計画を立ててから、あっと言う間にその日は来た。
 前々から計画をしただけあって、仕事もうまい具合に済ませ、政宗は、「いやあ最近政宗様がご政務にしっかりと励まれているようで嬉しゅうございます」と昨日笑っていた、ちょっとゆるんだ小十郎の目をうまい具合に出し抜いて、湖へやってきていた。
 道中、なんとなく飛影の足取りも軽い気がして、ちょっとおかしい。
 最初あんなに怖がっていたくせに。
 なにせあんなに、おおきな。おおきな。

 おおきな?

 あ、これ夢かな。夢だな。
 政宗はものすごく冷静にそう考えた。小十郎の監視もあっさり出し抜けたし飛影の小屋にもちょうどだれも居ないし、都合がよすぎるとは思っていた。どうも夢らしい。早く起きてを迎えに行かなくては。
 なにが政宗をこんな思いにさせているかと言うと、いつもの湖、いつもの岸辺。

 ところが、その湖の辺に、娘がひとり座っていた。

 岩の上に腰掛け、膝の上に肘をついて。裸足の足。白く細い。
 薄い布を幾重にも重ねた軽やかな服は大陸風とでも言うのだろうか。官女とは違う、裾の広がった華やかな百群をした裳をつけて、絵巻の仙女のようだとでも言えばいいのか、屏風か絵物語でみたような娘。
 長い首が白く光る。浅葱の布がふわりと肩から長い髪とともに風に靡き、その先が光に溶ける。ゆったりとした袖の、銀糸の刺繍の花模様。
 美しい娘。美しい娘だ。内側から光り輝くような娘。
 長いまつげのさき。清らかな顔立ちは少し微笑んでいる。

 その絵に描いたように白い指先が弄んでいるものを見て、政宗は今度こそ目が点になった。
 笛だ。青い硝子が光を反射してきらきらとひかる。
 とても、とても誰かさんに上げたものに似ている気がする。城主様の特注品なので、もちろん一点ものというやつである。似たようなものが、出回っている可能性は限りなくゼロに近い。
 そうして気づけば娘の足元に青い紐が落ちていて、それときたら電車遊びでもするのかというほどの長さ。人の身長の、優に四倍はあるのではなかろう…か?
 いやいやいやいや。ちょっと待て。

 娘をとりまく空気が、ひとつぶひとつぶ瑠璃色に淡くきらめいていて、さあどうしよう。
 ふと娘が政宗を振り返る。あどけなく開かれた丸い目玉。紅もさしていないくちびるはそれでも花の先のよう。
 政宗を認めて娘がにっこりと、花の綻ぶように笑う。
 ――いやいやいや。

「政宗様、」

 ふわりと蓮の花でも咲きそうに微笑んだ娘はなんと言った?
 不思議な響きのやわらかい声。間違いでないなら、自分の名前を、呼んだ。呼んだ。ぞ?んんん?
 裸足の足で玉砂利を踏んで、娘が少しおぼつかない足取りで歩く。カラ、と鳴った音すら夢のようだ。裳の裾が娘の動くのにあわせて揺れる。形の良い足首と爪の先の桜色。ほっそりとした体つき。くるぶしの形がかわいらしい。
 長い紐を引きずって歩くので、ますます足元が危うい。硝子の笛をまるで小鳥でもたいせつに閉じ込めるように両手に包んでいる。
 ああ、ころぶ、転ぶぞ。なんだか眺めているだけでハラハラしていたら、案の定紐に足を取られて転んだ。言わんこっちゃない。
 地面につく前に、娘をとっさに受け止めてやって政宗は驚く。それこそ小鳥のように軽いこと軽いこと。ふぅわりと、香とは違う花のにおいがする。

「やっぱり久しぶりに"這う"のはむずかしくって、」
 すみませんと呟き、姿勢を整えながら、娘がほほえむ。ありがとうございます、そう言われても、政宗はいまだに娘をだきとめたままだということにも気がつかない。
 まさかぁ。

「これくらい小さくなれば大丈夫でしょうか?」

 うきうきと尋ねる娘。そこでやっと政宗ははっと腕を離した。
 ああ、まさか。やっぱり。そんな。
 政宗 は 混乱 して いる!
 竜だ。
 声に覚えがある。小さくなると竜は言った。だからてっきり政宗は、小さな蛇くらいの大きさになるのだと思ってた。袂にでも入れてあるきゃわかんねぇだろと思っていたのだ。
 ところがどっこい。どっこいである。

「ね?これくらいなら大丈夫でしょう?」
 娘が政宗にほほえんでいる。優しげな目玉。時すらも止めるような、清らかな微笑で。


(20100129)