夕暮れ。
 そう、しまった、夕暮だった。
 いつも抜け出すとは言っても息抜き程度に、小十郎が明王のように怒りだす前には帰ってくるよう常日頃心がけてはいた政宗だったが、今日はうっかり、なんだかんだで楽しんでしまって、それに気付いて慌てて竜にまたなと手を振って馬を走らせた頃にはすっかり日も暮れかかっていた。しまったなあこれは小十郎が明王五人分くらいの恐ろしさで待ち構えているに違いないと、少し振り返った政宗に、汀で人の形をしたまま、竜はにこにこと 「はい、また。」 とずっと彼が見えなくなるまで手を振っていた。それを見たらなんとなく、怒られてもいいかという気持ちになって、それでもやっぱり、こそこそと政宗は城内を歩いていた。今日の仕事は終わらせてから抜け出したわけだし、政務に滞りはなかろうが、いない間に増える仕事というものはもちろん毎日あるものだ。
 小十郎、もう帰ってねえかなあとこっそり祈りながら、自室の襖をそおっと開けた政宗は、ぎょっとして、それからばっと後退さった。思わず後退さり過ぎて、廊下の端から落ちるかというところをなんとかつま先で踏ん張って堪える。

 部屋の真ん中には、これこそ憤怒に駆られた明王のような顔をした小十郎が、眉間の皺も険しく、眼光鋭く、折り目正しくぴっしりと、微動だにせず正座して待ち構えていたのである。
「へへへへHey!小十郎!脅かすんじゃねえ!」
 思わず独眼竜がどもりまくるほどびっくりした。
 日も暮れた室内に灯りはついておらず、小十郎の眼差しだけが、皓皓と明るく、目に痛いほどである。
 心臓を抑えながら後退さったままのポーズで固まっている政宗を、ギン!と鋭い眼差しで一見すると次の瞬間小十郎は腹の底から大きく声を出した。
「政宗様!あなたと言う人は…!」
 ああ、来る、来るぞ。明王の怒りの小言の嵐が。
 勘弁してくれと政宗の頬がひきつりかけたその時、カッと大きく目を見開いてそのまま小十郎は咆哮した。

「水臭いですぞ政宗様!!!」

「……What?」
 なんでそうなったかわからずに、政宗がぽかんと思わず真っ白になる。
 それに構わず小十郎は、正座したままつらつらと、時折男泣きに涙をにじませながら、言葉を続ける。

「良い方がいらっしゃるってんならそう一言どうしてこの小十郎にひとこと言ってくださらんのです?!俺は、もし政宗さまがそういうことになったらいの一番に相談していただきたかったんです…!確かにご政務を抜け出されることは、一国の城主としてまったく褒められたことじゃあねえ…しかし!そんな事情があったなら、そうと言ってくださればこの小十郎、他でもない政宗様のため一肌でも二肌でも脱ぐというのに!俺ァそんなに頼りない男ですか!いや、わかっていますきっと政宗様にも俺にすら言えない心の中の葛藤があったことは…!しかし!しかしもういいのです!知ったからにはこの小十郎、どこまでも政宗様のために尽力する次第…!!うちのやつらがああまで褒めちぎるんだ、俺自身がこの目で見ないことには、ひょっとすると万が一今のこの言葉を覆す、なんてことになりかねませんが…それでも政宗様に知っておいていただきたかった!今この俺の!思いだけは本物であると!!!」

 何を言っているのか、本当にわからない。
 どこからともなく現れたリーゼントたちが、「小十郎さん!アンタァ男の中の男だ!」 「一生着いていきますぜエエエエエエエエ!!!」 「筆頭お幸せにイイイイ!!!」 叫びながら咽び泣いている。ますます意味がわからない。
 とりあえず政宗は頭痛のする頭を抑え、若衆たちを締め出しにかかる。

 そうして部屋には、正座を崩すことなく、しかしほんの少し後ろへ撫でつけた髪を乱した小十郎ともはや疲れてきた政宗だけが残った。
 まだ話が読めない。
 とりあえず小十郎の傍らに膝をつくと、「小十郎、俺にはまだ、話が見えてこねえんだがな…。」 と声をかける。

「はぐらかされずともよいのです。」
 うんうんと、うっすらと目じりに涙すら浮かべて深く頷かれるが、話が読めない。
 生来あまり気が長いほうではない政宗は、だから何言ってるか分かんねえって言ってるだろうが!と疲れていなければBASARA技くらい発動していたかもしれない。
 しかし半日竜と買い物を楽しんで心地よく疲労してきた上に、この意味のわからないどこか空恐ろしいような疲労が被さってきて、今政宗にはとても大技をブチかますだけの元気がなかった。

「落ちつけ、何がどうしてそうなったんだ。」
「ですから、この小十郎、」
「だからその小十郎が何だってこんな風に抜け出した俺を叱りもせずにわけのわからねえやたら熱い言葉をノンブレスで言い切るような事態になってるかを聞いてんだ。」

 それに小十郎が、はて、と目を眇めて政宗を見る。

「政宗様には心に決めた良い方がいる、と。」

 カア、と鴉の鳴く声が、政宗には確かに聞こえた気がした。
 小十郎の顔は真剣そのものであるが、くらりと後ろに倒れかかった政宗の様子に、ポーカーフェイスで慣れていない人間にはわかりゃしないが、確かに 「あれ?ひょっとして、え、あれ?え?」 くらいの戸惑いが浮かび始めている。
「頼むから、一から、なにがどうしてそうなったか説明してくれ…。」
 小言の嵐のほうがまだマシだった、とがっくりうなだれながら臣下の肩に手を乗せた政宗に、妙に熱のこもった頷きが返った。とりあえず夕飯にありつけるのは、ずっと先になりそうだ。
 政宗は腹をくくって、畳にどっかりと座り込む。
 どうやら話は随分長く、彼を疲れさせること必須である。


(20110810)