でん、と山道の真ん中に、仁王が立っていた。

『貴様が伊達政宗か。』

 いかつい鎧帷子、矛のついた兜、巨大な長刀。いかにも寺の山門を護る仁王か、そのぎょろりと膨れ上がった目玉は端午の節句の鐘馗のようでもある。
 翡翠の色で全身を固めた、その厳つい大男を見、政宗は眉を潜めた。どうやら喧嘩を、売られているらしい。
 いつもの如く晴れた昼下がり、今日も今日とて執務を抜け出し、もちろん向かう先は竜の住まう湖。その途中の山道を、男が塞いでいる。馬上で政宗は、その男の顔や装備をじっと見た。
 仁王か鐘馗か、としか言いようのないような―――唐風の鎧帷子。チームカラー的には毛利辺りの武将かとも思うが、なにをわざわざ毛利が奥州に、武将をたった一人で送り込んでくる必要があるだろう。
 そもそもその武装の唐風なこと。
 その時点で、彼にはすでに、ぴんと来ている。
 どうせこいつも人ではない。
 最近の政宗は、それこそ百鬼夜行もびっくりな、人外神仙未知との遭遇のオンパレードであるので、すっかり麻痺して、慣れ切っていた。

「人に名前を聞くときぁ、自分から名乗るのが礼儀ってもんだぜ。」

 ハッと笑い捨てた政宗に、男の顔がぐぐぐと赤くなる。見るからに激しやすい、男らしい。
 ザン、と男の長刀が、地面に突き刺さり、そのまま肩を怒らせて、仁王が叫ぶ。少しばかり地面に亀裂が走り、馬が嘶いて足を上げるのとは逆に、彼はニヤリと口端を持ち上げた。実に面白そうな、喧嘩のしがいのありそうな相手ではないか。

『人間風情に名乗る名などあいにく持ち合わせておらぬが冥途の土産に聞いておけ!我が名は、』
 男の名乗りは、不自然に途切れた。

『なりません蒼栄!!』

 真っ青な影が、空から降ってきたのだ。
 二人の間を割るように、振ってきたのはだった。
 政宗の贈った着物ではなく、初めて人に姿を変えているのを見たときと同じ、仙女のような服を着ている。空から降ってきたことよりなにより、政宗はその姿貌に目を丸くした。もはや見慣れた人の形であるが、その耳が、魚の鰭のように青く、透き通って尖っている。長い黒髪の先も淡く青く輝き、風もないのに宙に舞っている。ほっそりとした白い首筋に、わずかにうろこのような光と青が見えた。
 言うなれば、半分人型だろうか。
 いずれにせよ美しいことには変わりないのだが、やはりその奇妙さに一瞬目の前の大男のことが頭から飛びかける。
『止めてくれるな姫ェ!』
『いいえ止めます!全力で止めます!勝手なことをして…見ておいで!迦楼羅には劣れど、そなたに劣るつもりはありません!』
『ななな、なにを仰るかア!』
 男が慌てて、を押し留めるように両手を顔の前でブンブンと振る。
 これはつまり、どういう展開だろう。
 とりあえず喧嘩はできなさそうなので、少しばかり残念ではあるが、彼は首を傾げる。十中八九男がやはり人外で、やはりというかなんというか、がらみであるということはわかった。しかしながら大雑把なバックボーンがわかったところで、どうしてこうなったかは、さっぱりである。と、いうか、は戦うつもりなのだろうか。大男といかにもほっそりとしたとでは、勝敗は決まっているように見えるのだが、なにせ女と言うのはわからない。
 髪を揺らめかせて、臨戦態勢に入りそうなに、政宗は背中からため息交じりの声をかけた。

「…よう、。」

 その声に、がぱっと振り向く。
『政宗様!申し訳ございません、父の部下なのですが見当違いの早とちりでまったく早まった真似を…!』
 なんだか本当にすまなさそうなの後ろで、今度は蒼栄と呼ばれた大男が声を上げる。
『姫!人間風情にそのような口のきき方をせずともよいのですぞ!』
『そなたこそわたくしの恩人になんという無礼な口を利くのか!』
 どろどろどろ、とどこか遠くから雷が聞こえてきた。
 噫そうだったなあ、こいつ、竜だったんだ。
 まるで政宗をかばうように大男の前に立つの細い背中を見ながら、政宗は今更ながらに感心して頷く。湿った風が、背後から吹き付けてくる。しかし雨具も持っていない、屋根もない森のなか、土砂降りを起こされてもたまらない。
「あ〜…、」
『はい!』
「とりあえず、落ち着け。cool down.」
 彼がこんな風に他人をなだめているところを見たら、小十郎あたり感動するかもしれない。どうにも彼の部下は、いちいち大げさな上に主君のことをなんだかフィルターをかけて見ている気があるのは間違いない。彼は存外、まともなのだ。たとえ何の因果か、最近行く先々で人外と遭遇するおかしな癖は別として。
「そいつは誰なんだ?」
『私の父の部下で、蒼栄と申します。わたくしが政宗様にお助けいただいたことを、お父様に報告した時に、傍に控えていたのですが、何を勘違いしたのかこうして政宗様に牙を向けるなど…!』
 また雷が鳴りそうだった。少し慌てて、政宗は馬上から降りると、の隣に並んだ。こうして並ぶと、いつもの人型と大きさも細さも変わりないのに、その白い肌の表面がところどころ、青く透き通っているのがやはり不思議だ。竜の形の時とおなじかな、とふと思い当たり、指先を青い小さな鱗が覗く頬に伸ばしてみる。触れるとやはり、ヒヤリとした。

 突然人差し指の背で頬をスリ、と撫ぜられて、が不思議そうに首を傾げる。
「ああ、悪い。鱗がな、」
『まあ、お恥ずかしい。空の上からやっと蒼栄を見つけたと思ったら政宗様にとびかかろうとしていたものですから、慌ててしまって。』
 中途半端な変化をしてしまいました、と恥ずかしそうにが笑って、いいんじゃねえか?クールだぜ?と政宗がちょっと屈託なく笑う。
『くーる…、ふふ、格好いいですか?』
 いつものお花のわらいかた。
 もう雷は聞こえてこなさそうだ。
 ちょっと和みかけた政宗の背後で、ピシャアアアアンと雷が炸裂した。
 …あ、忘れてた。



(20111008)