いくら強くても、いくら人間離れした力を持とうと、それでもやはり彼は人間であった。彼の放てるいかづちというものは、敵を切り伏せはすれ雨を呼ばない。彼のその雷は、言うならば地底を裂くもので、天を裂くものではなかった。 その夏は歴史的な猛暑だった。一滴の雨も降らず、彼の土地は乾いて乾いて、もはや乾ききって血すらも出ぬほどである。太陽ばかりがぎらぎらと元気よく、あとはみな疲れて干上がりかけていた。 「政宗様―― …このままでは、」 「みなまで言うな。小十郎。」 「はっ。」 腕を組んだまま、まだ収穫には早いというのに黄色くなりかけた水田を見つめる。 確かに部下の、言わんとする通りだった。今この土地は、どうしようもなく枯渇しようとしていた。それこそどうすることもできない、天の理と言うもののために。 本来ならばこの時期、青々と豊かに広がるべき大地が、まるで斑のように枯れた黄色が広がるのを、ここ数日歯軋りする思いで見ていた。民の落胆の声が、ここまで聞こえてくるようだ。米が取れねば税は払えぬ税が払えなければ。 どうしろと言うのだ。 もちろん政宗はないものをとろうとは思えない。しかしこれでは、とるもとらぬも同じこと。誰もが飢え、乾いてしまう。奥州と言う彼に任された広い大地が、本来ならば豊かな土地が、だ、飢えに喘ぎ乾きに苦しむこととなる。 あなたのせいではないのだと、言う部下の眼差しが痛い。彼にはかんかん照りで一滴の水分すら恵んでくれそうにないこの空を、そこに浮かぶ太陽を、どうやっても動かすことなどできないのだから。 (――クソッ!) 苛立ちが募って思わず親指の爪を噛んだ。昔の悪い癖だ。彼は幼く病気がちであった頃、随分といろいろなものを堪えて爪を噛んだものだった――その度に父親に、鋭く見咎められたことを今でも覚えている。 ご案じなさいますな、と困ったように苦笑する小十郎の声も遠い。苛々と頭を掻いたり襟元を引っかいたりして、ふと、懐にしまった鱗に手が触れた。 一瞬ひやりとした何かに触れたとき、それが何かわからなかった。 しかし相変わらずその涼しさは政宗の頭を冷やす効能があるのか、ストンと沸騰しそうだった思考が落ち着いた彼は、そっと指先でそれに触れる。鱗。ただの鱗ではない。竜の、鱗。 忘れていたわけではない。大切にしまって、そのままだったのだ。 取り出してみるとひんやりと冷たく、表面はこの乾いた大気の中ですら湿り気を帯びている。日に透かすときらきらと、青い光を撒き散らして煌いた。鱗らしく波紋状の薄い筋が幾つも走っており、それこそ水面を底から眺めるようだ。美しい青。空の青とは違う。あの湖の青、そこに棲む竜の目の青。 しっとりと湿ったそれを握り締めて、政宗は驚くほど心が落ち着くのを感じていた。 政宗様、と穏やかに自分を呼ぶあの竜の不思議な声が聞こえてくるようだ。どこか遠く、あるいは身内の深いところから響くような声をしていた。一曲人間の詩を覚えさせて歌わせたら、それは素晴らしい音を奏でるだろうと思わせるような。 『必ずこのご恩はお返しします。』 そういったときの竜のあの瞳。静かに、まっすぐに政宗を見つめていた――。もう一冬が過ぎて半年も経とうとしているのか。 「、ねえ…。」 最後に名前を尋ねたときの、竜の不思議な笑いを思い出す。竜も笑うんだな、今更ながらおかしくて、政宗は少し笑う。手のひらのなかで、あの美しい竜の一部であった宝石が、きらきらとそれに答えて笑ったように思えた。美しい宝石だ、使うには、なんだかおしい。 真っ青な空は乾ききって、まるで雨を落とす気配などない。竜はいかづちを操り雲に乗り、雨を呼ぶ。意識しないまま、政宗はその宝石を唇に当てた。少しもったいないような、気がしている。けれど今しかないだろう。それに本当は、またあの竜に会いたいような気もした。 ほんとうに来るだろうか。竜はなんと言ったっけ。 この鱗を口に当てて――。 そうして彼は、小さく息を吸って、思い切りそれに息を吹き込んだ。 ガラスの笛のような、高い音が、乾ききった空気にしみこむように急速に響き渡る。風紋が広がる。しかしなにも起こらない。政宗の髪を、風が少し揺らしただけだ。 「政宗様?」 小十郎が、不思議そうに政宗を見やる。 「今、なにを、」 「…来るぜ。」 「は、」 彼の主が、ニヤと笑って小十郎のほうを向いた。その目がいつも、戦場で彼が見せるものと変わらないことに小十郎ははっとする。――笑っておられる。ああもうだめだと思うたびに、そのニヤリ、に救われてきたもの。その笑みが今も、ここにあった。 政宗の手のひらから、なにか光の粒子のような青い砂が、さらさらと風に流れてゆく。 「政宗様?」 どどう、と先ほどまでとは違う質の風が、たっぷりと東から吹き込んできた。たっぷりと湿り気を含んだその風を背に、政宗が笑っている。 空が翳る。どこか遠くで、雷が鳴った。 |
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