず通った。普通人の身で通ろうとは思わぬ道だが、彼らには他にとる道がなかった。一家の主は国の大臣をしていたが、政争に敗れ追われる身となった。かつて知り合ったある地仙の助言に従い、西国へ逃れようと一家でその山を越えようとしたのだ。』
 動じないどころか気づきもせずに、昔がたりが始まった。
「…。」
『山には竜をも喰らうその怪鳥が棲んでいることも理解していたが、それしか生きる道はない。なんとか順調に旅路は進み、山道も残り四割を切ったと思われるあたりで、彼らは鳥の巣に迷い込んでしまったのだ。鳥のあまりの大きさ、嘴と爪の鋭さと目の明るさに肝を潰した夫婦は、生まれたばかりの赤子を投げ出して、そのままどこぞへ裸足で走って逃げ去った。』
 そこで娘は一拍置いて、にこりと笑った。

『その赤子が私だ。』

 娘の声には、湿度などからっきし感じられない。どこまでもあっけらかんと、自らの出自を語る。
『鳥は、親が我が身かわいさに投げて寄越した人の仔に哀れをかけて、自らの娘として育てることにした。だから私は、私を生んだ人間に道を教えた仙人が、山を抜けた様子のない一家を案じて探しにくるまで、自らを鳥だと信じ込んで育ったのだ。』
 荒唐無稽としか形容し難い話である。

「だから鳥の言語がわかる、と。」
 ようやっと光秀が発した問いに、娘はさも当然と頷く。
『わかる。』

「あなた気は確かですか。」
『人は人言語以外を解さないから哀れだ。』
 話をするのも飽きたと言う風に、娘はぐるりと部屋をもう一度見回し、片隅に吊り下げられた鳥かごに気づいた。竹で編まれた籠の中には、桃色の嘴をした文鳥が一羽いる。いつもの光秀の気紛れだ。
『あれは?』
「文鳥ですが。」
 彼が答えるより早く、娘が喉を鳴らした。ピルルルル、と鈴を転がすような囀り。それに応えて籠の中、小鳥が喉を鳴らす。同じ音。抑揚をつけて、交互に。まるで本当に、なにか話すように。しばらくそうやって、鳥と人の咽喉から同じ音での応酬が続く。

『光秀、』
 きょとんとしたようにが光秀を振り返ってニカリと笑った。
『"百"はおおむねここでの暮らしに満足しているがもう少し日当たりのいい部屋に移してやるともっといい。』
 もも、とその口が動くのを光秀は唖然として見つめる。
 彼の乳母が鳥につけた名だ。お前案外いい奴だな、と娘の変わらぬ上からの物言い。それから、とやはり世間話の延長のように娘が笑う。

『小虎という下働きは替えたほうがいいらしい。よくわからんが、"甲斐の者"だそうだ。』
 美しい声で、鳥が頷くように鳴く。



(20110810)