なんとなく政宗が政務を抜け出す、イコール様とでぇと。と言うのが伊達家の御家来たちの間で暗黙の了解になってきた。最近ではこっそり抜け出そうと厩に政宗が向かうと、馬番が、「政宗様、今からこれですかい。」 と小指をおったてたあとで「馬の手入れはばっちりです。」 と続けて親指おったてる始末。断じてデートじゃないが否定するのも面倒くさいのでそのままにしていたら、ついに右目がうるさく言い始めた。
 しかもでぇとするなとうるさく言い出したわけではない。
「政宗様!でぇとに行かれるのならこそこそされずとも堂々と行って下さい!むしろこそこそお忍び服のまんま行かねえで、もちっと伊達な格好をしていったらどうです?」
 挙句でぇとのふぁっしょんにまで口を出す始末。そして最後に必ず付くのは、「それで、いつ会わせて下さるんですか。」 という鬼気迫った一言である。
 それはもう面倒くさい。
 しかし政宗に、竜と遊ばない、という選択肢はなかった。
 まずは、政宗にとって女ではなく竜であったし、だからこそもっとも気楽に離せる同世代(見た目だけは)の異性でもあった。竜の方にまったくその気がないというのもひとつの要因かもしれない。一人と一匹は、助けられ、恩を返され助けられた仲で、竜と呼ばれる人間と、竜そのものの姫君であり、つまり同じ竜同士であり、お互い初めての友達でもあった。戦いにおける好敵手という意味合い以外での友達、しかも異性の、なんて政宗には初めてで、しかしずいぶん気楽な関係だった。
 なにせ竜ときたら、平安の世から生きているらしいというのに、まったく無邪気な童女のようだからだ。

 一度連れていって以来、はすっかり、人の世に夢中だった。網笠に薄い被衣を被って、すっかりお忍びの姫君ルックが板についてきた。
「八馬女と磐梛が羨ましがっていけません。」
 とくすくすおかしそうに笑いながら、二人の姉やへの土産を選んでいる。どんなに羨ましがったところで、姉や二人の正体は、足のない魚、水の中に棲む山女と岩魚であるので、大雨の日でもなければ水場を遠く離れての外出は出来ぬらしい。
 前々からこの日は市に連れて行ってやる、と約束をしていたので迎えに行ったら、を送り出しに現れた姉やたちがブーブー文句を垂れながらヒューヒュー冷やかしてきて、羨ましがっているのか面白がっているのかよくわからなかった。

『わたくしなんて三日も前から逆照る照る坊主を作って楽しみにしておりましたのに!こぉんないいお天気!』
「…雨が降ったら市はたたねぇと思うがな。」
 地団太踏みそうな勢いで悔しがる八馬女に、冷静にツッコミをいれるあたり、政宗もずいぶん慣れたものだ。
『あらまあそうなんですの?』
『じゃあどっちにしろ、わたくしたちは留守番ですわねぇ。』
『まあ若い二人の邪魔をするのも…ねぇ?ほほほ…』
『そうですわよお。まったく若いっていいですねえ!ヒューヒュー!』
「お前らその感じすっげぇ小十郎思い出すから止めろ!!」
 ウガアと叫び声を上げる隣で慣れたようにが笑いながら、「早く参りましょう。」と子供のように目を輝かせる。

 どっちが発したのかわからない『行ってらっしゃいませ。』 『政宗様、ひぃ様をよろしくお願いいたします。』 の声に見送られて馬を進めれば、立派なお忍びでぇとのお殿様とお姫様だ。
 しかしながら如何せん本人たちにその自覚が薄いので、
「今日はなにが見てぇんだ?」
「わたくし、この間の甘味が食べたいのです!」
「あー、あれなら今度作ってきてやるから違うのにしとけよ。」
「まことですか!」
「お〜、まことまこと。really truely。」
「まあうれしい!」
 色気もへったくれもなかった。
「そうそう!今日はきちんと人の銭を用意してまいりました!」
 嬉しそうに小さな巾着を開くと、ジャラリと市でも普通に使用する通貨が満たされていた。
「お〜どうしたんだ?」
「湖の反対側にお社が立っているのはご存じですか?」
「ah?んなもんあったのか。」
 いつも竜とあった湖畔にしかこないので、そういえばぐるりと反対側に回ったことがない。
「ええ。平安の頃、うっかり姿を見られたことがあったのです…それで竜が棲むのだと言って私を祀って作られたのですけれど、源平の乱の際に祀りの一族が絶えてしまって、世話をするものもいないのですが、今でもたまに、通りすがりの旅人だとか、山に暮らす狩人だとかが、私を恐れてこの湖で漁をするものはいなのですが上流の川で漁をする漁師だとかが、小銭を供えていくのです。」
「ハハァ…なるほどな。」
 を祀って作られた社であるならば、そこに供えられる供物は銭であれ食べ物であれのものであるわけだ。
「正直いただいても困るのでそのままにしていたのですが、せっかくですので使わせてもらおうかと思いまして。」
 もちろんほんの少し、お返しをしますよ、とが微笑む。
「お返し?」
「ええ。」
 そう言っては、一度それらの銭を撫でるようにした。
 するとふわりと、その白く細い手のひらの上に、ふわふわと桃色がかった綿のような、雲のような、霞のようなものがくっつく。目を丸くしてそれを眺める政宗の前で、ふうっとは手のひらに息を吹きかけた。もやもやとしたそれは、綿毛のようにふわふわとももいろに光りながら、風に乗ってどこへともなく流れていく。

「なんだぁ、ありゃ。」
「皆のお願いごとですよ。全部は叶えるつもりも義理もありませんが、お返しにほんの少しくらいなら、ね?」
 例えば怪我をしないだとか、網が破れないとか、帰りに茸のたくさん生えている林を見つけるだとか、ちょっとした幸運が祈りの分だけ飛んで帰ったのだという。
「すげえな。」
 ポカンと呆れてそういった政宗に、そうでしょうか、と竜がきょとりとする。
「なんか神様みてえだな。」
「まあ!ちがいますよ、竜です。」
「…I know.」
 ちょっと人が悪く政宗がニヤッと笑うと、竜も肩を竦めて楽しそうにわらった。

(20120604)