出会いはそうとても単純、どこか絵巻か寝物語で、聞いたことすらあるような。

「…なんだこりゃ。」
 思わず間抜けにそんな言葉を、こぼしてしまっても仕方ない。今日も今日とて執務を抜け出し、お散歩中の伊達政宗。立ちすくむ彼の目の前にはおっきなおっきな。

「…竜?」

 紅葉のくれない美しい秋、彼が訪れたは竜が棲むと古くから聞く青き湖。
 だからと言ってまさか竜に用事があるわけではなかった。湖畔の崖から見下ろす景色が、ただ単に彼は好きだったのである。思わずうたた寝しそうに天気が良い日には、仕事に厳しい右腕を上手く出し抜き、必ずと言ってよいほど彼はここを訪れる。
 しかし今、これまでになかったものが、目の前にあるのである。先週訪れたときは絶対に、こんなものなかった

 こんなもの。
 なんと今、湖畔にはおっきな竜が蜷局を巻いてのびていた。崖の上から湖を見下ろした時点で、なんか妙だな、くらいには感じていた。なにか大きな黒い塊が見えた。岩だろうか?いやそれにしては大きい、ぐらいには思った。
 しかしだからと言って、これはないだろう。
 彼の愛馬はとっくにどこかへ駆け去ってしまい、政宗は完全な置いてけぼりを食らっていた。もうこうなってくると、いっそ驚きも通り越して彼は冷静になってきていた。人間、脳の許容量を超えてしまえばこんなにも無感動になれるものらしい。
 こいつぁどう考えても竜だなぁ、なんて現実逃避をかましつつ、彼は冷静に多分今夜辺り布団の中で悲鳴あげちまうかもしれねえ、と遠い目しながら考えている。実際ほかにどうしようもないし、彼はツッコミ体質でもない。この状況にハードリアクションで驚き、そのまま流れるようにツッコミを入れるなんてどこぞの忍び(CV.子○武人)のような芸当ができるはずもなかった。そもそも竜にどうやってツッコめと言うのだ。

 特にやるべきことが思い浮かばないので、改めて政宗はその竜を上から下まで見下ろしてみる。
 視界をはみ出る大きさで、そのうっすらと乳白色に青みがかった白銀の竜は、青い空と湖を背景に山かと思うほどである。
 いったい重箱何人前だろうか、それ以前に竜ってのは食べられるものなのか?
 本格的な現実逃避が始まったようだ。宝石のように半透明に、美しく日向の光にきらめく竜の鱗を眺めながら、彼はつらつらとしょうもないことばかりを考えていた。だって他に、どうしようもない。悲鳴を上げて逃げ出すには彼は図太すぎたし、真面目にリアクションをとるに彼はいささか不真面目だった。加えて言うなら、少しばかり柔軟性が足りない。今まさに彼はフリーズ寸前で踏ん張る忠勝状態である。

 しかしそれにしても、竜はぐったりとしていて動かない。
 ――ひょっとして死んでいるんだろうか?
 その可能性に思い至って彼はふと、本当に無造作に竜に触ってみた。今なら怖いものなしな気分だったというか、現実逃避のし過ぎで判断能力が麻痺していた。本当に無造作にのばした手が、ぴたりと触れた先はひんやり冷たくしっとりとぬれて、少し心地よい。その涼しさに、沸騰寸前だった頭が冷やされたのか、死んでいるなら鱗の一枚くらい、いただいていこうかと急に気が大きくなった政宗が考えた、その時。

『どなたです?』

 ふいに声が聞こえた。
 もちろん彼は、片手を鱗にくっつけたまま、それこそ蛇ににらまれた蛙のごとく石化した。
「…。」
『もし?』
 竜の首が(いや待てよどこまでが首でどこからが胴だ?)ぐぐ、ともたげられ、たしかにその賢そうな金に縁取られた青の瞳が彼を見つめた。長い睫に縁取られたそれは、なんとなく馬に似ていると彼はともすれば停止しそうな頭で思う。しかしここで気絶などしたら筆頭筆頭と慕ってくれる家臣たちにあわせる顔がない。もはや彼を立たせているのは浮き世離れし過ぎた現実と意地だけである。見栄っ張りもここまでくるとご立派なもので、政宗はひきつりそうな口を、ぐっと我慢して開く。

「あー。あー…俺ァ伊達政宗だ。」

 それにしてもなんの面白みもない返しである。しかし今の彼に気の聞いた名乗りや台詞なんかを期待できる余裕はなく、言葉になっているだけほめるべきだろう。口端がひきつっている。ぴくぴくしている。
『まあ、噂に名高き竜の御仁。』
 一方竜のほうは、ぱちりと直径が政宗の身長くらいはある大きな目玉で瞬きをした。
 本物の竜にいわれると妙な気分だ。いやすんません普通の人間ですんません。彼の心境は今まさにそんなかんじだ。なにせ竜ときたら、とてつもなくでかく城のようだ。長宗我部んとこの戦機(からくり)を思い出すぜ。しかし瀬戸内海は遠い。
 再び思考が飛びかけた政宗に、竜の目が会話の先を促すように瞬かれ、彼ははっと意識を遠い海から引き戻す。
「あー…そうか。」
 しかしやっぱり、なんとも気の利かない応答である。
『ええ。』
 それでも竜は気にした様子もない。図体が大きいと懐もでかくなるものなのかもしれない。その辺りの関係性は限りなく不明だが、今の政宗にはありがたい。ようやく地面が揺れるような感覚が収まってきた彼は、竜を目いっぱい見上げて会話を試みる。

「あー…アンタ、こんなとこでなにしてんだ?」
『噫、それですわ。』
 どうやらこの竜、言葉遣いから察するに雌らしい。声ざまもたしかに優しくやわらかに丸みを帯びている。
『私この湖に棲む竜にございます。』
 古えの昔から竜が棲むと言われるこの湖――どうやら本当の本当に、竜が暮らしていたようだ。
『しかし――、』
 そしてどうやらその竜は、どうやらたいそうお困りのようであった。


(2009051620100129)