しっくす・せんすのお告げの通り。嵐の夜だ。どこをどう通ったのか、深夜、迎えを寄越すと言った翡翠の言葉の通りに、政宗の寝室の障子をひたひたと叩くものがある。オイこれなんてホラーだと若干身震いしながらも起きていた政宗が戸を開け放つと、外は暴風雨、びしょぬれの翡翠が、いつもより少しばかり生き生きした様子で立っていた。
「まいりましょう。」
 差し出された傘は真っ青で、不思議と雨風が、とんと吹き込んでこない。並んで歩く間に自分の城の廊下が、いつの間にか見知らぬ真っ暗な道になり、 「そういえばお前、どっから入ってきたんだ?」「お庭の池から失礼いたしました。」「は、はあ。」 池に蓋でもしようかしらん。
「…政宗様、」
「ah?なんだ?」
「河童は水があればどこへでも馳せ参じることができます故…その気になれば湯呑のお茶からでも、」
「Give me a break!」
 冗談じゃyない。池が閉じておりましたので湯呑から失礼、なんてされた日にはたまらない。池に蓋は止めておこうと心に決めつつ、話しながら歩くこと数分。そうして気がつけば、晴れた夜空、台風の目の中だと河童が言い、いつもの湖の畔である。
 そうしてそこには、最初に見た時よりもずっと豪奢な大陸風の服を着た竜の娘と、それからずらりと、同じような服装の男女が並んでいる。湖面がぼんやりと青く光り、そうして居並ぶ人々も、月明かり星明かりを自ら放つように内側から輝いていた。蛍のような青い光が、ふわふわとその周りに舞って漂っている。人々はみな丈高く、眉目秀で、厳かな雰囲気。その中でも特別に目を惹いたのは、蒼穹を押し固めたような衣の上に瑠璃硝子の甲冑を纏った、それはたいそう見目麗しい中国風の立派な服を着た美丈夫だった。立っているだけで圧倒的な存在感がある。威圧される、というよりもただただ神々しいのだ。大変な花貌の持ち主であるが、涼やかな目元は鋭く賢げで、どこか同時に男らしく荒々しいような印象も抱かせる。が親しげに、その隣に立っており、他の者たちが若干低頭していることから、それが件の竜王であろうことはすぐ知れた。
『政宗様、』
 ようこそと竜が微笑む。もはや見慣れたと言ってもいい件の着物ではなく、初めて人の姿を見た時よりも豪奢な、他の面々と同じような長い裳裾の衣装に身を包んでいる。輪郭がうっすらと青白く光っている。その声もどこか、いつもより遠くから響くようだ。
『父を紹介いたします。』
 どうぞと白い手の指すままに導かれると、人垣が割れ、目星の通りの瑠璃色の甲冑に行き当たる。ずいぶん若く見えるが、そもそも人ではないのだから人の目で量ろうとしても仕方がない。
 竜が何か言うよりも早く、政宗を見とめて男はわずかに頭を下げた。
『我が娘の窮地をお救いいただき感謝する。』
 深いふかい、海神の底から響いてくるような言葉の響きだった。
 少しあっけにとられてから、政宗はニヤリと口端を持ち上げる。もちろん彼もまた、竜と呼ばれる奥州の王である。
「別に大したことはしてねぇよ。」
 不遜な態度はいつでも、誰に対しても変わらない。おもしろそうに目を細める竜王に対して、側に控えていた紺甲冑の騎士が色めき立つ。
『殿!』
 もちろん人間風情の無礼を許していいのかという御怒りの一言であるが、竜王はそよ風ほども気にしない。
『良いではないか。』
 彼も竜、我も竜、そして彼も王、我も王だ。歌うような低い響きは、どうしてか雪解けの山から響く山鳴りにも似ている。その眼差しは底の見えぬほど深く、夜空の色。その目がじっと、政宗を見て、それからかすかに微笑んだ。
『人間にしては良い目をしている。二百年程修練を積めば、地仙くらいにはなれそうだ。』
「二百年…。」
 そのスケール感に、げんなりと政宗が眉をしかめると、おかしそうに竜王が笑う。
『なる気はないか?神通力を究め仙籍を得れば、人の理を離れ不死の身となる。』
「ah…今んとこ興味はねえな。」
 二百年も修行なんぞしている間に、乱世は終わってしまいそうだし。それに仙人とやらになってしまったら、きっと天下などどうでもよくなるのだろう。政宗にはどうにもぞっとしない話題に思えた。
『変わっている。』
 クツリと喉の奥でおかしそうに竜王が笑い、隣でその娘が 『そういう方ですもの。』 とほころぶような笑顔を見せる。
『惜しいな。』
 屈託のない笑い方は、政宗にやはり親子だと感じさせるほどには似通っていた。
『…いつの世も人とはそうよ。惜しまれる者ほど自らを惜しまぬ者はない。』
 遠い昔の誰かが、その目に優しく浮かんでいる。皆、それぞれに、どこかに心当たりがあるのだろうか。少し辺りはしんとして、政宗は居心地悪そうに頬を掻いた。それにがくつりとわらって、少し空気が優しく解けた。
『退屈しているかと思うたが、お前はどうやら楽しく暮らしているようだ。』
『ええ、父上。』
『…良い友人を得たようで私は嬉しい。』
 大きな手のひらがの小さな頭を撫でた。がやわらかく目を細めて、ちょっといいな、なんてそんなこと。竜なんていう人とは違う生き物でも、こうやって家族らしい絆だとかぬくもりとかがあるのだな、と思うとなんとなく政宗はいたたまれないような気持ちになる。という竜は湖にひとりぼっちだけれど、姉やもいる、河童もいる、きっとほかにもいるのだろうし、なにより離れているけれど家族が在る。
 うらやましいと、思う心は、遠の昔に捨ててきた。
 ホウ、とどこかで梟が啼き、『もうそのような時間か。』 と竜王は首を傾げた。東の空が白んでいる。
『名残惜しいが暇しよう―――では、。』
『はい、父上。』
 見送る娘が心なしか頬を青褪めさせているように見えて、政宗は首を傾げる。
『くれぐれも気をつけるよう。』
『…はい、お心遣い感謝いたします。』
 気遣わしげな眼差しは、何を意味するのだろう。ふいに政宗は、自分の青とよく似たその瑠璃硝子の甲冑の重さが気にかかった。竜が纏うそれは、いったいどれほど重いのだろうか。
『では政宗殿。』
 わずかな憂いを吹き払った涼やかな目元で、竜の王が振り返った。
「ああ、」
『良ければこれからも娘をお願いしたい。』
 少し辺りがざわ、とするが、やはり竜王もも政宗も、そんなのそよ風ほども気にしない。そうしてそれからそんなこと、

「ああ、ダチだからな。」

 言われなくても当たり前。
 きょとり、とした後さも当たり前と言わんばかりの笑顔で政宗は返答した。任せとけよ、というなんとも不遜極まりない人間に、やはり竜王は穏やかな微笑を返した。


(20130123)